荷台に砂利を満載したトラックが、砂埃と排気ガスをまき散らしながら道路を走り去っていった。脇の狭い歩道を歩いていたわたしは、たまらず咳き込んでしまう。
その道はかなり交通量が多く、しかも緩やかな下り坂になっているせいもあり、どの車も法定速度以上のスピードを出して走り抜けていく。ガードレールに守られてはいるものの、ひやりとしたことは一度や二度じゃない。実際、二十年ほど前に下校中の生徒の列に乗用車が突っ込み、二人が死亡する事故があったそうだ。
さいわい、今通学路には車が突っ込んでも大惨事を引き起こすほどの生徒はいない。三年生は現在補習に出ているし、一、二年生も試験前で学校に居残ることを禁止されているため、早々に帰路についたのだろう。
そんな寂しい通学路をわたしは俯き加減で歩いていた。教科書やノートがぎっしり詰まったスクールバッグを背負っているせいもあるけど、今はそれ以上に心のほうがずっしり重く感じられた。
わたし、なんで逃げ出したりしたんだろう? つばささんはあんなに親切に接してくれたというのに、その好意を踏みにじるような真似をして……。
自分の非礼ぶりにほとほと嫌気がさしてしまう。今からでも学校に戻って謝ってきた方がいいかもしれない。それが人として当然の礼儀のはずだから。
そう思う一方、これでよかったんだと開き直る自分もいた。
つばささんは松永先輩の敵なんだ。他の誰よりも先輩のことを嫌っていると言われるような人間なんだ。そんな相手に少しくらい優しくされたからといって気を許しちゃいけない。あんな松永先輩のことを悪く言う人間が集まっているような醜悪な場所からはさっさと逃げ出して正解だったんだ。
そうとも。わたしの行動は決して間違っていないんだ!
わたしは自分に向かって強弁する。しかしどう自己正当化しようとも、重く沈んだ気分はちっとも軽くなってはくれなかった。
大きなため息をつく。それによって少しでも憂鬱が体から抜けてくれることを期待したものの、吐き出された憂いはそのまま体にまとわりつき、よけいに足取りを重くさせるばかりだった。
ニュータウン側へと通じている大きな橋を渡る。巨大な主塔がしょぼくれているわたしを蔑むように見下ろしている。上下四車線の道路を車がビュンビュン走り抜けていく。そんなせわしなさとは対照的に下を流れている川の流れはとても緩やかで、陽の光を受けてキラキラ輝いていた。
――松永先輩に会いに行かなくていいの?
ふとその考えが頭をよぎったのは、似通った家が建ち並ぶニュータウンの通りを歩いている時だった。
わたしが怖い思いをしながらも三年生の教室に行ったのは、ひとえに松永先輩に会うためだった。あいにくそこに先輩はいなかったけど、だからといって会うのを諦めるのは早すぎる。学校にいないのなら、家に行けばいいのだ。――そう、つばささんが提案したように。
わたしがつばささんの提案を蹴ったのは、彼女と一緒という点に問題があったからだ。敵と家に行ったりなんかしたら、松永先輩に変な誤解をされかねない。でも、わたし一人で行く分には何の問題もないはずだ。
一目先輩の顔を見ればこんな憂鬱な気分なんて一瞬にして吹き飛んでしまうに違いない。
よし、今から松永先輩の家に行こう。先輩の家がどこにあるのかは知らないけど、そんなことは職員室で三年生を担当している先生に尋ねるなり、学生名簿を見せてもらうなりすれば簡単にわかるはずだ。まずは学校に戻ることにしよう。――そうと決まればさっそく行動だ!
……と心の中で意気込みはするものの、現実のわたしは今来た道を引き返すことができずにいた。松永先輩に会いたいと思う一方で、なぜか会うのが怖いという二律背反な感情がわたしの中で渦巻いていた。
三年生の教室で女子生徒から聞いた松永先輩が停学になったという話を思い出す。そんなのはただの噂にすぎない。だいたい、そのことをわたしに教えたのは先輩に悪意を持っている人たちなのだ。とうてい信じるに値しない。
とはいえ、松永先輩にはそうなってしかるべき理由があることも理解していた。そう、あの鮮やかな赤い髪だ。停学が妥当かはさておき、そのうち重い処分を受けるだろうことは容易に想像ができた。
わたしたちの自分の証を持つという生き方が決して許されるものではないという現実を改めて思い知らされたような気がした。
でも、わたしを尻込みさせる理由はそれだけじゃない。
わたしだって、校則違反をしている松永先輩のことを快く思っていない生徒がいるだろうことは承知していた。でも一方で、校則に違反しようとも自分らしさを追い求める先輩の姿勢を心の中では賞賛し、密かに応援している人だって少なくないはずだとも信じていたのだ。
だけど、現実はどうだ。今日会った女子生徒たちが松永先輩に対して抱いていたのは冷笑と悪意だけだった。あの優しかったつばささんでさえ敵対者として立ちはだかった。そんな周囲の負の感情が恐ろしかった。
わたしにとってそれは他人事では済まされない。自分の証を守ろうとするわたしも遠からず同じような扱いを受けることになるはずだから。
以前、わたしは沢田さんに自分の証を守るためにはどんな誹謗も甘んじて受ける覚悟があると言った。その信念には一片の偽りもないつもりだ。だけど、過酷な現実を知ってしまった今のわたしに、自分の強さを臆面もなく信じることができるのだろうか……。
わたしは自分の弱気を振り払うように、ぶるぶると激しく頭を振った。校則の規定以上の長さに伸びた髪がびしびしと頬に当たって少し痛い。
おもむろに俯き加減だった顔を持ち上げた。青く澄んだ空ならわたしのいじけた心を吹き飛ばしてくれるに違いない。いつものようにわたしの気持ちを楽にしてくれるはず。――そんな期待を抱きながら空に目を向けた。
しかし――
――がんじがらめに縛り付けるかのように幾重にも張り巡らされた電線。
――串刺しにするかのごとくそびえ立っている赤い鉄塔。
――爆音をあげて引き裂いていく飛行機雲。
学校の屋上から見えるものとは違い、ここの空はとても狭く、はるか遠くに感じられた。
……これはわたしが見たい空じゃない。
わたしは再び頭を垂れると、上を見ないようにしながら足早に家路を急いだ。
その道はかなり交通量が多く、しかも緩やかな下り坂になっているせいもあり、どの車も法定速度以上のスピードを出して走り抜けていく。ガードレールに守られてはいるものの、ひやりとしたことは一度や二度じゃない。実際、二十年ほど前に下校中の生徒の列に乗用車が突っ込み、二人が死亡する事故があったそうだ。
さいわい、今通学路には車が突っ込んでも大惨事を引き起こすほどの生徒はいない。三年生は現在補習に出ているし、一、二年生も試験前で学校に居残ることを禁止されているため、早々に帰路についたのだろう。
そんな寂しい通学路をわたしは俯き加減で歩いていた。教科書やノートがぎっしり詰まったスクールバッグを背負っているせいもあるけど、今はそれ以上に心のほうがずっしり重く感じられた。
わたし、なんで逃げ出したりしたんだろう? つばささんはあんなに親切に接してくれたというのに、その好意を踏みにじるような真似をして……。
自分の非礼ぶりにほとほと嫌気がさしてしまう。今からでも学校に戻って謝ってきた方がいいかもしれない。それが人として当然の礼儀のはずだから。
そう思う一方、これでよかったんだと開き直る自分もいた。
つばささんは松永先輩の敵なんだ。他の誰よりも先輩のことを嫌っていると言われるような人間なんだ。そんな相手に少しくらい優しくされたからといって気を許しちゃいけない。あんな松永先輩のことを悪く言う人間が集まっているような醜悪な場所からはさっさと逃げ出して正解だったんだ。
そうとも。わたしの行動は決して間違っていないんだ!
わたしは自分に向かって強弁する。しかしどう自己正当化しようとも、重く沈んだ気分はちっとも軽くなってはくれなかった。
大きなため息をつく。それによって少しでも憂鬱が体から抜けてくれることを期待したものの、吐き出された憂いはそのまま体にまとわりつき、よけいに足取りを重くさせるばかりだった。
ニュータウン側へと通じている大きな橋を渡る。巨大な主塔がしょぼくれているわたしを蔑むように見下ろしている。上下四車線の道路を車がビュンビュン走り抜けていく。そんなせわしなさとは対照的に下を流れている川の流れはとても緩やかで、陽の光を受けてキラキラ輝いていた。
――松永先輩に会いに行かなくていいの?
ふとその考えが頭をよぎったのは、似通った家が建ち並ぶニュータウンの通りを歩いている時だった。
わたしが怖い思いをしながらも三年生の教室に行ったのは、ひとえに松永先輩に会うためだった。あいにくそこに先輩はいなかったけど、だからといって会うのを諦めるのは早すぎる。学校にいないのなら、家に行けばいいのだ。――そう、つばささんが提案したように。
わたしがつばささんの提案を蹴ったのは、彼女と一緒という点に問題があったからだ。敵と家に行ったりなんかしたら、松永先輩に変な誤解をされかねない。でも、わたし一人で行く分には何の問題もないはずだ。
一目先輩の顔を見ればこんな憂鬱な気分なんて一瞬にして吹き飛んでしまうに違いない。
よし、今から松永先輩の家に行こう。先輩の家がどこにあるのかは知らないけど、そんなことは職員室で三年生を担当している先生に尋ねるなり、学生名簿を見せてもらうなりすれば簡単にわかるはずだ。まずは学校に戻ることにしよう。――そうと決まればさっそく行動だ!
……と心の中で意気込みはするものの、現実のわたしは今来た道を引き返すことができずにいた。松永先輩に会いたいと思う一方で、なぜか会うのが怖いという二律背反な感情がわたしの中で渦巻いていた。
三年生の教室で女子生徒から聞いた松永先輩が停学になったという話を思い出す。そんなのはただの噂にすぎない。だいたい、そのことをわたしに教えたのは先輩に悪意を持っている人たちなのだ。とうてい信じるに値しない。
とはいえ、松永先輩にはそうなってしかるべき理由があることも理解していた。そう、あの鮮やかな赤い髪だ。停学が妥当かはさておき、そのうち重い処分を受けるだろうことは容易に想像ができた。
わたしたちの自分の証を持つという生き方が決して許されるものではないという現実を改めて思い知らされたような気がした。
でも、わたしを尻込みさせる理由はそれだけじゃない。
わたしだって、校則違反をしている松永先輩のことを快く思っていない生徒がいるだろうことは承知していた。でも一方で、校則に違反しようとも自分らしさを追い求める先輩の姿勢を心の中では賞賛し、密かに応援している人だって少なくないはずだとも信じていたのだ。
だけど、現実はどうだ。今日会った女子生徒たちが松永先輩に対して抱いていたのは冷笑と悪意だけだった。あの優しかったつばささんでさえ敵対者として立ちはだかった。そんな周囲の負の感情が恐ろしかった。
わたしにとってそれは他人事では済まされない。自分の証を守ろうとするわたしも遠からず同じような扱いを受けることになるはずだから。
以前、わたしは沢田さんに自分の証を守るためにはどんな誹謗も甘んじて受ける覚悟があると言った。その信念には一片の偽りもないつもりだ。だけど、過酷な現実を知ってしまった今のわたしに、自分の強さを臆面もなく信じることができるのだろうか……。
わたしは自分の弱気を振り払うように、ぶるぶると激しく頭を振った。校則の規定以上の長さに伸びた髪がびしびしと頬に当たって少し痛い。
おもむろに俯き加減だった顔を持ち上げた。青く澄んだ空ならわたしのいじけた心を吹き飛ばしてくれるに違いない。いつものようにわたしの気持ちを楽にしてくれるはず。――そんな期待を抱きながら空に目を向けた。
しかし――
――がんじがらめに縛り付けるかのように幾重にも張り巡らされた電線。
――串刺しにするかのごとくそびえ立っている赤い鉄塔。
――爆音をあげて引き裂いていく飛行機雲。
学校の屋上から見えるものとは違い、ここの空はとても狭く、はるか遠くに感じられた。
……これはわたしが見たい空じゃない。
わたしは再び頭を垂れると、上を見ないようにしながら足早に家路を急いだ。