「な、なんだと? もう一度述べよ」
「昨晩、李夫人は息を引き取りました」
「な、何を言う、あれほど元気であったではないか」
「誠に残念です」
そう言い切る前にばさばさといろいろなものが降ってきた。
武帝は手当り次第に俺の方に物を投げつけているのだろう。
床に頭を擦り付け、動かず耐える。やがて手の届くところに物がなくなったのか、それは止まった。
「何故、何故だ! せめて丁重に葬儀を」
「それも昨夜のうちにすませました」
「何故だっ!?」
武帝の息が整うのをまって告げる。
「帝。妹は毒で死んだのです。ですから帝に万一にでもその影響が及ばないよう面会を控えさせました」
「何だとっ!? 誰だ、誰が李を殺した。誰だ! 一族を皆殺しにしてやる」
「どうかお鎮まり下さい。李夫人はそのようなことは望んでおりません」
「そんなはずはないっ!」
「いいえ、ですから私も申し上げず、誠に申し訳ありません。いかようにも処罰下さい」
「何? 何故延年を罰する話になる。お前は妹を失ったのであろう」
表をあげてほほえむ。なるべく妹に似るように。なるべく妹の面影が残るように。
今日は予め妹が好みそうな柄の服を来て、妹に似せた化粧を施した。帝はますます妹に想いを募らせるだろう。
「至らぬ妹も不相応に帝のご寵愛を頂きましたから恨みを買ったのでしょう。何の後ろ盾もない私と妹がおすがりすることができるのは帝だけです。劉髆公子も同じ立場にあります。帝が仇を誅されれば恨みをかうことになるでしょう」
「そんな、そんなことはないぞ。なんなら劉髆は太子とする」
「なりませぬ。そのようなことをおっしゃられては。ますます劉髆公子が命を狙われてしまいます」
「ならば、ならばどうすればよいのじゃ」
苛立ちの交じる武帝の言葉に用意していた言葉を差し出す。
妹の願いとともに。俺の願いとともに。劉髆を一族の呪いから開放するために。
「李夫人も劉髆公子を心配されておられました。臣の身で申し上げることは誠に僭越ながら、劉髆公子をどこかに封じて頂くことは叶いますでしょうか。小さな村1つでもかまいません。ここにいる限り劉髆公子の身は危険にさらされ、私では守ることが叶いませぬ。せめて辺境にでも封じていただければ劉髆公子が太子の位を望んでいるなどという誤解が生じることも防げます」
「けれどもそんなことをすれば劉髆に会えぬではないか」
「力のなき私をお許し下さい。私は李夫人を守れませんでした。この上劉髆公子の御身を考えますれば」
何度も頭を床に打ち付ける。涙を流す。頭上から、ぐぅ、といううめきが聞こえた。
武帝は劉髆を贔屓できない。そうすれば権力を求める有象無象が劉髆を祭り上げ、消費され、劉髆は潰れて死ぬだけだ。そんなことは武帝は自身の経験からよく知っている。武帝も本来は帝となる立場にはなかった。武帝はやがて、苦渋に満ちた声で告げられた。
「そのように取り計らおう」
数日後、劉髆公子を昌邑王に封じるという下知を頂いた。
昌邑。どうやら海の近くのようだ。長安からなるべく遠く。その願いは叶えられた。
「劉髆公子、健やかにお育ち下さい。延年はそれをお祈り申し上げますね」
「えんねん、またね」
俺は信頼できる部下をともとして、事情がよくわかっていないであろう劉髆を送り出した。
俺は後宮からは出られない。ひょっとしたらもう会うこともないのかもしれない。劉髆が馬車で去るその轍を俺はその日、日が暮れるまで眺めた。どうか、劉髆がどこかの地で幸せに過ごせますよう。
俺は李家の呪いのなかからようやく1人、解き放つことができたのだろうか。顔を上げて暗闇からゆったりと俺を眺め下ろす満月を眺めた。
昌邑王というのは劉髆のために作られた地位だ。どこの馬の骨かわからない宦官の俺では後ろ盾がない。だから俺の協律都尉と同じように新しく作られたのだろう。つまり吹けば飛ぶ。劉髆の地位はまだ盤石ではない。より李家の足場を固めよう。
俺は日々妹に近づくよう化粧を施し、雰囲気を似せた。仕草も全て妹と同じように。
俺がもともとどうだったのか、それはもはやよくわからくなったがそれはそれでかまわない。俺と妹の悲願は李家の呪縛を解き放つこと。妹の子劉髆は倡ではなくなった。あとは広利とその子らに長くの幸せを。
武帝は夜な夜な俺を求め、俺の向こうに妹を求めた。
俺は妹の話をして、妹が話すように神仙について語った。
妹の手紙には8割がたの帝への愛と、2割程度の家族への心配がしたためられていた。
広利は弐師将軍に任命され、汗血馬を得るために大宛に派遣された。血のような汗を流して走る馬らしい。弐師将軍も広利のために作られた役職だ。広利はもともとはただの芸人だ。やはり吹けば飛ぶ。失敗した報が届く度に妹の姿で武帝を取りなした。
武帝は俺をモデルにたくさんの妹の絵を描かせた。
その絵は後宮や宮廷に飾られた。妙なものだ。絵の中で妹が優しげに微笑んでいる。こんな顔だっただろうかと思って手鏡を眺めると、同じ顔が微笑んでいた。
広利が惨敗したらしい。広利はもともとはただの芸人だ。武官としての技量はあるのかもしれないが将として学んだこともないのだろう。武帝はおそらく広利に衛皇后の弟の衛青や甥の霍去病のような英雄としての活躍を期待していたのかもしれないが、広利に将の才はないようだ。あまりの敗戦に長安への帰還禁止の命で留めている。戻ってきてしまうと論功行賞を行わねばならず、広利は罰せられてしまう。
けれどもやはり、武帝は未だに妹を求めている。広利への厚遇は妹への執着が原因だ。この状態を固めたい。
だから伝手を頼って道士に金を握らせた。
「昨晩、李夫人は息を引き取りました」
「な、何を言う、あれほど元気であったではないか」
「誠に残念です」
そう言い切る前にばさばさといろいろなものが降ってきた。
武帝は手当り次第に俺の方に物を投げつけているのだろう。
床に頭を擦り付け、動かず耐える。やがて手の届くところに物がなくなったのか、それは止まった。
「何故、何故だ! せめて丁重に葬儀を」
「それも昨夜のうちにすませました」
「何故だっ!?」
武帝の息が整うのをまって告げる。
「帝。妹は毒で死んだのです。ですから帝に万一にでもその影響が及ばないよう面会を控えさせました」
「何だとっ!? 誰だ、誰が李を殺した。誰だ! 一族を皆殺しにしてやる」
「どうかお鎮まり下さい。李夫人はそのようなことは望んでおりません」
「そんなはずはないっ!」
「いいえ、ですから私も申し上げず、誠に申し訳ありません。いかようにも処罰下さい」
「何? 何故延年を罰する話になる。お前は妹を失ったのであろう」
表をあげてほほえむ。なるべく妹に似るように。なるべく妹の面影が残るように。
今日は予め妹が好みそうな柄の服を来て、妹に似せた化粧を施した。帝はますます妹に想いを募らせるだろう。
「至らぬ妹も不相応に帝のご寵愛を頂きましたから恨みを買ったのでしょう。何の後ろ盾もない私と妹がおすがりすることができるのは帝だけです。劉髆公子も同じ立場にあります。帝が仇を誅されれば恨みをかうことになるでしょう」
「そんな、そんなことはないぞ。なんなら劉髆は太子とする」
「なりませぬ。そのようなことをおっしゃられては。ますます劉髆公子が命を狙われてしまいます」
「ならば、ならばどうすればよいのじゃ」
苛立ちの交じる武帝の言葉に用意していた言葉を差し出す。
妹の願いとともに。俺の願いとともに。劉髆を一族の呪いから開放するために。
「李夫人も劉髆公子を心配されておられました。臣の身で申し上げることは誠に僭越ながら、劉髆公子をどこかに封じて頂くことは叶いますでしょうか。小さな村1つでもかまいません。ここにいる限り劉髆公子の身は危険にさらされ、私では守ることが叶いませぬ。せめて辺境にでも封じていただければ劉髆公子が太子の位を望んでいるなどという誤解が生じることも防げます」
「けれどもそんなことをすれば劉髆に会えぬではないか」
「力のなき私をお許し下さい。私は李夫人を守れませんでした。この上劉髆公子の御身を考えますれば」
何度も頭を床に打ち付ける。涙を流す。頭上から、ぐぅ、といううめきが聞こえた。
武帝は劉髆を贔屓できない。そうすれば権力を求める有象無象が劉髆を祭り上げ、消費され、劉髆は潰れて死ぬだけだ。そんなことは武帝は自身の経験からよく知っている。武帝も本来は帝となる立場にはなかった。武帝はやがて、苦渋に満ちた声で告げられた。
「そのように取り計らおう」
数日後、劉髆公子を昌邑王に封じるという下知を頂いた。
昌邑。どうやら海の近くのようだ。長安からなるべく遠く。その願いは叶えられた。
「劉髆公子、健やかにお育ち下さい。延年はそれをお祈り申し上げますね」
「えんねん、またね」
俺は信頼できる部下をともとして、事情がよくわかっていないであろう劉髆を送り出した。
俺は後宮からは出られない。ひょっとしたらもう会うこともないのかもしれない。劉髆が馬車で去るその轍を俺はその日、日が暮れるまで眺めた。どうか、劉髆がどこかの地で幸せに過ごせますよう。
俺は李家の呪いのなかからようやく1人、解き放つことができたのだろうか。顔を上げて暗闇からゆったりと俺を眺め下ろす満月を眺めた。
昌邑王というのは劉髆のために作られた地位だ。どこの馬の骨かわからない宦官の俺では後ろ盾がない。だから俺の協律都尉と同じように新しく作られたのだろう。つまり吹けば飛ぶ。劉髆の地位はまだ盤石ではない。より李家の足場を固めよう。
俺は日々妹に近づくよう化粧を施し、雰囲気を似せた。仕草も全て妹と同じように。
俺がもともとどうだったのか、それはもはやよくわからくなったがそれはそれでかまわない。俺と妹の悲願は李家の呪縛を解き放つこと。妹の子劉髆は倡ではなくなった。あとは広利とその子らに長くの幸せを。
武帝は夜な夜な俺を求め、俺の向こうに妹を求めた。
俺は妹の話をして、妹が話すように神仙について語った。
妹の手紙には8割がたの帝への愛と、2割程度の家族への心配がしたためられていた。
広利は弐師将軍に任命され、汗血馬を得るために大宛に派遣された。血のような汗を流して走る馬らしい。弐師将軍も広利のために作られた役職だ。広利はもともとはただの芸人だ。やはり吹けば飛ぶ。失敗した報が届く度に妹の姿で武帝を取りなした。
武帝は俺をモデルにたくさんの妹の絵を描かせた。
その絵は後宮や宮廷に飾られた。妙なものだ。絵の中で妹が優しげに微笑んでいる。こんな顔だっただろうかと思って手鏡を眺めると、同じ顔が微笑んでいた。
広利が惨敗したらしい。広利はもともとはただの芸人だ。武官としての技量はあるのかもしれないが将として学んだこともないのだろう。武帝はおそらく広利に衛皇后の弟の衛青や甥の霍去病のような英雄としての活躍を期待していたのかもしれないが、広利に将の才はないようだ。あまりの敗戦に長安への帰還禁止の命で留めている。戻ってきてしまうと論功行賞を行わねばならず、広利は罰せられてしまう。
けれどもやはり、武帝は未だに妹を求めている。広利への厚遇は妹への執着が原因だ。この状態を固めたい。
だから伝手を頼って道士に金を握らせた。