「お母さん、何か手伝おうか?」
わたしは玉のれんの間から顔をのぞかせて母親の背中に尋ねた。
食器を洗っていた母は億劫そうにこちらを振り向く。不審げな目でしばしわたしを睨め付けた後、泡がそそがれたばかりの食器が並ぶ水切りかごを顎で示した。
「拭いて」
父親の〝一文字スピーク〟ほどではないにしても、あまりに簡潔すぎる指示だった。
手伝ってあげようっていうんだから、少しくらい嬉しそうな顔をしてくれてもよさそうなものなのに……と文句のひとつも言いたくなったけど、了承してもらえただけましかと思い、黙って従った。
思い立ってから早五日、わたしの〈親孝行作戦〉はいまだ継続中だ。二日目の時点で忘れかけ、三日目にして面倒臭くなり、四日目には「わたしはいったい何をしているんだろう? こんなこと続けたところでなんの意味もないのに……」と自問せずにはいられなかったけど、このまま投げ出して母に嘲られるのは癪なので(二日目に思い出したのは、母の「今日は役立たずの娘が親孝行したいだなんてバカなことを言ってこないから気が楽だわ」という発言がきっかけだった)、夕食後には欠かさず申し出るようにしていた。
初っぱなから失態を演じてしまったせいで、わたしに手伝いをさせることを渋っていた母だったけど、今では少しは信用して仕事を任せてくれるようになっていた。
わたしは乾いた布巾を使い皿や茶碗を丹念に拭いていく。完全に水気が切られた食器はいったんテーブルの上に大きさや形状ごとに揃えられ、最後に食器棚に収納されることになる。手伝いを始めた頃は、「なんで今時こんなローテクな方法でやってるのさ。食器洗い機を買えば楽なのに」なんて不平を漏らしたものだけど、こうして仕事の成果が目に見えて表れるのはけっこう楽しいものがある。仕事しながら、つい鼻歌なんぞ奏でてしまう。
「……ん?」
でたらめな曲のリズムに合わせ、一時間には前には天ぷらが盛りつけられていた大皿を拭いていたところ、母がじっとわたしを見つめてことに気がついた。
「いちいち警戒しなくても、落として割ったりなんかしないってば」
まだ娘のことが信用できないのかと思い、文句を言ったところ、母は「そうじゃないわよ」と言った。
「麻美、あんた最近、よく家の手伝いをするようになったわよね」
「そうだね」
わたしは大皿をテーブルの上に置きながらうなずいた。
「これまでは、言われても手伝いなんかしなかったくせにさ」
「そうだね」
わたしは次なる獲物――自分のマグカップを手にとってうなずいた。
「それが、自ら積極的に手伝うようになるなんてね」
「そうだね」
わたしはマグカップの中に布巾をねじ込みながらうなずいた。
「どういう風の吹き回し?」
「――は?」
わたしはマグカップを取り落としそうになったものの、なんとか空中でキャッチして難を逃れた。「そうだね」とうなずいたりはせず、「何よ、それ?」と聞き返す。
「だって、おかしいじゃないの」不審に満ちた声で母は言った。「これまで家のことになんてまるで関心のなかった娘が、何か言われたわけでもないのに手伝いをするようになるなんてさ。怪しいったらないわよ。これは絶対、何か裏があるとしか思えないね」
「裏だなんて……」
なんて失敬な。親に孝行を尽くそうという我が子の美しき心の内に薄汚い打算が隠されていると思うだなんて。娘として悲しいったらないよ。……まあ実際、わたしのしていることには裏があるのだけど。
とはいえ、〝いつ死んでもいいように〟という裏を開陳するのはいかがなものかと思うので、この件についてしつこく問い質されても適当にあしらう方針でいくことにした。
「あいにくだけど、小遣いの値上げには応じないよ。もちろん、前借りも却下。我が家の家計は厳しいんですからね」
「そんなこと望んでないよ」
今月も財布の中身がピンチなんで、本当ならおすがりしたいところなんですがね。
「じゃあ、この前のテストの出来がひどかったものだから、結果を見せる前に機嫌を取っておこうって魂胆なんでしょ?」
「そんなんじゃないってば」
引き出しの奥に隠してある中間テストの成績表は絶対に見せられんな。
「まさか、外でよからぬ連中と関わりを持ったことを誤魔化そうとしているんじゃないわよね?」
「そんなこと、あるわけないじゃない」
殺し屋と関わりを持っただなんて言おうものなら卒倒されかねん。
「だったら、いったい何なのよ?!」母はたまらず叫んだ。「どう考えてもおかしいでしょうが。あんたが家の手伝いをするだなんて。何かよからぬ事を企んでいるに決まってるわ!」
「どうだっていいじゃないの、そんなこと。それよりさっさと片付けちゃおうよ。このあと観たいテレビドラマがあるんでしょ? 長男の嫁が姑にいびられるやつ」
一人いきり立っている母親を尻目に、わたしは拭き終えた食器を棚にしまっていった。
わたしは玉のれんの間から顔をのぞかせて母親の背中に尋ねた。
食器を洗っていた母は億劫そうにこちらを振り向く。不審げな目でしばしわたしを睨め付けた後、泡がそそがれたばかりの食器が並ぶ水切りかごを顎で示した。
「拭いて」
父親の〝一文字スピーク〟ほどではないにしても、あまりに簡潔すぎる指示だった。
手伝ってあげようっていうんだから、少しくらい嬉しそうな顔をしてくれてもよさそうなものなのに……と文句のひとつも言いたくなったけど、了承してもらえただけましかと思い、黙って従った。
思い立ってから早五日、わたしの〈親孝行作戦〉はいまだ継続中だ。二日目の時点で忘れかけ、三日目にして面倒臭くなり、四日目には「わたしはいったい何をしているんだろう? こんなこと続けたところでなんの意味もないのに……」と自問せずにはいられなかったけど、このまま投げ出して母に嘲られるのは癪なので(二日目に思い出したのは、母の「今日は役立たずの娘が親孝行したいだなんてバカなことを言ってこないから気が楽だわ」という発言がきっかけだった)、夕食後には欠かさず申し出るようにしていた。
初っぱなから失態を演じてしまったせいで、わたしに手伝いをさせることを渋っていた母だったけど、今では少しは信用して仕事を任せてくれるようになっていた。
わたしは乾いた布巾を使い皿や茶碗を丹念に拭いていく。完全に水気が切られた食器はいったんテーブルの上に大きさや形状ごとに揃えられ、最後に食器棚に収納されることになる。手伝いを始めた頃は、「なんで今時こんなローテクな方法でやってるのさ。食器洗い機を買えば楽なのに」なんて不平を漏らしたものだけど、こうして仕事の成果が目に見えて表れるのはけっこう楽しいものがある。仕事しながら、つい鼻歌なんぞ奏でてしまう。
「……ん?」
でたらめな曲のリズムに合わせ、一時間には前には天ぷらが盛りつけられていた大皿を拭いていたところ、母がじっとわたしを見つめてことに気がついた。
「いちいち警戒しなくても、落として割ったりなんかしないってば」
まだ娘のことが信用できないのかと思い、文句を言ったところ、母は「そうじゃないわよ」と言った。
「麻美、あんた最近、よく家の手伝いをするようになったわよね」
「そうだね」
わたしは大皿をテーブルの上に置きながらうなずいた。
「これまでは、言われても手伝いなんかしなかったくせにさ」
「そうだね」
わたしは次なる獲物――自分のマグカップを手にとってうなずいた。
「それが、自ら積極的に手伝うようになるなんてね」
「そうだね」
わたしはマグカップの中に布巾をねじ込みながらうなずいた。
「どういう風の吹き回し?」
「――は?」
わたしはマグカップを取り落としそうになったものの、なんとか空中でキャッチして難を逃れた。「そうだね」とうなずいたりはせず、「何よ、それ?」と聞き返す。
「だって、おかしいじゃないの」不審に満ちた声で母は言った。「これまで家のことになんてまるで関心のなかった娘が、何か言われたわけでもないのに手伝いをするようになるなんてさ。怪しいったらないわよ。これは絶対、何か裏があるとしか思えないね」
「裏だなんて……」
なんて失敬な。親に孝行を尽くそうという我が子の美しき心の内に薄汚い打算が隠されていると思うだなんて。娘として悲しいったらないよ。……まあ実際、わたしのしていることには裏があるのだけど。
とはいえ、〝いつ死んでもいいように〟という裏を開陳するのはいかがなものかと思うので、この件についてしつこく問い質されても適当にあしらう方針でいくことにした。
「あいにくだけど、小遣いの値上げには応じないよ。もちろん、前借りも却下。我が家の家計は厳しいんですからね」
「そんなこと望んでないよ」
今月も財布の中身がピンチなんで、本当ならおすがりしたいところなんですがね。
「じゃあ、この前のテストの出来がひどかったものだから、結果を見せる前に機嫌を取っておこうって魂胆なんでしょ?」
「そんなんじゃないってば」
引き出しの奥に隠してある中間テストの成績表は絶対に見せられんな。
「まさか、外でよからぬ連中と関わりを持ったことを誤魔化そうとしているんじゃないわよね?」
「そんなこと、あるわけないじゃない」
殺し屋と関わりを持っただなんて言おうものなら卒倒されかねん。
「だったら、いったい何なのよ?!」母はたまらず叫んだ。「どう考えてもおかしいでしょうが。あんたが家の手伝いをするだなんて。何かよからぬ事を企んでいるに決まってるわ!」
「どうだっていいじゃないの、そんなこと。それよりさっさと片付けちゃおうよ。このあと観たいテレビドラマがあるんでしょ? 長男の嫁が姑にいびられるやつ」
一人いきり立っている母親を尻目に、わたしは拭き終えた食器を棚にしまっていった。