「おいっ! 霜谷、待てって!」
後ろから、岡本が追いすがって来る。声は聞こえないけど、足音がもうひとつあるから、多分佐原さんも付いて来ているはずだ。
「はぁ、はぁ……」
まだ何か後ろでわめているが、正直今は、それに答える余裕が肉体的にも精神的にもない。
どこだ? どこにいる……?
赤色のトンネルを突っ切り、黄色の落ち葉を踏み散らして、前へと進む。
目印は、白色。
さっき手を触れた石は冷たさもさることながら、僅かに白い霜が付いていた。そしてそれは、森の奥へと続く獣道のような道なき道のあちこちにも付着していた。
間違いなく、夏生がまとう冷気によってできたものだ。
「くっそ……」
必死に手を振り、踏みしめる足に力を入れるも、思うように動いてくれない。時間が、ないというのに。
真っ白な霜は、ほとんど消えかけていた。
無理もない。近頃にしては気温が高い方だし、夏生によってできた霜なら、彼女がいなくなり戻っていく気温とともに消えるのが当たり前だ。
それでも俺は、落ち葉に足を取られ、水たまりに突っ込みながらも、懸命に走った。
「……っ!」
小さな倒木をくぐり抜けたところで、俺は足を止めた。
「霜が、ない……」
目の前には、苔むした木々の根が横たわっており、その下には澄んだ小川が静かに流れていた。そのせせらぎは焦る俺の心とは対照的で、俺に僅かな冷静さを与えてくれた。
「霜谷!」
息を切らしながら、岡本と佐原さんが追い付いてきた。
「し、霜谷くん……夏生、ちゃんは……?」
「……いない。目印の霜が、途切れてる」
足元で光るそれに、手を伸ばす。しかし、指先が触れる前に、それは音もなく崩れ去った。
「これ以上は追えない、ってことか…………にしても随分と、奥まで来たな」
岡本は息を整え、辺りを見回す。
赤く、黄色く染まった木々が周囲を取り囲んでおり、足場の高さの違いからか見下ろされているような感覚を覚える。……いや、足場の高さだけじゃない。キャンプ・バーベキューエリアに生えているものとは、明らかに木そのものの高さも違う。
――おっきい木だねー!
この感覚……どこかで……
岡本につられて周囲を眺め回していると、不意に懐かしい感覚に襲われた。
緑一色で彩られた樹木のドーム。
いつも聞いているものとは異なる、反響して聞こえるセミたちの鳴き声。
「おい? 霜谷?」
呼び止める声を無視して、俺は一歩踏み出した。心臓が肋骨の下で大きく脈打っており、手にはじんわりと汗が浮かんでいる。
――この先にね。見せたいものがあるんだー!
木漏れ日を乱反射させ、光の斑点が揺れ動く水面。
爽やかな風が駆け抜け、辺りに広がる葉擦れの音色。
「霜谷くん! どこ行くの⁉」
額から流れ落ちる汗を必死で拭い、小さな池を迂回して倒木をまたぐ。そして、普通なら行こうとも思わないような、自分よりも背丈の高い野草の群生地へと歩を進める。
――私は触れられないんだけど……とってもね、大好きな花なの
パッと視界が開けた。
森の奥地とは思えないような日差しが降り注ぐ、黄色の花畑。
いつか見たそれよりも背や大きさは何倍も小さいけれど、確かにそれは、彼女との思い出の花――ひまわりだった。
「かい、せい……?」
懐かしくて聞き馴染みのある、優しい声。愛おしくて、かけがえのない、ずっと聞きたかった声が、焼けるような痛みとともに心を打った。
やっぱり、治して去ったわけじゃ、なかったんだな……
小さなひまわり畑の中心に座り込む真っ白な彼女に、俺は精一杯の笑顔を向けた。