というわけで、これが愛すべき我が家族だ。
 母親はやたらと口やかましく、わたしの顔を見る度にお小言のひとつも言わなくては気が済まない性分であるようだ。体型はまるで居間にある置物(残念ながら熊の方)のようで、娘に将来の自分の姿を悲観させずにはおかない。パート先のスーパーでは若造の店長よりもでかい面をしているらしい。
 バーコードリーダーで読み取れそうな頭にビール腹という、いかにも〝正しい中年オヤジ〟といった風体の父親は、妻とは対照的に必要以上に無口だ。この人とも長い付き合いではあるものの、いまだに何を考えているのかよくわからないところがある(単に何も考えていないだけかもしれないけど)。いちおう公務員らしいのだが、どんな仕事に携わっているのかまるで想像ができない。
 この歳になると親なんてうざったいばかりだし、できるなら顔を合わせずに済ませたいと思うこともしばしばだ。だけど、決して嫌っているというわけではなかった。
 ボロくて狭いとはいえ、雨風をしのげて温かい布団で眠ることのできる住まいがあり、何もしなくても毎食ごはんが用意され、学校にだってちゃんと通わせてもらっている。おせじにも金持ちとはいえないけど、さりとて貧困ゆえの苦渋を味わわされたこともない。一見水と油のように思えるけど夫婦関係はいたって円満なようで、両親の不仲に幼き心を痛めるといった経験もせずに済んでいる。客観的に見れば、我が家はそれなりにまっとうな家といえるのではなかろうか。父の足が臭いとか、母の料理は味付けが濃いとか、不満をあげればきりがないけど、世の中には親や環境に恵まれない子どもなんて腐るほどいることを考えれば、これ以上を望むのは贅沢というものだろう。
 わたしなりに親には感謝はしているつもりだ。何かのアンケートで〝あなたの尊敬する人は?〟という項目があったら、とりあえず〝両親〟と書いてあげるくらいには。
 それならば、高屋家の一人娘はいったい何が不満で、無軌道な十代を体現するがごとく夜遅くまで繁華街をほっつき歩いたり、殺し屋に頼んでまで若き命をむざむざ散らすような親不孝な行為に及ぼうとするのだろう?――そう自分の胸に問い質さずにはいられない。だが、いくら熱心に耳を傾けてみたところで、わたしのたいして厚みのない胸からはもっともらしい答えなど引き出せそうになかった。
 まったく、どうしてうちの親は不仲だの、離婚だの、虐待だの、アル中だの、借金苦だの、宗教狂いだのいった、子どもが「こんな腐った世界なんてクソ食らえだ!」と自己破壊的な衝動に身を委ねても誰もが納得し、同情を寄せてくれそうなわかりやすい設定のひとつやふたつ用意してくれなかったのだろう。――なんて理不尽な怒りをぶつけたくもなる。
 わたしが死を望む理由はさておいて、たったひとりの愛娘に先立たれたら、両親はさぞや悲しむに違いない。生前、娘にしてしまったこと(テストで悪い点を取った時に叱った件とか)や、してやれなかったこと(お小遣いの値上げを要求されたのに却下した件とか)を大いに悔やみながら、真っ白な灰のように残りの人生を過ごすのだろう。
 あぁ、なんてかわいそうなお父さんとお母さん……。
 両親の胸中を思うと、同情を禁じ得ないわたしだった。
 しかし、そのときふと「本当にそうだろうか?」という疑問が頭をもたげた。親は子どもの死を悲しむのが当然だと考えていたけど、実際のところ、わたしは両親にそうするに値するだけのかけがえのない存在だと思われているのだろうか?
 ……はっきり言って、自信なし。
 人の言うことは聞かないわ、何かと反抗するわ、今日にかぎらずしょっちゅう夜遅くまでほっつき歩くわで、お世辞にもわたしは〝いい子〟であるとはいえないだろう。
 思い返してみても、ねだって始めた習いごとを途中で投げ出したこと数知れず。ちょっかいをかけてきた男子を蹴り倒した咎で親が学校に呼び出された。子どものくせして子ども嫌いゆえに環境になじめず、幼稚園を三度も転園した。父が所有していたプロ野球選手のサインボールを外に持ち出して遊んでいたらドブに落とした。三歳にしておしゃれに目覚め、母親が友人のハワイ旅行のお土産でもらったという高級ブランドの口紅を顔に塗りたくった。自分ではまったく身に覚えがないけど、よく夜泣きをする赤ん坊であったらしい。そういえば、えらい難産で帝王切開したって聞いたなぁ……。
 思い返してみても、これまで親にはさんざん迷惑を掛け通しだった気がする。もしわたし自身が自分の親だったらと考えると、とても耐えられそうにない。
 わたしが親を必要としているようには、親はわたしのことを必要としてはいないのではないだろうか。母がわたしを忌々しく思っているのは、その口うるさい物言いからも明らかだろうし、父が何も言わないのは、単にわたしになんの関心も抱いていないという表れなのかもしれない。
 もしわたしが殺し屋の手にかかって先立つことになったとしても、二人は嘆き悲しむどころか、「厄介者がいなくなってせいせいした」とばかりに歓喜の祝杯を交わすのではなかろうか。
 これはいけない。生きているうちにわたしが失うには惜しい存在であることを二人にアピールしなくては。じゃないと、気分が悪くて死んでも死にきれやしない!
 自身のイメージアップのため、わたしはいったい何をすべきだろう? たとえば、二人を温泉にでも連れて行って機嫌をとるとか――は、いい歳して親と旅行だなんて恥ずかしいし、なにより元手がかかるので却下。もっとお手軽な方法はないものか。
 そうだ、親孝行をするというのはどうだろう。家の手伝いをしたり体をいたわってあげたりすることで、二人の心に「あの子はとても親孝行ないい子だった」という美しい記憶を植え付けてやるのだ。これならたいした手間もかけずにできそうだしね。
 よし、決めた。この作戦で行ってみよう!
 さっそくこの思いつきを実行に移すべく、わたしは便座から立ち上がった。