「嘘をつけ。まあいい。明日には店と小屋を潰して、おまえをここでひん剥いてやるからな」
下卑た笑いを響かせながら、李は巨体を揺らして帰っていった。
しばらく呆然としていた華は、やがて肩を落とす。眦には涙がにじんだ。
地代を払えないのは自分の努力が足りないからなので、辱めを受けるのは仕方のないことかもしれない。
けれど、そうしたら婆様はどうなるのだろう。李のことだから男衆を呼んで、婆様を河原に打ち捨てかねない。
絶望に打ちひしがれていると、なぜか息せき切った瑛琉がひとりで戻ってきた。
「話は聞いていた。今、華の体に痣があると言っていたな。どんな痣で、どこにあるんだ?」
真摯な双眸で訊ねてくる瑛琉を、ぼんやりと見つめる。
そんなことはどうでもよいと思うが、なぜ気になるのだろうか。
「……腰の左側にあるの。赤い花びらみたいな形よ。生まれたときからあるのかなぁ……」
「見せてくれ」
「いやよ。……もう帰って。今まで、饅頭を買ってくれてありがとう」
華は店じまいを始めた。明日には店は取り壊されてしまうのだ。ここで饅頭を売るのも、今日限りになる。
だが瑛琉は節くれだった長い指から指輪を引き抜くと、華のてのひらに持たせた。
「俺と、結婚しよう」
突然の宣言が理解できず、目を瞬かせる。
瑛琉の眼差しは怖いくらいに真剣で、握りしめてきた手はひどく熱かった。
「な、なにを言っているの?」
「前から求婚しようと思っていた。だが、もう待てない。華を李の愛人にはさせない。明日は花嫁を迎える馬車で来るから、それまでここで待っていてくれ」
唖然として、瑛琉の紡いだ言葉を胸のうちで反芻する。
華の不遇を憐れんで、結婚を申し込んだのだろうか。
助けてくれるのはありがたいけれど、金のためや善意で結婚しても、お互いに不幸になってしまうのではないかと思う。
「だめよ、そんなの。指輪は受け取れないわ。それに薬だって、李に奪われてしまったんだもの。なにも守れない私が瑛琉の花嫁に相応しいわけない」
「その指輪は青龍の魂だ。預かっておいてくれ。じゃあ、明日な」
返そうとした指輪を強引に押し戻した瑛琉は、駆け足で去っていった。
溜息をついた華は改めて手の中の指輪に目を落とす。
深い湖のごとき青い輝きを秘めた大粒の宝玉は、世界にふたつとない高価な代物だとわかる。まさに四神獣のひとつである、青龍が宿っているかのようだ。
結婚の証として贈るものなのかもしれないが、とても受け取れない。明日、瑛琉が訪れたときに返却しよう。
でも、それまでは――。
瑛琉の魂を抱きしめていても、いいだろうか。せめて、明日の陽が昇るまで。
華はきつく握りしめた青い指輪を、胸元に引き寄せた。
翌朝、眩い太陽が天に昇るのを、華は憂鬱な気持ちで迎えた。
もはや李の愛人になるしか道はないと諦めていた。それしか、婆様を守る方法はない。瑛琉が花嫁にすると言ってくれたのは、都合のよい幻聴だったのだ。
婆様にはなにも話していないので、華は平気なふりをして小屋を出た。
すると、道に人だかりができていた。遠くからは、シャンシャン……と流麗な音色が鳴り響いてくる。
あれは花嫁を迎えるときに鳴らす楽の音色だ。どこかで花嫁行列があるのだろうか。
ややあって、見物していた人々の歓声が湧いた。
無数の花飾りと提灯に彩られた壮麗な馬車に、花婿が乗っている。馬車の周囲には大勢の着飾った召使いと楽士隊を従えていた。飾りや召使いが多いほど財力があるという証になるのが、この地域の習わしである。そうして花婿は豪華な馬車で花嫁を迎えに来るのだ。
あんなに素敵な馬車で迎えられた花嫁は、世界でいちばん幸せだろう……。
自分の運命と比べて気落ちしていた華だが、花婿の顔をよく見たとき、仰天した。
「え、瑛琉⁉」
青龍が刺繍された豪華な上衣下裳に身を包んでいるのは、瑛琉だった。
まさか、瑛琉が迎えに来た花嫁とは――。
饅頭屋の前で、ぴたりと行列はとまった。
馬車に張りつくようにして眺めていた李と麗の親子が、期待に満ちた目を瑛琉に向ける。
だが瑛琉は馬車から降りると、まっすぐに華のもとへやってきた。
端正な相貌が華麗な衣装で、より際立っている。彼はまさに青龍のごとき気品を漂わせていた。
「約束通り、迎えに来た。俺の華嵐妃」
聞き慣れない言葉に、華は目を瞬かせる。
華嵐妃とは、どういうことだろう。
指輪を返そうと、手をさまよわせる。瑛琉は指輪を握っている華のてのひらごと包み込むと、馬車に導いた。
「あ、あの、瑛琉……?」
「婆様は宮廷の医局で、医者に診せるから心配ない。――おまえたち、丁重に婆様を搬送しろ」
心得た召使いたちが小屋へ向かう。彼らは婆様を担架に乗せて運びだした。
なぜ宮廷の医局へ連れていってもらえるのかよくわからないが、婆様は助かるのだ。それだけで華の肩の荷が下り、安堵に包まれた。
下卑た笑いを響かせながら、李は巨体を揺らして帰っていった。
しばらく呆然としていた華は、やがて肩を落とす。眦には涙がにじんだ。
地代を払えないのは自分の努力が足りないからなので、辱めを受けるのは仕方のないことかもしれない。
けれど、そうしたら婆様はどうなるのだろう。李のことだから男衆を呼んで、婆様を河原に打ち捨てかねない。
絶望に打ちひしがれていると、なぜか息せき切った瑛琉がひとりで戻ってきた。
「話は聞いていた。今、華の体に痣があると言っていたな。どんな痣で、どこにあるんだ?」
真摯な双眸で訊ねてくる瑛琉を、ぼんやりと見つめる。
そんなことはどうでもよいと思うが、なぜ気になるのだろうか。
「……腰の左側にあるの。赤い花びらみたいな形よ。生まれたときからあるのかなぁ……」
「見せてくれ」
「いやよ。……もう帰って。今まで、饅頭を買ってくれてありがとう」
華は店じまいを始めた。明日には店は取り壊されてしまうのだ。ここで饅頭を売るのも、今日限りになる。
だが瑛琉は節くれだった長い指から指輪を引き抜くと、華のてのひらに持たせた。
「俺と、結婚しよう」
突然の宣言が理解できず、目を瞬かせる。
瑛琉の眼差しは怖いくらいに真剣で、握りしめてきた手はひどく熱かった。
「な、なにを言っているの?」
「前から求婚しようと思っていた。だが、もう待てない。華を李の愛人にはさせない。明日は花嫁を迎える馬車で来るから、それまでここで待っていてくれ」
唖然として、瑛琉の紡いだ言葉を胸のうちで反芻する。
華の不遇を憐れんで、結婚を申し込んだのだろうか。
助けてくれるのはありがたいけれど、金のためや善意で結婚しても、お互いに不幸になってしまうのではないかと思う。
「だめよ、そんなの。指輪は受け取れないわ。それに薬だって、李に奪われてしまったんだもの。なにも守れない私が瑛琉の花嫁に相応しいわけない」
「その指輪は青龍の魂だ。預かっておいてくれ。じゃあ、明日な」
返そうとした指輪を強引に押し戻した瑛琉は、駆け足で去っていった。
溜息をついた華は改めて手の中の指輪に目を落とす。
深い湖のごとき青い輝きを秘めた大粒の宝玉は、世界にふたつとない高価な代物だとわかる。まさに四神獣のひとつである、青龍が宿っているかのようだ。
結婚の証として贈るものなのかもしれないが、とても受け取れない。明日、瑛琉が訪れたときに返却しよう。
でも、それまでは――。
瑛琉の魂を抱きしめていても、いいだろうか。せめて、明日の陽が昇るまで。
華はきつく握りしめた青い指輪を、胸元に引き寄せた。
翌朝、眩い太陽が天に昇るのを、華は憂鬱な気持ちで迎えた。
もはや李の愛人になるしか道はないと諦めていた。それしか、婆様を守る方法はない。瑛琉が花嫁にすると言ってくれたのは、都合のよい幻聴だったのだ。
婆様にはなにも話していないので、華は平気なふりをして小屋を出た。
すると、道に人だかりができていた。遠くからは、シャンシャン……と流麗な音色が鳴り響いてくる。
あれは花嫁を迎えるときに鳴らす楽の音色だ。どこかで花嫁行列があるのだろうか。
ややあって、見物していた人々の歓声が湧いた。
無数の花飾りと提灯に彩られた壮麗な馬車に、花婿が乗っている。馬車の周囲には大勢の着飾った召使いと楽士隊を従えていた。飾りや召使いが多いほど財力があるという証になるのが、この地域の習わしである。そうして花婿は豪華な馬車で花嫁を迎えに来るのだ。
あんなに素敵な馬車で迎えられた花嫁は、世界でいちばん幸せだろう……。
自分の運命と比べて気落ちしていた華だが、花婿の顔をよく見たとき、仰天した。
「え、瑛琉⁉」
青龍が刺繍された豪華な上衣下裳に身を包んでいるのは、瑛琉だった。
まさか、瑛琉が迎えに来た花嫁とは――。
饅頭屋の前で、ぴたりと行列はとまった。
馬車に張りつくようにして眺めていた李と麗の親子が、期待に満ちた目を瑛琉に向ける。
だが瑛琉は馬車から降りると、まっすぐに華のもとへやってきた。
端正な相貌が華麗な衣装で、より際立っている。彼はまさに青龍のごとき気品を漂わせていた。
「約束通り、迎えに来た。俺の華嵐妃」
聞き慣れない言葉に、華は目を瞬かせる。
華嵐妃とは、どういうことだろう。
指輪を返そうと、手をさまよわせる。瑛琉は指輪を握っている華のてのひらごと包み込むと、馬車に導いた。
「あ、あの、瑛琉……?」
「婆様は宮廷の医局で、医者に診せるから心配ない。――おまえたち、丁重に婆様を搬送しろ」
心得た召使いたちが小屋へ向かう。彼らは婆様を担架に乗せて運びだした。
なぜ宮廷の医局へ連れていってもらえるのかよくわからないが、婆様は助かるのだ。それだけで華の肩の荷が下り、安堵に包まれた。