「カラス、いた! あっち!」

 白い霧のなかでは、足もともおぼつかない。
 こどもと青年は、木の根っこに転び、よろめきながらカラスを追う。

 点々と落ちている赤い光を拾いながら、よくもこんなにクズ石を集めたものだと、こどもの無邪気に感心する。

 もうとっくに、どの方角から来たのか分からなくなってしまった。

 魔女の小屋に帰れなくなったら、どうすればいいだろう。
 この小さな子を守ってやることなんて、できるだろうか。
 青年は考えるほどに、首筋の後ろがチリチリと冷えていく。

「ちょ、ちょっと待っておくれ。息が切れた」
「カラス逃げちゃうよ!」

 こどもは足を止めてくれない。
 たかがクズ石を取りかえすのに、なんでこんな危険を冒さねばならないのか。
 青年は頬に手をあてる。
 やはり唇が勝手に笑っている。

「こども、落っことしちゃう。あなた持ってて」

 今度は、小さな手のひらからあふれそうな石を、まとめて押しつけられた。
 断ることもできずに、へらりと受けとってしまう。

 カラスが落とした石をこどもが拾うたび、青年の手の内は赤い光に強く染められていく。

 大きな根っこに蹴つまづいた。
 石が一斉にあたりに散らばる。

「ああっ!」
「カラス、見失っちゃう! もう! あなた、ひどいよ!」

 あわててしゃがみながら、腹の底がカッと熱を帯びた。
 初日に食べた、焦げついた玉ねぎスープを思い出す。

「ひどいのはキミだ。もうあきらめてくれよ」

 言いかえした青年に、こどもが驚いて目をまたたく。
 真ん丸に大きくなった瞳に、彼は我に返った。

「ごめん。ごめんね、大丈夫だよ。なんでもない」
 青年は慌てて笑みを貼りつける。

 こどもは一粒一粒、泥に汚れたソレをつまんで、青年の手のひらに集めていく。

 燃えるような赤。
 あまりにも鮮烈に光る赤い色。

 腹の底で、抑えきれない蓋がことこと音を立てている。

 くだらない小石。
 進められないデッサン。
 自由奔放な、美しいモデル。

「あいつも、おれが描こうとする度にもったいぶって、まともに描かせてくれなかった」
「あいつって、おともだち?」

 青年はうなずき、赤い石の粒を握りこむ。

「おれのおさななじみだ。モデルに描かせてくれるという約束で、おれをさんざん振り回しておいて、いざ描こうとすると、はぐらかす。パトロンが付くかどうかの大事な時なのに、やっぱりモデルなんてやりたくないと断られて……、そう、それでおれは『嫌ならしかたないね』なんて笑って」

 言いさして、口をつぐんだ。
 
「ああ! あいつ、今ごろおれを笑ってるんだろうな! 大事な絵の一枚も仕上げられずに、ヘラヘラ笑いながらよろめいて、河に落っこちたおれを!」

 青年は勢いをつけて立ち上がる。

「くそっ! 今度こそ、約束を守ってもらうからな!」

 彼は唐突に走りだした。

 その背が、霧の森の中に消えていく。
 ふり返ることもなく、青年の背は見えなくなった。
 こどもは地面にしゃがんだまま、ふたたび濃い霧に閉ざされた森をぽかんと眺める。

「――だれが笑っているものかい。今ごろ“あいつ”は泣いているよ。まったく、女心の分からん男だったね」
 女すがたの魔女が、木立ちの影から現れた。
「魔女はわかる? おんなごころ」
 首をかしげるこどもに、魔女は笑った。

「さてね。何千年と生きていると、自分が女だったか男だったかも忘れてしまう」

 魔女がさしだした人差し指を、こどもは手のひらで握りこんだ。
 ふたりはゆっくりゆっくりと歩いて、霧の森を帰っていく。

「でも、あの人ひどいよ。こどもの宝ものを、みんな持っていっちゃった」
「ああ――」

 魔女はこどものつむじに指を伸ばし、一粒きらりと輝くそれを、幼い手にのせてやった。

「これだけで勘弁しておやり。これはもともと、あの男の“失せもの”なんだから」
「……わかった」

 頬を膨らませるこどもに、魔女は笑う。

「そう。気に食わないときは、ちゃんと怒った顔をするもんだ」
「こども、きにくわない。仲直りしたくても、あの人、もうもどってこないでしょ」
「……そうさね。還ったからね」

 魔女は眉を上げる。

「私とふたりきりは、気に食わないかい?」

 顔をあげたこどもは、右に左に激しく首を振った。

「きにくう!」
「ならよかった。だが、おまえもいつか、自分の“失せもの”を見つけなきゃいけないよ」
「こどもはかえらない。魔女といるよ」

 河の音が聴こえてきた。
 待ちかまえていたかのように、小屋の屋根にカラスがとまっている。

「ほら。あのコもかえらないって」
「まいったね。また家族が増えた」

 魔女はくしゃりと、こどもが一等好きな顔で笑った。



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表紙イラスト・挿絵:西荻仁さま
すてきなイラストをありがとうございます!