「いらっしゃいませ!」
「ありがとうございましたー!」
朝は挨拶練習から始まる。
恥ずかしかったけれど、誰も恥ずかしがったり、ふざけたりする人はいない。私も見習って大きな声をだしてみると、
「やるじゃんななちゃん。その調子っ!」
紗栄子に背中をポンと叩かれて、私は照れた。練習で大きな声をだせた、ただそれだけだけれど、褒められると嬉しくなる。
紗栄子は今日も化粧バッチリで、髪を編み込みにして後ろでくるんと丸めてハーフアップにしている。
どうしたらそんな器用な技ができるんだろう。
複雑すぎて教えてもらってもできる気がしない。
そして今日も、懲りずに始業10分前のギリギリに駆け込んできた満島くんは、店長に怒られていた。店長は口で怒っていても、顔が癒し系の熊みたいだからあんまり怖くない。
そんな風にして、カフェの朝がはじまる。
10時から1時間はモーニング、その後3時間はランチタイムだ。モーニングにはコーヒーに半熟卵とハムのホットサンドがつく。あまりにおいしそうで、朝ごはんを食べてきたのに、もうお腹が鳴りそうだった。

これ、満島くんが作ってるんだ。

キッチンにいるから当たり前だけれど、満島くんがすぐ近くで料理をしているのが、なんだか不思議だった。
高校のときの、ひたむきに走る姿からはとても想像できない。
でも、真剣な顔でオムレツをひっくり返す満島くんも、やっぱりカッコいい。
航ー、とカウンター越しに紗栄子が話しかける。ホットサンドをナイフで切って皿に乗せた満島くんが、ん、と返事をする。ちょっとしたやりとりで笑顔になる。きっとそれは、2人にとって何でもない光景なんだろう。私がそれを見て傷つくなんて、彼らにはこれっぽっちも関係ないのだ。

……私が満島くんをまだ好きだって知ったら、どう思うだろう。
怖い、なんて思われたら、立ち直れる気がしない。

彼女がいる人を好きになったって辛いだけ。
忘れなきゃ、そう思うのに。
心はとっくに違っているのに、こんなに近くにいるから、忘れるなんてできない。

「お客様お帰りでーす!」
「ありがとうございましたー!」
店内に、スタッフの元気な声が響き渡る。私も精一杯の声をだす。
空いたテーブルの食器を片付けて、ダスターでテーブルを拭く。
心の奥にしまっていた満島くんとの楽しかった思い出が、引き出されて胸の痛みに変わっていく。思い出を全部なくしてしまえたら、どんなに楽だろう。