◯
5時。公園で待っていた葵を見て、私は目を見開いた。
Tシャツの上に黒のジャケットを羽織っている葵の隣には、黒く光るバイクが停まっていた。
「それ……」
「じつは、昼間教習所通ってて、短期で免許取ったんだ」
葵が照れ臭そうに言った。
いつも会うのは夕方だから、昼間は何をしているのだろうとひそかに気になっていたけれど、バイクの免許を取りに行っていたのだ。
「……て、これに乗って行くの?」
「ほんとはまだ2人乗りしたらダメなんだけど」
「大丈夫なの、それ」
「安全運転で行くから。そんなに遠くは行かないし」
不安になりながら、シートの後ろにくくりつけてある大きなボックスが気になった。
「これ何?」
「後でのお楽しみ」
葵は楽しそうに言って、
「さ、乗って」
渡されたヘルメットをかぶって、シートにまたがった。
後ろに乗ると「うぉっ」と葵が少しバランスを崩す。
「大丈夫……?」
「練習したから」
……不安だ。
私より背の低い葵の腰につかまるのは難しかったけれど、
「しっかり掴まって。絶対離さないように」
と真剣に言われて、覚悟を決めるしかないと、両手でがっしりと葵の細い腰を掴んだ。
ブオオオン、と大きな音を唸らせて発進した。景色の流れが早く、さっきまでそよ風くらいに感じていた風が、前からびしびし当たってくる。バイクなんて乗ったことがない私には何もかも初体験だ。振り落とされないように必死だった。
何度か信号で止まるうちに、少しずつ恐怖心が薄らいでくると、葵の体が硬っているのがわかった。葵も緊張しているのだ。
バイクは国道を抜けて、山道に入った。もうどこを走っているのかまったくわからず、葵に頼るしかない。
「着いたよ」
バイクが停まったのは、山の中腹にある、休憩スペースみたいな場所だった。
ヘルメットを外した私は、眼下に広がる景色を見て驚いた。夕焼けから夜の闇に移り変わる途中の街に、ぽつぽつと灯りが点りはじめる時間だ。
イルミネーションの点灯式みたいだ、とテレビでしか見たことのない光景を思い浮かべた。
「すごい、きれい」
「免許取ったら、いちばんにここに来たかったんだ。時間なかったから、かなり急ぐことになったけど」
間に合った、と小声で葵が漏らした言葉に、本当に明日で終わりなんだ、と実感する。
何ごともなく終わるはずだった春休み。
葵の言うとおり、勇気をだして憧れのカフェでバイトをはじめたときから、いろいろなことが変わりはじめた。
満島くんとの再会、彼女がいることを知ってショックを受けて、葵と1ヶ月限定で付き合うことになって。
怪しみながらも、心を解いていくのに時間はそれほどかからなかった。
葵と過ごす時間は、バイトの忙しさや疲れを忘れて、のんびり、ほんのり安らげる時間だった。
そして、葵は、いちばんに来たかった場所に、私を連れてきてくれた。
明日で終わりでも、それだけでよかった。
「じゃあ、はじめるよ」
「え?何を……」
「パーティー」
葵はそう言うと、後ろに乗せていたボックスを下ろした。さらにシートを開けると、その中にもいろいろ入っている。
私が呆気にとられているうちに、葵は手際良く準備を進めていく。
「最後に何をしたいか考えたら、これしかないなって」
コンパクトに折りたたまれていたテーブルと椅子を広げ、その上に次々と料理を並べていく。中央にランプを置くと、周りがほんのりと温かい光に包まれた。
まるでレストランのディナーだ。
「これ、葵が作ったの?」
「そう。味は保証するよ」
葵は自信たっぷりに言った。
いただきますと言って、ジュースで乾杯した。
「すごくおいしい」
「よかった」
葵が嬉しそうに笑った。
パスタにサラダにローストビーフ。どれも、お店に引けをとらないくらいおいしかった。
明日でお別れなのに、こんなサプライズを用意するなんて、ずるい。
食後にはやっぱりコーヒーが用意されていて、さすがだと感心した。
「明日の夜行バスで東京に帰るよ」
葵が言った。
「そっか」
寂しい、とは言わない。
夢に向かって頑張っている葵を、引き留めることなんて、私にはできない。
私たちは、友達でもなければ、本当の恋人同士でもない。本気の恋でもない。
期間限定の、曖昧な関係。
だけど、いまだけは、こんな素敵な時間をくれた葵は、私にとってやっぱり、特別な男の子だった。
夜景を背景にしたパーティー。
20歳の誕生日は、最高の、忘れられない日になった。