平良には、カギが見える。
ちょうど人の胸の辺り、つまり心臓近辺にカギが見える。
幼い頃からソレが見えていた平良は、ごく当たり前のことなのだとずっと思っていた。しかし、幼稚園の年中の時、そのカギが他の人には見えていないことを理解する。
仲良しだった友達に、カギについて話しをした。「うんうん」と話しを聞いていた友達が、翌日中心になって平良を嘘吐きだと除け者にした。当たり前の事実を口にしただけにも関わらず、暫くの間、誰も平良と口をきいてくれる者はいなかった。それから1ヶ月以上が過ぎたある日、平良が除け者にされている状況に幼稚園の先生が気付き、双方から事情を聞いてようやく仲裁した。
幼稚園児など単純なもので、先生が注意したことによって平良が除け者にされる事態は終息する。「みんな仲良し」だと合唱して、何事もなかったかのように。
最後に先生が、平良の耳元でこう言った。
「あまり嘘を吐いてはダメよ」
この一件で、平良は他の人にはカギが見えていないことに気付いた。嘘吐きだと言われ除け者にされた痛みが、否応無しにそれを悟らせたのだ。それ以降、平良が他人にカギのことを話すことはなくなった。
しかし、そうなると、自分にしか見えていないカギが一体何なのか。平良はどうしても知りたくなり、その共通点について調べ始める。
カギは全ての人たちに付いているものではない。それに、色も大きさも違う。巨大なモノになれば、肩幅を同じくらいの大きさになり、小さなモノは手の平でも隠れる程度だ。
検証を始めて数年。平良は小学生になっていた。
それまでずっと考え続けていた平良は、ようやくカギが一体何なのか、それが一体何を示しているのか分かるようになった。
カギが示しているもの、それは、その人の悩み。その悩みの深さ、困難さをカギが自らのサイズによって示している。心配事や悩み後が解決困難であり、その人の心を圧迫している場合、カギはそれに比例して大きく、複雑な構造になる。巨大なカギが、その人の心をロックしているのだ。
だから、カギが見える人は例外なく心を閉ざしている。どすることもできず、ただ自分の不甲斐なさを嘆いている。
ただし、その人自身が誰にも心を許していないという意味ではない。ある部分において、「自分を偽っている」ということだ。分かりやすく説明すると、誰にも打ち明けていない悩みとか、不安とか、そういった秘密を自分の中で押し殺しているということだ。
答えに辿り着いた平良は、そのことについて一切口を開かなかった。幼稚園の時と同じように、仲間外れにされることが怖かった。嘘吐きだと罵られることが嫌だったのだ。
そんなある日、クラスメイトの女子生徒が、小さな身体からはみ出るくらいのカギをつけて登校してきた。いつものように、平良はそれを無視した。しかし、今にも窓から飛び降りそうな彼女に、我慢できずに声を掛けてしまう。
彼女は怖かったのだろう。ほとんど話したこともないようなクラスメイトに、突然、「相談にのるよ」と声を掛けられたのだから。誰にも言っていない悩み。昨日、下校した後に起きたであろう原因。誰にも打ち明けていない悩みを、ただのクラスメイトである平良が知っていてはいけなかった。
その後の展開や平良の処遇は、あの幼稚園の比ではなかった。知的レベルが上がっているだけに、小学生は狡猾に、そして残酷なことをする。先生に気付かれないように、平良は半年以上、ストーカーだとか変質者だとか散々罵られた挙げ句、当然の帰結として「いない人」として扱われた。
平良は全てを無にした。
感じることを止めた。
何も感じなければ、あんな思いをすることはなかった。
何もしなければ、あんな絶望することもなかった。
だから、無になった。
見てみぬふり。
関わらない。
誰も助けない。