何か答えがあるかもしれない……なんて、根拠のない期待だけでここまで来てしまった。
でも、どんな些細なことでもいいから、私は、知りたい。成瀬君のことを。
ゆっくりと瞼を開けて、カーテン越しに涙を流しながら微笑む女性の絵を見上げると、つうっと自然に雫が頬を伝った。
ああ、そうか。この絵を見てやっと分かった。
芳賀先生はやっぱり能力者で、この女性は生涯愛した人だったんだろう、ということが。
汚いものも美しいものも透けて見える世界の中で、たったひとつ信じたいものを芳賀先生は描いたのだ。
自分を許せるのは自分だけだということに、芳賀先生はこの絵を描いたときに気づけたと、資料に残していた。風で少しだけ捲れたカーテンの描き方から、まさにクリアになった世界が始まることが感じられて、涙が止まらない。
はらはらと落ちる涙をそのままにして、私は成瀬君のことを想った。
――私は、汚いものも、許せないものも、怖いものも、葛藤も、全部取り払って、君だけを見たい。成瀬君だけを見たい。芳賀先生のように。
だから、私の何が透けて見えても、恐れないでほしい。信じてほしい。
『成瀬君……』
胸の中で彼の名を呼んでみる。
私は、チケットを握りしめたまますぐに出口に向かって、スマホの機内モードを解除する。そして、体が動くままに小走りで館内を出ると、成瀬君に電話をかけた。
2コール、3コール……彼が出るまで、私は諦めなかった。
無視をされている可能性も十分ありえたけれど、そんなことで逃げるのはもう嫌だった。
一分以上が過ぎたその時、ついにコール音が途絶え、声が聞こえた。
『……もしもし』
自分でかけたはずなのに、ドクンと心臓が跳ね上がった。
しかも、自分の声が出せないことも忘れて電話をかけてしまったことに気づき、頭の中が真っ白になっていく。
『もしもし、志倉? 今家じゃないのか?』
どうしよう。電話越しじゃさすがに心を読み取ってもらえないのか。でも、彼の声を聞きながら会話がしたい。
迷っていると、成瀬君は何かを察したのか、『電話繋ぎながらチャットで送って』と提案してくれた。私は言われたとおりにチャットを起動し、彼にメッセージを送る。
【突然ごめんなさい。今北海道にいて】
『は? なんでそんな遠いところに』
【おばあちゃんの家があって、急に呼ばれました】
思ったよりも普通に会話ができていることに驚く。
もう、一週間以上学校では避けられていたから、話してくれないのかと思っていた。
私はスゥッと息を吸ってから、自分が伝えたいことをチャットで整理する。
【成瀬君が岸野君だって知って、正直すごくすごく驚いた】
『……ああ』
【なんで隠してたのって、裏切られたような気持ちにもなった】
そこまで言うと、成瀬君はスマホの向こう側で押し黙ってしまった。
だけど私は、感じたことをそのまま全部伝えるつもりで、文字を打ち込み続ける。
【でもそれ以上に、戸惑った。成瀬君はもう私と一緒にいてくれないかもしれないって、そう思ったら、怒りより悲しみが勝った】
『は……? なんだよ、それ……』
【もう同じ目線で、私のことを見てくれないのかと思ったら、辛かった】
『な……んでだよ。俺のことが憎いだろ、怖いだろ……。そんな情みたいなこと、お前は言わなくていい』
成瀬君が珍しく感情的な声をあげるから、私も自分の中のストッパーを完全に外すことができた。
もう自分の気持ちを、閉じ込めたりしない。大切な人を、失いたくないから。
涙で震えそうな吐息を必死に隠して、私は私の全部をさらけ出す。
【成瀬君のこと、恨んであげないよ】
『は……?』
【恨んであげない。成瀬君が私に恨まれることで、幸せになることを放棄する理由にしてるなら、絶対に恨んであげない】
『志倉……?』
【だから、私にも、成瀬君の本心を聞かせてほしい】
いったい、何夜、何か月、何年、罪の意識に囚われていたのか知れない。
過去はやり直せないし、生まれ持って与えられたものには逆らえない。
だけど、その何もかもを取っ払った世界まで、いつか来てほしい。自分を責め続けて、これ以上自分が生きていく世界を決めつけないでほしい。
私は、待ちたい。成瀬君が、半透明の世界から抜け出してくれる時を。
ねぇ、きっと、私たちの間にあるものなんて、あの絵のように、カーテンを一枚隔てたくらいのものだよ。
風が吹けば飛んでいってしまうような、そんな程度のものだよ。
だから勝手に、自分の世界を線引きしないで。ちゃんと私を“見て”。
『なんでだよ……。お前はいつも……』
しばらくの沈黙の後、成瀬君は脱力したように声を漏らした。その声は、少しだけ震えて聞こえた。
『お前はいつも……、簡単に俺の罪悪感を乗り越えていくんだ……。自分を許すことはできない。許すつもりもない。だけど……』
語尾の言葉が、どんどん掠れて聞き取りづらくなっていく。
成瀬君の本心が見え隠れする言葉に、胸が千切れそうになる。
一言も聞き逃さないように、私は息をひそめた。
『だけど……、お前と話せない一週間が、現実じゃないみたいに長く感じたりするんだ……』
【成瀬君。私は、成瀬君に伝えたいことがある】
『言うなよ』
低い声で制されて、私はびくっと肩を震わせた。
思いを伝えることすら拒まれたのかと落ち込んでいたら、すぐに彼の声が鼓膜を震わせる。
『志倉が好きだ。それが俺の、本心そのものだよ』
地声より、少しだけ低い声で、そう囁かれた。
今、どんな顔をして言っているの。分からないから、早く会いたいと思った。
ただただ、君に会いたいという気持ちだけが、雪のように降り積もっていく。
自分のことを好きになってくれる人が現れる日が来るなんて、想像もしていなかったよ。
抑えきれない涙が、頬を伝い、顎を伝い、乾いたアスファルトを濡らしていく。
『許さなくていいから、志倉に会いたい』
私も、会いたい。成瀬君に会いたいよ。
成瀬君の言葉ひとつひとつが、自分の鼓動となって、心臓に刻み込まれていくみたいだ。
言葉に形はないけれど、このまま、自分の体の一部になってしまえばいいのに。
『……なあ、今、どんな顔してんの? 泣いてんの?』
【泣いてないです】
私は急いで涙を拭って、はなをすすった音が聞こえないように必死に我慢する。
すると、成瀬君はまるでひとりごとを言うかのように、ぽつりと声を落とす。
『……俺の心も、志倉に読めたらよかったのにな』
【それってどういう意味?】
『俺がどんなに志倉を想ってるか、読んでもらえたら、楽だったのに』
それはつまり、私になら心を読まれたっていいってこと?
なんでだろう。どんな言葉より、その言葉が嬉しくて、胸の中がぎゅうっと苦しくなる。
そうだね。これが電話じゃなければよかった。
そしたら、この言葉にできないような、苦しくて張り裂けそうな感情も、全部君に伝えられたのに。
もし、君が今目の前に現れたら、強く強く抱きしめる。
まだ粗削りなこの感情を、そのまま君の鼓動に刻みたいから。
■体温と感情 side成瀬慧
志倉に気持ちを伝えるつもりなんて、一ミリもなかった。
それなのに、気づいたら口から言葉があふれ出ていた。
だから、もう、何もかも明かして壊すしかないと、瞬時にそう思ったんだ。志倉のことを傷つけて、遠ざけて、ほとぼりが冷めたころに記憶を消して、全部何もなかったことにしようって。
志倉との思い出も、俺のこの感情も、最初から全部全部無かったことにしようって……。
それなのに、どうして……。
【成瀬君のこと、恨んであげないよ】
どうしてそんなに、まっすぐなんだ。
どうして、俺の中の罪悪感とも、向き合ってくれるんだ。
傷つけたのは俺なのに。傷ついたのは君なのに。君の世界を変えてしまったというのに。
それなのに、俺の本心しか、聞きたくないと言ってくれるのか。
そんなの、もうとっくに、溢れだしていた。
自分の弱さと向き合う強さも、変わりたいと立ち向かう勇気も、人の痛みに敏感すぎる優しさも、全部、全部。
全部が、俺にとって眩かった。光のようだった。絶対に壊したくないと思った。
傷つけたくないから、そばにいてはいけない、でもそばにいたい。その繰り返しで、何度も過去を思い出して自分の気持ちに蓋をした。だけど、その蓋を志倉がこじ開けた。『成瀬君の本心を聞かせて』と言われたあの瞬間、抑えていた気持ちが溢れだしてしまったんだ。
――岸野明人として生きていたあの頃、俺は志倉のことが憎かった。
親は“奇病のせいで何か問題を起こしたら自分の立場が危うくなる”という自分勝手な理由だけで、俺がいなかったものとできるように、偽名での入学手続きを不正に行った。父が金で解決した映像が頭の中に流れてきたときは、心の中が空っぽになったのを覚えている。
俺は、一切親に信用されていないし、本当に化け物だと思われているんだと。
化け物は大人しく、人様の迷惑にならないように、静かに生きていかねばならないのだと。
容姿も目立たないように完璧に管理をされ、幼少期は一着も自分で服を選んだことがない。顔を覚えられないようにと、黒縁の伊達メガネもつけさせられた。
お手伝いに何を着せられても、次第に何も感じなくなっていった。
勉強やスポーツで目立つと怒られたことがあったため、何も頑張らないと決めた。
そんな時、俺と同じように“消えてしまいたい”と思っている子をクラスで見つけたんだ。
自分の本心を押し殺して、へらへら笑っている女子――志倉を見たら、排気ガスのような苛立ちが胸の中に広がっていった。
俺と違って、“普通”に生きていける人間なのに、なんで消えたいなんて思っているんだ。
だったら、俺の人生と交換しろよ。取り替えてくれよ。
俺の代わりに、透明人間になってこの世をクラゲみたいに死ぬまで彷徨ってくれよ。
誰にも見てもらえずに。誰にも覚えてもらえずに……。
火花のように苛立ちが弾けて、気づいたらあんな言葉を放っていたんだ。
志倉は、目を見開いて、そのあと絶望したような顔をして、喉を抑えて座り込んだ。
あの映像が、スローモーションのように瞼の裏に焼き付いている。
言ってから、激しく後悔した。声が出なくなった志倉を見て、罪を犯したような気持になった。
俺は、言葉で、この子を殺した。
なんにも悪くないこの子を、自分勝手な苛立ちで、殺したんだ。
そして、茫然自失としている間に、廊下からその様子をたまたま見ていた、学園長の孫である女生徒が、ものすごい形相で志倉の元へ駆け寄り、その場にいた女生徒と俺を問答無用でビンタしたのだ。
だけど、なんの痛みも感じなかった。目の前で喉を押さえながら震えている志倉に対して、波のように罪意識が押し寄せる。
志倉の恐怖心がダイレクトに体の中に流れ込んで、俺は言葉を失った。何も言えなかった。消えたいどころではなかった。あの日俺は……死にたいと、思ったんだ。
それからずっと、そんな感情を頭のどこかに浮かべながら、中学・高校と進学し、陸上競技と出会い、走って走ってその空虚な感情と戦って生きていた。
でも、その延命治療のような行動も、陸上部の強制退部によって、ついに終わりが来たんだ。
もういい。俺はもうこの苦しみを誤魔化す術を知らない。人生の終わりが分からないことが、こんなにも絶望的だなんて。こんな苦しみは誰にもわからない。
そう思っていたときに――高校生になった志倉と、再会したんだ。
なんの神様のいたずらかと思った。罪から逃げずにまだ生きろってことか。ふざけんな。もう頑張れねぇよ。怒りに近い感情が爆発した。
だけど、彼女が落としたスケッチブックを見た瞬間、そんな気持ちはどこかへ消えていく。
罪悪感そのものだった彼女が描いた俺の姿は……世界は、本当に美しく見えたから。
その瞬間、当然のように涙が溢れてきた。
許してほしい。俺の全部をあげるから。俺が君の声になるから。瞬間的に、神に願っていた。どうかこの子の瞳には、いつまでも美しい世界が映りますようにと。
だけど彼女は、俺のことを恨んでもくれない。
岸野明人として生きていたあの過去も受け止めて、“今”の俺の気持ちが知りたいと、言ってくれたのだ。
奇跡のような、ことだった。
大切な人なんて、生涯作らないつもりでいた。
だけど、透明人間みたいに生きていた俺を、君だけが見つけてくれた。
この瞬間だけの、夢や魔法だったとしてもいいよ。
今、自分の体が幻のように透けてなくなったっていい。風に飛ばされて消えたっていい。
君が見つけてくれた。
それだけで、世界の美しさに触れられた気がしたんだ。
〇
十月に入ると、放課後になるにつれて少しだけ冷えるようになった。
登校してすぐに志倉のことを探したけれど、どうしてか全く目が合わない。メッセージを送ろうとしたけれど、何も言葉が見つからなくて、今までどんなやりとりをしていたか見返していたら、あっという間に放課後になってしまった。
電話越しの彼女は、多分、泣いていた。
心の声を聞かずに会話をすることがこんなに怖いことなんて、知らなかった。
もしかしたら、あの日のことは本当に俺の都合のいい夢のような気もしてきた。
なんて思っていると、メッセージの受信でスマホが震える。すぐに開くと、『放課後、美術室に来れますか』と、シンプルな言葉が届いていた。俺も『うん』とシンプルな言葉だけ返して、彼女と時間差になるように少し遅れて教室を出る。
しかし、すぐに誰かに呼び止められ、俺は足を止めた。クラスメイトの南だった。
「……なに?」
掴まれた腕を振り払い、冷たく聞くと、彼女は気まずそうに目を泳がせる。
そして、小さな声で俯きがちに問いかけたのだ。
「ごめん。まだ怒ってる?」
「怒ってない。もう何も感じてない、お前に対して」
「うん……、そうだよね」
すぐに去ろうとしたけれど、珍しく本当に落ち込んだような声を出すので、俺は彼女の心の声に耳を傾けた。
さすがに言い過ぎたこと、自分の気持ちが届かなくて悔しかったこと、志倉を傷つけてしまったことを、本当に反省しているようだ。
彼女が思ったことをそのまま言ってしまうのは、本当にその素直さが良くも悪くも影響しているのだと思う。
少しだけ不憫に思ったので、俺は彼女の気持ちとちゃんと向き合うことにした。
「お前、俺のこと好きなの?」
「えっ、えっと……、うん」
俺の唐突な質問に、彼女は一気に赤面し、誤魔化す余裕もなく、ただ素直にうんと頷く。
ずっと好意が駄々洩れていることには気づいていたけれど、“答えがわからない”状況が一番辛いことを、志倉とのことを通して少しは知っているから。
だから、心が読めたとしても、人の気持ちには、ちゃんと向き合わなければと思った。
「俺、好きな子いるから」
ストレートにそう伝えると、ズキッという痛みが、目の前にいる南と共鳴して心臓に走る。
彼女は泣きそうになるのを必死に堪えながら、本当は聞きたくないことをわざわざ問いかけた。
「……それって、志倉さん? あ、ごめん、煽るとか、もうそういうんじゃなくてただ……」
「そう、“志倉さん”」
「あ、そう……なんだ」
「うん、じゃあ」
即答した俺に対して、また心臓に響くくらいのショックを受ける彼女。
そうなるのだったら、聞かなければよかったのに、と思う。
だけど、聞いてくれてよかったとも思う。少しでも、彼女の気持ちを切り替えられる材料になるのならば。
誰かを好きになるという感情は、今まで何度も読み取ってきた。
それはとても儚くて、温かくて、脆くて、不安定で、読み取るたびに心臓が痒くなるような、そんな感情で。
自分に好意が向けられていると分かったときは、わざと嫌われるようなことをして、人を遠ざけていた。
だけど今は、なんて残酷なことをしていたんだろうと思う。
俺はずっと、心が読める力を使って、自分の心だけを守ってきたんだ。
こんなに心の汚い自分が……、志倉に会いに行ってもいいのだろうか。
美術室前に着いたけれど、俺はピタリとその場に立ち尽くす。
この行動は、正しいだろうか。いつか志倉のことを傷つけやしないだろうか。あの日のことは、彼女の本心だったんだろうか。
会ったら、すぐに分かってしまう。何もかも。
――怖い。今まで何も恐れていなかったことが、途端に恐ろしくなってしまった。
相手にどう思われているかを知ることは、こんなにも勇気がいることだっただろうか。
さっきの南の苦しそうな顔が思い浮かんで、俺は美術室のドアに手をかけたまま、開けることができない。
そう思っていると、かすかに誰かの心の声が聞こえてきた。
『会いたい』
『会って早く、気持ちを伝えたい』
『気恥ずかしくて朝は避けてしまったことを、謝りたい』
ふわんふわんとシャボン玉のように浮かんでくる感情たち。
それを聞いたら、強張っていた体の力が徐々に抜けていった。
そして、気づいたら手が勝手にドアを開けていた。
「志倉」
名前を呼ぶと、イーゼルの前で悶々としていた彼女がパッと顔を明るくさせて、こっちを向く。それだけで、胸の端っこがくすぐられたように、むず痒くなる。
しかし、窓を開けていたのか、丁度強い風が吹いてカーテンが大きく膨らみ、彼女の姿を覆い隠してしまった。
急に視界を遮られた彼女は、猫のようにカーテンの中で藻搔いている。俺はそっと彼女の近くに寄り、カーテンの中に入り込んだ。
『うわっ……、びっくりした……』
「朝はよくも無視をしてくれたな」
クリーム色のカーテンに包まれながら、俺は志倉のことを上から見下ろす。
俺の冗談めいた言葉を真に受けた彼女は、焦ったように心の中に言葉を並べる。
『なんだかちょっと気恥ずかしくて……ごめんなさい! 避けました』
「冗談だって。北海道、寒かった?」
『あ、全然、むしろ丁度いい気候で……』
「なんでこっち見ないの?」
『だってなんか、二人きりみたいで』
最初から二人きりではあるが、カーテンで隔てているせいで、余計に閉塞感を抱いたのだろうか。
一度も目が合わないことに、妙に腹が立つ。
でも、久々に見た彼女に、愛しい気持ちがすぐに溢れだして、苦しくなった。
志倉の感情も一緒になって聞こえてくるので、心臓が騒がしい。この鼓動が自分のものなのか、志倉のものなのか、分からなくなるほどに。
暫く見つめ合っていると、彼女はずっと聞きたがっていたことがあるようで、それを心の中で問いかけて来た。
『あの、芳賀義春先生は、成瀬君のひぃおじいちゃんなの……?』
「ああ、そのことか……。誰かから聞いた?」
『うん、勝手に聞いてごめん。でも、少しでも成瀬君との昔のことを思い出したくて』
「そんなこと思い出したって」
辛いだけだろ、と言いかけて、口をつぐんだ。
しかし、志倉はそんな俺に対して、何も動じずに疑問に思ったことを投げかけてくる。
『芳賀先生も、心を読める能力を持っていたの?』
まさか、そんなことまで知っていただなんて。
いや、俺が前に「遺伝性」だと言ってしまったから、予想がついてしまったのか。
あの頃はまだ、志倉が曾祖父のことを知っているとは思っていなかったから。
少し驚いたけれど、俺は志倉の言葉にこくんと静かに頷く。
『やっぱりそうだったんだね』
「好きな画家がそんな奇病を持っていたら、悲しむと思った」
本心をそのまま伝えると、志倉の顔は一瞬とても悲しそうになった。
そして、俺になんて言葉を返したらいいのか分からないまま、感情をぐちゃぐちゃにしている。できることなら、俺だって読み取りたくない。
『成瀬君は、その能力が、憎い?』
まっすぐな目でそう問われ、俺は表情を固まらせた。
彼女は、俺の本心しか知りたくないと思っている。だから嘘はつきたくない。
でも、これ以上汚い自分を曝け出して、嫌われたりしないだろうか。本当の自分を知ってもらうことが、こんなにも怖いだなんて。
だけど、それ以上に、俺は彼女に近づきたい。気づいたら、その気持ちにふっと背中を押されたように、言葉を落としていた。
「憎い……。俺は俺が、この世で一番嫌いだ」
『うん』
「こんな能力がなければ、志倉を傷つけることもなかった……」
どんな顔をして答えたらいいのか分からなくて、俺は顔を俯かせる。
思ったより言葉は弱々しく掠れて、空気をかすかにふるわせる程度の力しか持っていなかった。
どうあがいたって、志倉の声を奪った事実は消えない。罪意識と、彼女への思いは拮抗するばかりだ。
本当はどうしたらいいのかなんて分からないまま、ここまで来てしまった。志倉の気持ちに応える資格もないくせに。
志倉の心理を知るのが怖い――、そう思っていると、聞こえてきた言葉は、予想外のものだった。
『やっと聞けた』
「え……?」
『成瀬君の本音、やっと聞けた。……ありがとう』
「お礼言うの、おかしくない……?」