最終回 あと3年を君に

 川のほうに向かって歩くと、生ぬるい風と共に屋台の香りや人々の喧騒が伝わってくる。夏の香りは心地いい。どーんという音と共に花火が打ち上がる。それは、今まで見た中で一番きれいな花火だった。大きな円を描きながら花びらのようなまるい花火を中心に、ハート型や輪が重なっているような変わった形の花火も打ちあがる。

 この町の夜の景色が1年で最も華やぐ季節だ。人ごみが嫌いな時羽だが、雪月と一緒に見る花火は本当に美しいと感じていた。そして、それを時羽は言葉にせず映像で雪月に伝えることにした。彼女と繋がることで安心感を得ていることは意外な事実だと思いながらも、あと2回しか彼女はこの町の花火大会を見ることができないということに心が痛む。ズキッという音がする。

「時羽君って優しいよね」
「そうか?」
「私、中学の時に告白された男子と付き合った事があるの」
「初耳だな」
 眉間にしわが寄る時羽。

「その人はかっこよくて、愛想がよくて、みんなの人気者だった。だから、きっといい彼氏になるのだろうと思えたの」
「ふーん」
 時羽は少し睨むような表情になる。

「でもね、その人は私のこと全然好きじゃなかったんだって。付き合ってみてもほとんど連絡もなくて、私は真剣に付き合おうと思ったんだけどね。問い詰めたらただのゲームだったみたい。付き合えるかどうか賭けをしていたらしいの」

「なんだ、その男」

「男の人が怖いなって思った。でも、心を映像で見る力を得てからのほうが、本心が見えるからそういう人には近づかなくなったの。でも、見えなくてもいい友達の本心が見えたりするから、心にダメージも結構受けたよ」

「その能力は、メンタル的にきついよな。人間はほとんど裏を隠し持っている生き物だからな。心が映像化する力というのは言い方を変えれば、人の裏が見える力だしな」

「だから、誰も信じられないと思った。でも、時羽君に触れた時、私に対する感情がゼロで、そういうのが逆に新鮮だったの。好きでも嫌いでもない。自分は嫌われていると思い込んでいる一人ぼっちの時羽君にはすごく魅力を感じたの。心を盗み見ていくうちにどんどん好きになっていった」

「……」
 時羽は嬉しいとは思ったが、それ以上の何かを言葉にすることはなかった。雪月には言葉にしない理由も含めて全部見えてしまうのだから。見られてまずいものは何もない。ならば、正々堂々としていよう。

 時羽が視線を落とすと花火を見ずに、時羽をじっと見つめる雪月がいた。雪月は何だかんだで内面を見て好きになってくれたのか。そう思うとますます嬉しい自分がいる。視線が重なると心臓が早く波打つ。でも、相手が視線を逸らさないとそのまま見つめあう形になる。沈黙に耐えかねて、時羽が口を開く。

「誕生日来たのか?」
「うん、最近ね。16歳になったよ」
「夏生まれか。言ってくれれば祝ってやったのに」
「最近、ずっと無視していたでしょ」
「悪かったよ。どうにも居心地悪くてさ。岸とおまえが付き合っているのに邪魔しちゃ悪いだろ」
「それってヤキモチじゃない?」

「……」
 頬が赤くなるのを感じるが、夜になっているのがある意味ラッキーだと感じていた。

「そんなはずはない」
「絶対、ヤキモチだと思うんだけどな。私は夏が好きなんだけれど、夏という季節をあと2回しか経験できないのかぁ。この貴重な夏を大事にしないとね」
 花火大会の中で雪月は当たり前のように、まるで他人事のようにあっけらかんと話す。

 映画のワンシーンのように空を見上げながら花火を見入る雪月は本当に美しい。あと2年と少しという命を怖がることなく受け入れている雪月は、普通の16歳の女子高生が達する心境の境地ではないと思える。不思議なくらい雪月風花は落ち着いてあと2回の夏を受け入れていた。

「俺から、毎年誕生日プレゼントを渡すから」
 時羽は決意した顔をする。

「毎年って受け取ることができるのは再来年までだよ。だって……寿命尽きるし」
「そうはさせない。ずっとあと3年という季節を俺が毎年渡すよ」
「……どういう意味?」
 雪月は意味が分からず、ただ茫然と時羽の顔を見つめていた。

「幻想堂の店員は他人に寿命を譲渡するならば1年ずつという決まりがあるんだ。だから、今年から、毎年この季節に1年ずつ、君に寿命をプレゼントするよ」
「そんなことしたら、時羽君の寿命が縮んじゃうよ」
 雪月の顔が歪む。

「俺の寿命結構長いんだよ。人間が生きられる最高年齢くらい生きるらしい。だから、雪月に寿命をわけることはなんてことはない」
「でも、結婚したら奥さんに止められちゃうと思うし、子供も悲しむよ」
「どうせ俺は結婚できないだろうから、その心配は無用だ」

 言い切る時羽は当たり前のように結婚できない宣言をする。まだ自分に自信が持てないのかな、と雪月は感じる。

「時羽君、だいぶ友達もできたし、人気者なのに。そんな悲観的なこと言わないでよ。この先、卒業したらそんなに私と会うこともないだろうし、そこまでする必要はないでしょ」
「それでも、毎年誕生日の日に俺は寿命を1年ずつわけるよ。譲渡は会わなくてもできるんだ」

 その横顔を見た雪月は思い切って提案する。
「寿命を一方的にもらうだけじゃ申し訳ないから、私と結婚してよ」
「結婚ね」

 何気ない一言を無意識に言葉にした時羽は、音として自分の耳で聞くことによって、改めて重要な話になっていることに気づく。

「け、結婚?」
 戸惑いと焦りと驚きを隠せない時羽。思わずのけぞる。

「だって、今のところ結婚相手いないでしょ。私が結婚相手なら寿命を渡すことを忘れないだろうし」
「ああそうか」
 変に納得する時羽だが、自分で自分にありえないだろ、と心の中で突っ込みを入れる。

「ありえないだろ」
 一応雪月に面と向かって心に思ったことを言ってみる。
「でも、どうしてそこまでして毎年私に命をくれるの? 自分の命は大切にしなきゃ」
「目の前で死に急ぐ友達を見ていると、もどかしくてさ。何かしてあげたいと思ったんだ」
「命を削ってでも?」
「命を削ってでも……だな」

 どうにもこそばゆい空気に耐えられなくなった時羽は、自身の気持ちの変化と決意に戸惑っていた。そこまでして、なぜ友達のためにするのかと聞かれたら、時羽は何も言えない。彼自身、なぜなのかも理由を説明できないくらいに当たり前の行動だった。

「どうして、そこまでしてしまったか説明はできないけれど、俺は譲渡を選択した」
「時羽君は、優しいんだね。理由、教えてあげようか」
 雪月が下からのぞき込んで時羽の唇に指を当てる。

「私のことが好きだからだよ」
「……恋愛感情というものが最近は理解できなくもない。以前は友達作ることしか頭になかったのに、不思議なもんだな」

 時羽の手に触れた雪月は彼の映像を盗み見た。本人も見られることを拒否していない様子だ。無口な時羽としては、見ることによって、自分の気持ちをわかってほしいというのが本音かもしれない。

「時羽君の映像は……素敵な花火の下で、私と一緒にいるという夜空の景色が広がっているね。毎年今見ている景色が見れたらいいね。本当にありがとう。素敵な誕生日プレゼントだね。あと3年を2人で毎年楽しめたらいいね。歳をとっても2人で一緒にコーヒーを飲んでいたいよね」

 そう言って、花火をながめる二人は、花火は見ているもの視界に入っていないようだ。つないだ手は強く握られ、簡単に離れることはないという決意と象徴のようだ。

 最初こそつないだ手を振りほどこうとした時羽だったが、しばらくすると振りほどこうとすることを諦めて受け入れる。手を握り合って二人は光が満ち溢れた空を見上げるのだった。夜空と花火の多彩な光の色合いが、なんとも言えない美しさを醸し出していた。まるで、時羽と雪月のように全く異質なものが混ざり合ってこその良さが花火には確かに存在する。

「なぁ、友達っていうのは気づいたら友達になっているのかもな」
「それは好きな人も同じだよ。気づいたら好きになっているっていうのが人間らしい感情だと思う。あんなに友達が欲しいと思っていた時羽君にはいつの間にかたくさん友達ができたね。そして、好きな人だってできたでしょ」

 少し照れながら雪月は見上げてほほ笑む。
 自然と縁は結ばれていく。手をつなぎながら二人は感じていた。
 これからの春夏秋冬……二人は同じ景色を見て同じ空気を吸う。季節が巡ってもそれは変わらないだろう。

 その瞬間、時羽を囲む透明なバリアが崩壊する。まるで、ガラスが割れるかのように粉々に砕け散る映像が雪月には見えた。バリアは必要ないと時羽が感じた瞬間なのだろう。

 あと3年がずっと続きますように……。夜空に咲く大輪の花は二人を見守るように大きく夜空に咲き誇る。2人は空に向かってねがい、誓う。

 この先もずっと――あと3年の君は心の映像を盗み見る。
 時は金なり。今という瞬間、与えられた時間を大切に生きていこう。