「ふぅ……」
僕は自室で大きなため息をつく。
あれから、僕は飯島さんと上手く接することが出来ずにいた。
どうしても、彼女に話しかけようとすると体が強張る。
今まで自然に話せていたのに、それが突然できなくなった。
「……恋って、難しい……」
輝は、こんな気持ちを持っていたのだろうか。
どこかもどかしく、会いたいと思ってしまう。
僕は飯島さんの連絡先を知らないし、家がどこにあるのかも知らない。
だから、彼女に会えるわけがない。
だけど、心は会いたいと願っている。
これが、苦しい。
ここまで苦しいと嫌気がさしてもいいほどなのに、嫌気どころか嫌悪感すらでてこない。
とりあえず、小説を読んで気持ちを落ち着かせよう。
僕は適当に本棚から文庫本を抜き出す。
そして、表紙を見た瞬間、心臓がズキンと跳ねた。
その表紙にいる少女が、飯島さんにそっくりだったからだ。
「難しいな……」
一人で処理を出来ない想いを持ちながら、僕は枕に顎をのせて、読書を開始した。
だが、数日空いたからか、もしくは物語の登場人物に共感して、深読みをしたからかどちらかは分からないけど、いつもは三百ページの小説なら、約二時間ほどで読み終えるのに、今日はその二倍ほどの時間がかかってしまった。
「僕、どうなってしまうんだろ……」
行き場の無い想いに恐怖すら覚える。
気を抜けば、僕が僕じゃなくなってしまう気がするから。
僕は、どうすることも出来ない想いを持ちながら、夏休みの最終日を迎えた。
朝起きて、顔を洗う。
鏡のなかにいる僕は、どこか寂しげで暗い顔をしていた。
飯島さんと出会ってから、初めて自分で意識をした暗い顔。
自身の醜さに少し嫌悪感が沸く。
僕は、こんな顔をしていたのか。
自分でも、こう思うくらいの酷く暗い顔が鏡のなかで無理矢理笑顔を作ろうとしていた。
顔を二度洗って、朝ごはんにイチゴジャムを塗ったトーストを食べ、それから、身だしなみを整えて、家を出る。
今日は、以前言っていたようにカラオケやミニゲーム大会などの娯楽も挟むらしく、集合場所は新黄駅になったので、そこまでガタンゴトンと電車に揺られた。
駅で待っていると、飯島さんがやって来た。
ベージュの帽子にモカピンクのドッキングブラウス、黒のフレアパンツを着ていた。
その姿にドキッとしてしまうほど、僕の心は恋心に支配されていた。
「おはようっ! 不知くんっ! 今日もいい天気だねー!」
「おはよう。そうだね」
「不知くん、どうかした? 暗いよ?」
「いつもだから」
だめだ。
やはり、本人を前にすると上手く言葉を紡ぐ事が出来ない。
そして、ぶっきらぼうというか素直になれない。
いつものように会話が続かず、僕らの会話に珍しく、無言の時間が流れる。
別に無言は慣れていると思っていたが、この時間が気まずい。
飯島さんに出会ってから、いい風にも悪い風にも変えられたと僕はここで思う。
「不知くん」
飯島さんが僕の名前を呼ぶ。
僕を見つめる瞳はまっすぐで、純粋だった。
「なにかあったの?」
単なる好奇心か生粋な心配のどちらかだと思う。
どちらも好意的に見れるが、そのまなざしが胸を締め付ける。
痛くて、苦しくて、それでも、この想いは大きく膨れ上がる。
この想いのまま、伝えたい──
そんな身勝手な感情が涌き出た。
だけど、それは僕が許さなかった。
もし、そうしてしまえば、今の関係が崩れてしまう恐怖があるから。
だから、僕は震える唇で、
「大丈夫だよ。ありがとう」
そう言った。
「そっか」
普段の飯島さんが見せていた笑顔は、明るくてこっちまで楽しくなってしまいそうなそんな笑顔だった。
だけど。
今僕に見せている笑顔は、どこか寂しげで、儚くて。
脆いガラス細工のようだった。
「ゆっなー! ふちー! おっはよー!」
ビクッと驚いて振り向けば、坂本さんが手を大きく振りながら、こちらに向かってきた。
遅れて、神田さんも走りながら、向かってきた。
別に遅れていないから走らなくても大丈夫だよ。
「あれ? どうしたん? 結菜も不知も元気ないやん。あんたらどうかしたん?」
「うんん。何にもないよ」
「なにも」
そう僕らは答えると、坂本さんは安心した顔で、
「そっか。まぁ、もしなんかあったら話してや。特に不知、あんた危ないからな」
「何で僕なの」
「まぁ、そのうちわかるわ。ほら、これみたいに」
坂本さんがそう言うやいなや、僕の肩に誰かの手が──
神田さんは、後ろの人物と僕を見比べて、小さく笑っているし、それにこんな事をする知り合いは一人しかいない。
振り返ると、そこには、満面の笑みの輝がいた。
その少し後ろに長瀬がトコトコと歩いてきた。
なるほど。
確かに不良に絡まれそうだと思った。
「おはよ。蒼、飯島、坂本、神田」
「おはよう。皆」
輝は、以前買ってあげた黒のTシャツにデニムのハーフパンツを着ていた。
やっぱり、ハーフパンツ似合うな。
買ってよかった。
長瀬は、普段はすっぴんだが、今日は薄くメイクをしていた。
決して派手ではなく、彼女のどこか幼い顔立ちを凛とした大人らしさを表していた。
さて、これで全員が揃った。
出発する? 顔を見合わせると、飯島さんと目が合ってしまった。
よく見ると、可愛らしい顔だなぁ。
そう客観視出来るほど、心が落ち着いていてよかったと思う。
きっと、輝や坂本さんたちが居るからだろう。
肩にかかる程度のフワッとしたセミロング、テレビにでている女優なんかに負けない可愛らしい顔。
かわいい寄りの美人だとクラスでは囁かれていた。
転校して来てもう、四ヶ月が経とうとしているが、彼女はクラスと学年の壁を超えて有名な生徒だ。
オマケに天真爛漫な性格な性格で僕はよく振り回されているけれど、それで惚れる人は多数いるだろう。
僕も惚れてしまって、こうして飯島さんとの距離感をちゃんと掴めているか分からないでいる。
何度か昼休みに彼女が他クラスの男の子に連れていかれたのを見たことがあるし、坂本さんや神田さん──その時は名前も知らなかったけど──と会話をしていた時も恋バナをよくしていた。
そんな彼女がこうして、僕と関わりをもっている。
転校当初の頃は、僕の席付近によく人が集まっていた。
なんせ、彼女とは少なくともこの一年間、ずっと隣の席だし、転校生に興味津々な比較的容姿に自信のあるクラスメイトが飯島さんと話していた。
数日間は、隣の席である僕に気を使いながら、会話していた彼らだが、こうして本を読んでいる僕がなぜか彼らに申し訳なくなって気を使ってしまい、それから休み時間は移動教室の授業が無い限り、図書室で過ごすことにした。
ある日の放課後、図書室を利用していた彼女が僕に話しかけて来たことから、放課後に図書室で会話をしながら読書をする日々ができたのだ。
それが、こうしてプライベートで出掛けるなんて思ってもいなかったけれど、そのおかげで僕は人と上手く関わることが出来るようになったし、会話のスキルもそれなりには上達したと思う。
それも全部、飯島さんのおかげだ。
もし、その感謝の気持ちが恋心なのだろうか。
僕には、この気持ちをどうにも理解できない。
「電車、乗ろう!」
飯島さんがぴょんこと跳びはねるように改札にICカードをタッチした。
僕らはそれにつられて、切符を改札にいれたり、ICカードをタッチしたりとそれぞれの手段で改札をくぐる。
飯島さんはいつものテンションで電車に乗るが、やはり車内ではなるべく静かにするという一般常識的なマナーは守っていた。
ガタンゴトンと二駅分、新黄駅に到着するやいなや、飯島さんは坂本さんに近寄り、ヒソヒソ声で、なにかを話していた。
「蒼君」
名前を呼ばれて、振り返ると、神田さんだった。
「どうしたの?」
今更だが、彼女は、三人の中で最も控えめな性格をしている。
そして、知り合いの中で僕に話しかけることが一番少ない人物でもある。
誰にも干渉し過ぎず、無理に人との輪を広げない。
来るもの拒まず、去るもの追わずのスタンスで、若干、僕と似ていると思うのだ。
だから、最近は神田さんとは話さえ出来て、趣味が同じならかなり仲良くなれると思うのだ。
こうして、友達の友達同士でそれなりに関わっている人よりは好感はあると思うが、慎重に話をしようと思っている。
それから、自ら人付き合いの輪を広げようとするのは、飯島さんや輝のスタンスが混じっているのかもしれない。
「あのさ……。私、歌あんまり上手じゃなくて……。その蒼君ってカラオケ上手っていう事を聞いてね。だから、上手に歌うコツみたいなのを教えてほしくて……。何かあるかな?」
神田さんからの生粋なお願い。
これに対しての文句や不満はないが、果たして僕がカラオケで歌が上手い(普段歌う曲で八十点後半から九十点前半だが)事を知っている人物はあのカップルしかいない。
そのうち一人である長瀬は絶対に言わないし、となるともう彼しかいない。
僕は首をぐるりと回転させ、輝にジト目で冷たい視線を送ると、
彼は僕から視線を逸らし、ヘタクソな口笛を吹いていた。
うわぁ……。ギャグ小説でテンプレな嘘の誤魔化し方だ。
その様子を長瀬は見ていて、
「ヒカル、アオイちゃんに何かしたの」
「め、命、俺はなにもしてねぇぞ? カラオケで前に撮って動画を送ったなんてしてねぇぞ」
やってくれたな。
きっと、今飯島さんたちが見ているのはその動画だろう。
その動画の内容は、オールでジャパンなゴイゴイスーが作った「秋風」という曲。
夏に出会った初恋の人への想いを歌詞にぶつけていて、その歌詞が珍しく僕に刺さり、キーも僕の声帯で歌いやすいことから、十八番になっている歌。
それを輝が提案した中学の卒業パーティーで僕が本気で熱唱した時をまさか動画にしていたとは。
「あはは……。心崎君、動画撮っていたんだ。あ、これかな?」
そう笑って、神田さんはスマホの液晶画面をこちらに向ける。
そこには、恥ずかしげもなく全力でサビを歌っている僕の姿があった。
自分が歌っている所って自分で見るとすっごく恥ずかしい。
他人に、しかも、飯島さんに見られるなど、恥ずかしすぎる。
「蒼君、聞いた通り上手だね。いいなぁ」
「アドバイスと呼べるか分からないけれど、楽しんで歌ったらいいと思うけど。僕はどれだけ歌が下手でも楽しく歌っている人を見る方が気分がいいからさ」
「やっぱりそうだよねー。楽しく歌ってみるよ」
「うん。なんか適切なアドバイスを出来なくてごめんね」
「いやいや、考えてくれるだけでも嬉しいよ」
神田さんとの会話はそこで途切れた。
その繋ぎのように飯島さんがこちらに来る。
「不知……ぶふっ! くん……。歌、上手だね……くくっ……」
飯島さんはどうやら、笑いのツボにハマったらしく、笑いを堪えながら(堪えきれていないけど)、話しかけてきた。
「うん。な、なんか恥ずかしいな。と、とりあえず行こうよ。カラオケ店」
「そ、そうだね……ふふっ……」
飯島さんと坂本さんは笑いながら、僕の後をついてきた。
僕は自室で大きなため息をつく。
あれから、僕は飯島さんと上手く接することが出来ずにいた。
どうしても、彼女に話しかけようとすると体が強張る。
今まで自然に話せていたのに、それが突然できなくなった。
「……恋って、難しい……」
輝は、こんな気持ちを持っていたのだろうか。
どこかもどかしく、会いたいと思ってしまう。
僕は飯島さんの連絡先を知らないし、家がどこにあるのかも知らない。
だから、彼女に会えるわけがない。
だけど、心は会いたいと願っている。
これが、苦しい。
ここまで苦しいと嫌気がさしてもいいほどなのに、嫌気どころか嫌悪感すらでてこない。
とりあえず、小説を読んで気持ちを落ち着かせよう。
僕は適当に本棚から文庫本を抜き出す。
そして、表紙を見た瞬間、心臓がズキンと跳ねた。
その表紙にいる少女が、飯島さんにそっくりだったからだ。
「難しいな……」
一人で処理を出来ない想いを持ちながら、僕は枕に顎をのせて、読書を開始した。
だが、数日空いたからか、もしくは物語の登場人物に共感して、深読みをしたからかどちらかは分からないけど、いつもは三百ページの小説なら、約二時間ほどで読み終えるのに、今日はその二倍ほどの時間がかかってしまった。
「僕、どうなってしまうんだろ……」
行き場の無い想いに恐怖すら覚える。
気を抜けば、僕が僕じゃなくなってしまう気がするから。
僕は、どうすることも出来ない想いを持ちながら、夏休みの最終日を迎えた。
朝起きて、顔を洗う。
鏡のなかにいる僕は、どこか寂しげで暗い顔をしていた。
飯島さんと出会ってから、初めて自分で意識をした暗い顔。
自身の醜さに少し嫌悪感が沸く。
僕は、こんな顔をしていたのか。
自分でも、こう思うくらいの酷く暗い顔が鏡のなかで無理矢理笑顔を作ろうとしていた。
顔を二度洗って、朝ごはんにイチゴジャムを塗ったトーストを食べ、それから、身だしなみを整えて、家を出る。
今日は、以前言っていたようにカラオケやミニゲーム大会などの娯楽も挟むらしく、集合場所は新黄駅になったので、そこまでガタンゴトンと電車に揺られた。
駅で待っていると、飯島さんがやって来た。
ベージュの帽子にモカピンクのドッキングブラウス、黒のフレアパンツを着ていた。
その姿にドキッとしてしまうほど、僕の心は恋心に支配されていた。
「おはようっ! 不知くんっ! 今日もいい天気だねー!」
「おはよう。そうだね」
「不知くん、どうかした? 暗いよ?」
「いつもだから」
だめだ。
やはり、本人を前にすると上手く言葉を紡ぐ事が出来ない。
そして、ぶっきらぼうというか素直になれない。
いつものように会話が続かず、僕らの会話に珍しく、無言の時間が流れる。
別に無言は慣れていると思っていたが、この時間が気まずい。
飯島さんに出会ってから、いい風にも悪い風にも変えられたと僕はここで思う。
「不知くん」
飯島さんが僕の名前を呼ぶ。
僕を見つめる瞳はまっすぐで、純粋だった。
「なにかあったの?」
単なる好奇心か生粋な心配のどちらかだと思う。
どちらも好意的に見れるが、そのまなざしが胸を締め付ける。
痛くて、苦しくて、それでも、この想いは大きく膨れ上がる。
この想いのまま、伝えたい──
そんな身勝手な感情が涌き出た。
だけど、それは僕が許さなかった。
もし、そうしてしまえば、今の関係が崩れてしまう恐怖があるから。
だから、僕は震える唇で、
「大丈夫だよ。ありがとう」
そう言った。
「そっか」
普段の飯島さんが見せていた笑顔は、明るくてこっちまで楽しくなってしまいそうなそんな笑顔だった。
だけど。
今僕に見せている笑顔は、どこか寂しげで、儚くて。
脆いガラス細工のようだった。
「ゆっなー! ふちー! おっはよー!」
ビクッと驚いて振り向けば、坂本さんが手を大きく振りながら、こちらに向かってきた。
遅れて、神田さんも走りながら、向かってきた。
別に遅れていないから走らなくても大丈夫だよ。
「あれ? どうしたん? 結菜も不知も元気ないやん。あんたらどうかしたん?」
「うんん。何にもないよ」
「なにも」
そう僕らは答えると、坂本さんは安心した顔で、
「そっか。まぁ、もしなんかあったら話してや。特に不知、あんた危ないからな」
「何で僕なの」
「まぁ、そのうちわかるわ。ほら、これみたいに」
坂本さんがそう言うやいなや、僕の肩に誰かの手が──
神田さんは、後ろの人物と僕を見比べて、小さく笑っているし、それにこんな事をする知り合いは一人しかいない。
振り返ると、そこには、満面の笑みの輝がいた。
その少し後ろに長瀬がトコトコと歩いてきた。
なるほど。
確かに不良に絡まれそうだと思った。
「おはよ。蒼、飯島、坂本、神田」
「おはよう。皆」
輝は、以前買ってあげた黒のTシャツにデニムのハーフパンツを着ていた。
やっぱり、ハーフパンツ似合うな。
買ってよかった。
長瀬は、普段はすっぴんだが、今日は薄くメイクをしていた。
決して派手ではなく、彼女のどこか幼い顔立ちを凛とした大人らしさを表していた。
さて、これで全員が揃った。
出発する? 顔を見合わせると、飯島さんと目が合ってしまった。
よく見ると、可愛らしい顔だなぁ。
そう客観視出来るほど、心が落ち着いていてよかったと思う。
きっと、輝や坂本さんたちが居るからだろう。
肩にかかる程度のフワッとしたセミロング、テレビにでている女優なんかに負けない可愛らしい顔。
かわいい寄りの美人だとクラスでは囁かれていた。
転校して来てもう、四ヶ月が経とうとしているが、彼女はクラスと学年の壁を超えて有名な生徒だ。
オマケに天真爛漫な性格な性格で僕はよく振り回されているけれど、それで惚れる人は多数いるだろう。
僕も惚れてしまって、こうして飯島さんとの距離感をちゃんと掴めているか分からないでいる。
何度か昼休みに彼女が他クラスの男の子に連れていかれたのを見たことがあるし、坂本さんや神田さん──その時は名前も知らなかったけど──と会話をしていた時も恋バナをよくしていた。
そんな彼女がこうして、僕と関わりをもっている。
転校当初の頃は、僕の席付近によく人が集まっていた。
なんせ、彼女とは少なくともこの一年間、ずっと隣の席だし、転校生に興味津々な比較的容姿に自信のあるクラスメイトが飯島さんと話していた。
数日間は、隣の席である僕に気を使いながら、会話していた彼らだが、こうして本を読んでいる僕がなぜか彼らに申し訳なくなって気を使ってしまい、それから休み時間は移動教室の授業が無い限り、図書室で過ごすことにした。
ある日の放課後、図書室を利用していた彼女が僕に話しかけて来たことから、放課後に図書室で会話をしながら読書をする日々ができたのだ。
それが、こうしてプライベートで出掛けるなんて思ってもいなかったけれど、そのおかげで僕は人と上手く関わることが出来るようになったし、会話のスキルもそれなりには上達したと思う。
それも全部、飯島さんのおかげだ。
もし、その感謝の気持ちが恋心なのだろうか。
僕には、この気持ちをどうにも理解できない。
「電車、乗ろう!」
飯島さんがぴょんこと跳びはねるように改札にICカードをタッチした。
僕らはそれにつられて、切符を改札にいれたり、ICカードをタッチしたりとそれぞれの手段で改札をくぐる。
飯島さんはいつものテンションで電車に乗るが、やはり車内ではなるべく静かにするという一般常識的なマナーは守っていた。
ガタンゴトンと二駅分、新黄駅に到着するやいなや、飯島さんは坂本さんに近寄り、ヒソヒソ声で、なにかを話していた。
「蒼君」
名前を呼ばれて、振り返ると、神田さんだった。
「どうしたの?」
今更だが、彼女は、三人の中で最も控えめな性格をしている。
そして、知り合いの中で僕に話しかけることが一番少ない人物でもある。
誰にも干渉し過ぎず、無理に人との輪を広げない。
来るもの拒まず、去るもの追わずのスタンスで、若干、僕と似ていると思うのだ。
だから、最近は神田さんとは話さえ出来て、趣味が同じならかなり仲良くなれると思うのだ。
こうして、友達の友達同士でそれなりに関わっている人よりは好感はあると思うが、慎重に話をしようと思っている。
それから、自ら人付き合いの輪を広げようとするのは、飯島さんや輝のスタンスが混じっているのかもしれない。
「あのさ……。私、歌あんまり上手じゃなくて……。その蒼君ってカラオケ上手っていう事を聞いてね。だから、上手に歌うコツみたいなのを教えてほしくて……。何かあるかな?」
神田さんからの生粋なお願い。
これに対しての文句や不満はないが、果たして僕がカラオケで歌が上手い(普段歌う曲で八十点後半から九十点前半だが)事を知っている人物はあのカップルしかいない。
そのうち一人である長瀬は絶対に言わないし、となるともう彼しかいない。
僕は首をぐるりと回転させ、輝にジト目で冷たい視線を送ると、
彼は僕から視線を逸らし、ヘタクソな口笛を吹いていた。
うわぁ……。ギャグ小説でテンプレな嘘の誤魔化し方だ。
その様子を長瀬は見ていて、
「ヒカル、アオイちゃんに何かしたの」
「め、命、俺はなにもしてねぇぞ? カラオケで前に撮って動画を送ったなんてしてねぇぞ」
やってくれたな。
きっと、今飯島さんたちが見ているのはその動画だろう。
その動画の内容は、オールでジャパンなゴイゴイスーが作った「秋風」という曲。
夏に出会った初恋の人への想いを歌詞にぶつけていて、その歌詞が珍しく僕に刺さり、キーも僕の声帯で歌いやすいことから、十八番になっている歌。
それを輝が提案した中学の卒業パーティーで僕が本気で熱唱した時をまさか動画にしていたとは。
「あはは……。心崎君、動画撮っていたんだ。あ、これかな?」
そう笑って、神田さんはスマホの液晶画面をこちらに向ける。
そこには、恥ずかしげもなく全力でサビを歌っている僕の姿があった。
自分が歌っている所って自分で見るとすっごく恥ずかしい。
他人に、しかも、飯島さんに見られるなど、恥ずかしすぎる。
「蒼君、聞いた通り上手だね。いいなぁ」
「アドバイスと呼べるか分からないけれど、楽しんで歌ったらいいと思うけど。僕はどれだけ歌が下手でも楽しく歌っている人を見る方が気分がいいからさ」
「やっぱりそうだよねー。楽しく歌ってみるよ」
「うん。なんか適切なアドバイスを出来なくてごめんね」
「いやいや、考えてくれるだけでも嬉しいよ」
神田さんとの会話はそこで途切れた。
その繋ぎのように飯島さんがこちらに来る。
「不知……ぶふっ! くん……。歌、上手だね……くくっ……」
飯島さんはどうやら、笑いのツボにハマったらしく、笑いを堪えながら(堪えきれていないけど)、話しかけてきた。
「うん。な、なんか恥ずかしいな。と、とりあえず行こうよ。カラオケ店」
「そ、そうだね……ふふっ……」
飯島さんと坂本さんは笑いながら、僕の後をついてきた。