朝食を食べ終え、時間を見ると検査までまだ少し時間があった。

 基本的に病室を離れるのは控えるよう言われているが、発作が起きなければさほど元気な人と変わりないので、正直暇だった。もし雪女なるものがいるならば、いい退屈しのぎにはなるだろう、くらいに思って病室を抜け出し、裏庭への扉を開けた。


 そこは昨日みたいに雪こそ降っていなかったが、少し肌寒く、他とは異質の雰囲気が漂っていた。もしかしなくても原因は、ベンチに座っている純白の少女だろう。

「あ! 来た来た。佳生、おはよう!」

 彼女はこちらに気づくと、太陽のような笑顔を振り撒きながら走り寄ってきた。

「んー……おはよー。なんか、朝からやたら元気だな」

 そんなテンションについていけるはずもなく、俺は気だるげにそう返事をした。

「え? だって、朝から沈んでても仕方がないでしょ?」

 何をそんな当たり前のことを、と言いたげな様子で彼女は俺の顔を見る。天真爛漫、という言葉がお似合いな顔だと思った。

「いやまぁ、そうなんだけど……ってか、なんで俺の名前知ってんだ?」

 俺は不思議に思って聞いた。昨日の時点で、俺はまだ自己紹介はしてなかったはずだ。

「あー、えっと……病室のネームプレートに書いてあったし」

 やってしまった、と言わんばかりの表情が彼女の顔に出ていた。
 俺は、病気とは関係なく頭が痛くなるのを感じた。

「おまえ、その格好で病院の中まで入ってきたの?」

「いやいや、そんなわけないでしょ。ほんのちょびっとなら自力で人間の姿にだってなれるんだから!」

 そう自慢げに語る彼女に、思わず俺は頭を抱える。まさかそんな大胆な行動に出るとは、完全に予想外だった。

「まぁこの際それはいい。んで、おまえはなんて名前なの?」

 なんとか思考を切り替えて、俺は聞いた。

「んー、私のことはそのまま雪女でいいよ」

「それはなんかずるくないか?」

 よくわからないことを言う彼女に、俺は苦笑して言った。
 片方だけが名前を知っていて、もう一方は知らないというのは不公平だし、そもそもおかしい。俺は問い詰めるように彼女の方へ視線を移すが、なぜかウインクで返された。

 ……もういいや。

 なんだか、彼女には一生勝てない気がした。俺は反抗する気力もなく、ため息をつく。
 もはや俺の中にある、冷徹で恐ろしい雪女のイメージは完全に崩れ去っていた。
 喜怒哀楽が目まぐるしい、どこか不思議な少女。
 それが、今の俺の中にある雪女の印象である。

「昔話書いた人がここにいたら卒倒するだろうな」

「え? なんか言った?」

「いやいや気にしないでくれ」

 とりあえず、雪女はいた。これはもう夢ではない、まぎれもない事実そのものだった。
 これからどうしようかと考えていると、彼女は青い瞳をキラキラさせてずいっと顔を寄せてきた。

「それで、考えてくれた?」

「うん、まぁ……」

 俺は少し後退(あとずさ)った。

 実は、昨日の時点でその契約なるものはまだ結んでいなかった。どうにも信じられなかったので、せがむところをなんとか今日まで保留にしてもらったのだ。まぁバックレても良かったのだが、退屈しのぎと真相を確かめたいあまり、つい来てしまった。

「いや、でも、なんか、やっぱり信じられないっていうか」

 俺はそう曖昧に言葉を返した。
 そんな俺のどっちつかずの様子に業を煮やしたのか、彼女はあからさまにイラつきながら、さらに顔を近づけてきた。

「もう。じゃあ今、あなたの目の前にいるのは誰?」

「小麦粉をまぶされた女子高生?」

 薄力粉でもいいけど、とかどうでもいいことを後に付け足す。

「そんな人いるわけないでしょ!」

「雪女の方がいる確率少ないよ」

 興奮気味の彼女に、俺は冷静にそう返した。
 そんな押し問答を繰り返していたが、やがて雪女は小さくため息をついて言った。

「じゃあ、見てみる? その熱への耐性を吸収するところ」

「え?」

 俺は若干、いやかなり戸惑った。

「実際に目にした方が信じられるでしょ?」

 にやけた顔で彼女はそう言った。