四時限目終了のチャイムが鳴り、昼休みの時間となった。わたしは大きく伸びをしてまだ体に留まっている眠気を払い落とすと、代わって食欲を満たすべく昼食の準備に入ろうとした。
 そんなとき、チリチリとした熱視線を感じた。わざわざこちらから見返さなくても相手が誰なのかはわかっている。田丸がちらちらとわたしの様子を窺っているのだろう。
 田丸はわたしと一緒にお昼を食べようと画策し、その機会を窺っているのだ。だけど、わたしが素知らぬそぶりでさっさと一人で弁当を食べ始めると、それを目の当たりにした田丸はしょんぼりと肩を落とし、自分も一人で寂しく弁当を食べることになる――そんな駆け引きがここ一週間ほど繰り返されていた。
 わたしとしては、かしましくお喋りをしながら同時に弁当を食べるだなんてマルチタスクを強いられるのは正直勘弁願いたいところだけど、田丸がどうしてもと言うのであれば、その勇気と行動力に敬意を表して付き合ってやらんでもないと考えていた。しかし、田丸はなかなか行動に移そうとはしなかった。長らくシカトされ続けていたせいもあるのだろう、わたしに拒絶されたらどうしようという恐怖で臆病になっているのかもしれない。
 そして今日もわたしの腹時計がタイムアップを告げた。はい残念でした。また明日がんばりましょう。
 わたしが机のフックにかけていたカバンから弁当箱を取り出そうと身を屈めたところ、
「あの高屋さん……お昼をご一緒してもよろしいですか?」
 ついにきたか、と思った。つい顔がほころんでしまったけれど、でもそんなところは相手には見せられないので、平静を装って体を起こし、
「別にいいけど――」
 と、何気ない素振りで返答しかけて、停止した。
 そこにいたのは田丸ではなかった。アニメ声でなかった時点で気付いてしかるべきだったけど、他にわたしを昼に誘う人間がいるとは思わなかったので、つい早合点してしまったのだ。
 目の前にいる相手は、身長、体重、スリーサイズ共に全国の女子高生の平均を割り出したような標準体型。長いとも短いともいえない黒い髪はくっきりと天使の輪が浮かんでいるものの、無造作に後ろで束ねられているため、あまり見栄えはしない。顔立ちも複数の人間の顔写真を合成したらできる、〝整ってはいるけど、これといった特徴のない顔〟といった印象だ。ようするに彼女には、マンガの背景に描かれているモブキャラのような存在だった。ただでさえ人の顔を覚えないわたしだから、クラスメイトとはいえそんな没個性な相手のことなどまったく記憶にないはずだった。
 だけど、わたしは彼女の存在を知っていた。
「女子C!」
 思わず叫んでしまった。そうだ、こいつは先日の昼休み、わたしの睡眠を妨げた三人娘のうちのひとりだ。お仲間二人とは違い、ぱっと見でキャラ説明ができそうなわかりやすい特徴はなく、ほとんど喋らなかったので影が薄かったけど、それでも最後に見せた行動によってその姿は鮮明に記憶に残っていた。
「え?」
 自分が名指しされたとは思わず、女子Cは首を傾げている。
「いったい、何しに来たわけ?」
 警戒してわたしは尋ねた。またこの間のように忠告という名の警告でもしに来たのだろうか。
「ですから、お昼をご一緒したいなぁ、と思ったのですが……」
 女子Cの手にはピンク色の巾着袋があった。そういえば、さっきそんなことを言ってたな。
「……かまわないんですよね?」
 女子Cは今一度確認を求める。たしかにわたしは、反射的に「別にいいけど」と答えはしたものの、それは相手が田丸だと思っていたからであり、まったく別の相手――それも先日やりあったばかりの連中のひとりでは事情が違う。
「あなた、お仲間はいいわけ?」
 そう尋ねながら、わたしは教室の廊下側の席に陣取っている女子Aと女子Bに視線を向けた。見た感じ、彼女たちはわたしと一緒に昼を共にしたいと思っているわけではないようだ。というか、「あんた、いったい何やっているのよ!?」という表情でこちらを睨んでいる。明らかに女子Cの行動に困惑している様子だ。どうも彼女はやつらの差し金というわけではなさそうだ。
「いいんです」
 そう答えた女子Cは声は微かに震えてはいたものの、その表情には強い決意が滲み出ていた。
 勘違いとはいえ一度は了承してしまった手前、わたしとしては「じゃあどうぞ」と答えるより他なかった。
「では、失礼します」
 女子Cはわたしの席とくっつけようと、前の空いている机を静かに動かし始めた。その最中、わたしはちらりと田丸に視線を向けた。
 田丸はうるうるした瞳でこちらを見つめている。それはまるで、ペットショップで隣のケージの子が買われてしまい、自分ひとりが売れ残ってしまった寂しげな子犬を思わせた。
 ええい、そうやって同情を誘うような顔をするんじゃない! あんたがいつまでもぐだぐだしているから人に先を越されるんでしょうが。自業自得だよ。言っとくけど、今回はこっちから助け船を出す気はないからね。そこまでわたしは甘くはないのだ。
 …………。
「……田丸さんも一緒にどう?」
 それは聞こえなかったなら別にいいやというようなかすかな声量だったけど、相手の耳にはしっかり届いたようだ。田丸は自分の机を倒さんばかりの勢いで立ち上がると、まっしぐらにわたしの席に向かってやって来た。
「いやー、誰かと一緒にお昼を食べるだなんて久しぶりだなぁ」
 喜々として空いていたわたしの隣の机をガタガタ動かしてくっつける田丸。見えない尻尾を激しく振っているその姿に、「つくづくわたしも甘いよな……」と思わずにはいられなかった。
「中沢さんもよろしくね」
 田丸はニコニコ顔で女子Cに言った。こいつはそういう名前なのか(あとで名簿を調べて、フルネームが中沢景子であることを知った)。
「よ、よろしく……」
 女子C改め中沢は、どこか引きつった表情で答えた。思わぬ第三者の出現に明らかに困惑している様子だ。思えばこいつは(積極的だったかはともかくとして)田丸いじめに荷担していた人間であるわけで、こうして一人で面と向かわされるのは、さぞやきまりが悪いことだろう。
 一方のいじめられていた側はといえば、そんなことは微塵も気にする様子もなく、鼻歌なんぞ奏ながら楽しげに弁当箱の包みを開けている。
 かくして、こんなよくわからないメンバーで昼を共にすることになったのだった。教室に残っていたクラスメイトは怪訝そうな眼差しをこちらに向けている。わたしとしても、はたして大丈夫なんだろうか……と危惧せずにはいられなかった。