「はぁ、はぁ……」
つい三十分ほど前に上った階段を、今度は駆け下りていた。
肺が痛い。息が苦しい。
運動不足の体が悲鳴をあげ、関節がきしんでいるような気がする。
でも、そんなことは今はどうでも良かった。
「夏生……。まさかまだ、探したりしてないよな……」
心の中に次々と生まれてくる不安を押し込めるようにつぶやく。しかし、それが収まる気配はない。
朝、このショッピングモールに来る前に、俺は一度夏生に耐性をあげていた。正確な時間は覚えてないけど、多分九時半か、十時くらい。
そして今の時刻は、午後四時十分。
最後に耐性をあげてから、既に六時間以上が経過していた。
「くっそ。なんであの時……」
なんであの時、さっき会っていた時に、耐性をあげていなかったのか。
気をつけていたはずなのに……。
四階の階段の踊り場につき、重い金属製の扉を開ける。すると、静まり返っていた階段室とは打って変わった喧騒が溢れてきた。
「この階のどこかにいるはず……」
階段室に駆け込む前に、俺は岡本に電話をしていた。佐原さんを見つけたことを伝えるのもそうだが、夏生の様子を知りたかったからだ。でも、夏生と岡本は手分けをして探しているようで、夏生のことはわからなかった。わかったのは、彼女の担当階は一階から四階で、時間的におそらく四階を探しているだろう、ということだけ。
俺はとりあえず岡本を屋上に呼び、佐原さんにもそのことを伝えてから階段室へと飛び込んだ。二人の仲直りも心配だったが、もはや一刻の猶予もなかった。
四階は、雑貨屋が多く建ち並んでいた。お洒落な小物からアクセサリー、時計にメガネなど、いろいろなお店が列をなしている。そしてもちろん、どのお店も多くの人で賑わっていた。
「どうする……?」
これだけの人の中から夏生を見つけ出すのは至難だ。雪女の姿に戻っていたら話は違うが、それは別の意味でやばい。騒ぎになるのは必至、最悪警察を呼ばれてもおかしくない。
俺は、額から滴り落ちてくる汗をそっと拭った。シャツが張り付いて、気持ち悪い。たった数階下りただけなのに、全力疾走した後みたいに心臓がうるさく高鳴っていた。
でも、やるしかない。しらみつぶしに店を回ってでも、なんとしても見つけ出すしかない。
俺はそう心に決め、人の合間を縫って走り出す。
「なぁ? さっきいた子、異様に白くなかった?」
「ああ、確かに。肌もそうだけど、フードで隠してた髪なんか特にな」
そんな会話が聞こえてきたのは、走り出してからわずか三十秒後のことだった。
うそだろ、おい。
心の奥で、得体の知れない何かがうごめいた。
ウィンドウショッピングをしているカップルたちの間を、謝りながら駆け抜けていく。何か怒鳴られたような気もするが、正直言って今はそれどころじゃない。ごめんなさい、すみません、と心の中で重ねて謝り、なおも先を急いだ。
イーストストリートと呼ばれる通路を抜けると、開けた場所に出た。東西南北から伸びる四本の通路と、エスカレーターが集まっているホールだ。俺はそのままの勢いで、向かい側に伸びているウェストストリートを目指す。
なんとか、間に合ってくれ。
不安、恐怖、焦り……。
様々な感情が、濁流のように流れていく。
そこから何とか逃れようと、必死に足を動かす。そして、先ほどの二人組に聞いた空きスペースが見えてきた。
そこは改修中だというのに、小さな人混みができていた。
「すげぇクオリティのコスプレだな。どんなメイクしてんだろ?」
「あの、店員さん? ここで何かイベントとかするんですか?」
「ちょ、ちょっとお客様⁉ ここで勝手なことをされては困ります!」
「ねぇねぇ、おかあさん。あのおねえちゃん、おめめがあおいよ?」
「あれ見てよ。肌白すぎない? まるで雪女みたい」
「え? あれ? ここってこんなに冷房効いてたっけ? 担当者に確認しないと」
騒然としている群衆の視線の先には、パーカーのフードを被った見覚えのある姿があった。
「奈々ちゃん……どこにいるの……?」
震えながらも、透き通った声。
これだけうるさいのに、なぜか彼女の言っている言葉がわかった。
うそだろ、夏生……。
物がいくつも散らばっているその場所で、多くの好奇や警戒の視線が集まるその場所で、彼女はまだ友達を必死に探していた。
「くっそぉ!」
力任せに人をかき分け、俺は彼女の真っ白な手を掴む。
「こっちだ!」
突然の乱入者に呆然としている集団を尻目に、俺は西側の階段室へと続く扉を押し開けた。