放課後、授業の終了とともに教室を出た凛花は、寄り道もせず家路を急ぐ。これは、小学生の高学年になった頃からの習慣だ。一刻でも早く帰宅し、鉄板の前に立つためだ。

 いつもの電車に乗り込んだ凛花は、空きスペースの少なさに普段よりも乗客が多いことに気付く。いつもより学生服が多いのだ。すぐに自分の状況と照らし合わせ、その理由を推測する。どこの学校も試験週間なのだ。

 試験の1週間前になると、あらゆるクラブが活動を停止する。100%とは言えないが、クラブ活動がないからといって、試験期間中に遊び回る学生はいない。そうすると、必然的に普段同じ電車にならない学生と下校時間が重なる。川中高校の中間試験は来週だ。当然、他の高校も同じようなスケジュールだろう。

 川中高校は中心部から離れた位置にあるため、それでも自分の周りには十分に余裕がある。しかし、中心部に直結している中央駅に停車すると、一気に乗客が増えて身動きができなくなる。帰宅するためにはどうしても通過しなければならないのだが、この状況に凛花は辟易する。
 奥に押し流されてしまうと降車できなくなる可能性があるため、必死に出入口のポールにしがみ付きどうにか扉の近くをキープ。ようやく西川駅に到着した時、凛花は真っ白な灰になっていた。


「ただいま」

 店舗とは反対側にある自宅の玄関を開け、凛花はバタバタと家の中に入る。そして、手と顔を念入りに洗うと、TシャツとGパンに着替えて凛花は奥へと急いだ。奥へと伸びる廊下の突き当たり、そこの引き戸から先が店舗になっている。
 途中で手にした真っ赤なカープエプロンを装着し、凛花はキュルキュルとレールを鳴らした。

「おかえり」
「ただいま」

 店主である母親に応えながら、サッと店内を確認する。
 時刻は17時前。席が埋まるには、まだ少し時間が早い。

 今日も大勢のお客さんに来てもらいたいと思うが、その状況を塑像すると凛花は息が苦しくなる。藁にもすがる思いで、凛花は平良に話し掛けた。しかし、自分の妄想が現実になることなどなかった。

 勝手に期待し、勝手に落胆する。冷静に考えれば、ただ迷惑なだけだっただろう。今度、謝りに行かなければならない。


「それで、昨日そこに座っていた彼は・・・えっと、平良君だっけ? どうだった?」

 昨日の閉店後、後片付けをしながら凛花は母である店主に、平良のことについて話しをしていた。
 「もしかすると、何かの占いができるのかも知れない。もしそうなら、アルバイトとして雇ってもいいか」と。先走りもいいところで、100メートル先に穴があったら、誰よりも先に走って飛び込みたいくらいだ。

「うん、まあ、何と言うか・・・普通の高校生みたい」

 歯切れの悪い凛花の返事に対し、母親は柔らかく微笑む。

「それはそうよね。そんなにホイホイ占いの達人が見付かるはずがないし、そもそも母さん自身が何もできないしね。お祖母ちゃんが特別だったたけ。だから、母さんは味で勝負することに決めたの。今度新作のバナナチョコレート入り・・・いらっしゃいませ」
「いらっしゃい―――」

 のれんを掻き分けて入って来たのは、下校途中の平良だった。平良は店主と凛花に視線を送り、軽く頭を下げる。

「こんにちは」

 昼のことを思い出して気まずいものの、それでも謝罪しようと決意する。凛花は自分の真正面、一番奥の席へと平良を誘導した。

「肉たまソバ」
「そうくるか!!」

 丸椅子に着席と同時に注文する平良に、思わず大きいヘラでツッコミを入れる凛花。しかし、目を閉じて大きく深呼吸をした後、ボールに入った生地を練り始める。生地を練りながら、凛花はチラチラと平良の様子を窺い、謝罪のタイミングを図る。

 しかし、生地を覗き込んでいた平良が、先に口を開いた。

「立花さんに自分の不甲斐なさを嘆かれちゃ、僕は生きている資格さえないよ」

 凛花は手を止め、勢いよく顔を上げた。
 それは、誰にも言っていない、凛花の心に巣食う悪魔だった。
 誰も知らないはずの、凛花の闇。

「平良が、どうして―――――」

「いらっしゃいませ」

 店主の明るい声が店内に響く。セーラー服姿の女子高生が2人、姿勢を低くしてのれんをくぐってきた。2人はキョロキョロと店内を見渡し、誰もいないことを確認して口を開いた。

「だいじょう・・・ぶ、ですよね?」

 店主の表情を窺う女子高生と、その後ろで背後霊の様に佇む女子高生。その2人に、凛花は見覚えがあった。それもそのはずで、2人とも川中高校の同級生だった。