午後、宦官の言った通り先ぶれの後に冷帝が麗華の前に姿を現した。面長の顔にすっと切れ長の双眸、鼻筋が通っており、冷帝の呼び名の通り口を一文字に引き結んでいる。厳かに依林がこうべを垂れると、麗華も倣って頭を下げた。
「陛下にお越しいただき、嬉しく存じます」
「そのような形式の挨拶は良(よ)い。お前のその翠の瞳を見に来た」
飾り気のない言葉でいきなり瞳のことを言われて、麗華は呆気にとられた。こうも単刀直入に瞳にしか興味がない、と言われると、いっそ気持ちいいのだと麗華は知った。
「良く見せてみろ。その珍しい瞳の色を」
冷帝は麗華の目の前に立ち、麗華を見下した。見上げる麗華から視線をそらさずじっと麗華を見つめる黒の瞳は、麗華の瞳に何を見ているのだろう。
「……ふむ。噂に違わぬ澄んだ翠だ。真に朱家の娘だな」
「……清泉さまは、この瞳の色に何か所以があるのですか……?」
麗華の問いに、皇帝はふん、と麗華を見下した。
「翠玉は宝物殿に数多あるが、翠の瞳はないからな。見てみたかっただけだ」
そう言って皇帝は麗華の前にどかりと座った。じっと見つめられる視線が居心地悪い。大体の人はこの瞳の色に驚き、そして視線を背けるのに。
「い、今、お茶をお出しします。お待ちくださいませ」
麗華が緊張してそう言うと、皇帝は要らん、とひと言で止めた。そして続けた言葉で麗華を驚愕させる。
「毒を盛られるかもしれぬものを、やすやすと口にすると思うな」
なんてことだろう。やっぱり自分が呼び寄せた女が自分を殺そうとしていると思っているんだ。確かに強引な召し上げだったけど、皇帝を嫌っていたわけじゃないのに。
麗華は椅子から立ち上がり、家から持ってきた荷物の中の抱えるほどの鞄を持って、皇帝の前にもう一度座った。
「清泉さまに毒が盛られたら、私がこれらの薬を処方して飲ませます。これで信じては頂けませんか?」
麗華は持ってきた鞄の蓋を開けて、乾燥させた薬草の数々を見せた。皇帝はそれに驚いたようで、少し目を見開いて、ほう、と呟いた。しかし。
「だが、その薬草こそが毒物でないという証拠は何処にある」
かえって不信を招いてしまい、麗華は肩を落とした。そこで今度は星読みの道具を机に並べた。
「なんだこれは」
今度は皇帝が麗華のすることに食いついた。よしよし、と思って麗華は皇帝に星を読むところを見せてみた。
「清泉さまの星を、この道具で読みます。盤は星を、サイコロは方角を示します」
そう言って星の描かれた盤の上でサイコロを転がすと、結果を厳かに告げる。
「天頂……、陛下の星には巨大な凶星が見えます。しかしその後ろに吉星が輝いています。暫くは危ないことがおありかもしれませんが、結果、ことは上手く収まります」
麗華が述べた占いに、皇帝はふん、と鼻を鳴らした。
「お前がその凶星の元でないと言えるのか。くだらない占いをするな」
全くもって取り付く島もない。そんなに麗華を信じられないのなら、何故召し上げたのか。やはり瞳の色だけが理由なのだろうなと、麗華は思った。ならばこう応じるだけだ。
「陛下のご興味が私の瞳だけでしたら、陛下はご意志のままに私の目を抉り取れば良いのです。そうすれば、煩い戯言を聞かずに済みます」
真っすぐ皇帝を見てそう言うと、皇帝もまた真っすぐに麗華を見て、それから少し口の端を上げた。
「面白い。そこまで言うなら、抉ってやろうか」
そう言って皇帝は腰に差していた刀を引き抜くと、太刀先を麗華の目の横にぴたりと合わせた。
「…………」
「こうすれば、直ぐにでも翠の瞳が手に入る。さあ、どうする」
皇帝は目を細めてそう言った。麗華はごくりと唾を飲み込むと、震えないように口を開いた。
「皇帝陛下がご所望ならば、それまでのことです」
しんと静まり返った部屋の窓の外を、さあっと風が抜けていく。さわさわと梢が靡いて、その音が止んだ時に、皇帝が声をあげて笑った。
「は……! ははは! これは面白い! 自分の価値を瞳の色だけだと断じたこと、まことに面白い!」
皇帝は笑ったまま立ち上がると麗華の宮から去って行った。その笑い声は何時までも麗華の耳にこだました。