岡本の話はこうだ。

 岡本は作詞家を目指して、最近はSNSでも活動を始めていた。いわゆる第三者の感想や意見を取り入れ、より視野を広げてみようというやつだ。さらにはコンペやコンテストにも応募し、今まで以上に夢を追いかけていた。そしてそれは、佐原さんも応援してくれていた。


 しかしある時、岡本は佐原さんとちょっとした言い合いになった。きっかけは、誰にでもよくある些細なことだったらしい。だが、その時の岡本は作詞の調子が良くなく、ちょうど出していた今季最後のコンテストで落選通知を受け取ったばかりだったこともあって、かなりイライラしていた。それも相まって、言い合いは関係のないところにまで飛び火し、現在に至るのだそうだ。

「……えっと、わりと普通の喧嘩じゃないか?」

 そこまで聞いた俺の、正直な感想。岡本がめちゃめちゃ暗い顔をしていたので、もっととんでもない話が飛び出してくるものだと思っていた。

「いや、まぁ、そうなんだけど……」

 煮え切らない口調で、岡本は続ける。まだ何かありそうだった。

「どうした?」

「その……」

 そこまで言って、岡本は黙り込んでしまった。どうやら言えないことがあるような感じだ。どうしたものかと思い、俺はそっと窓の外に視線を移した。先ほどの晴天とは打って変わった激しい雨が、風とともに窓をたたいていた。

「もしかしてだけど、奈々ちゃんの夢に関すること?」

 すると、それまで黙って聞いていた夏生が不意にそう言った。

「え?」

 俺はびっくりして夏生を見る。彼女の顔は、いつになく真剣だった。

「えっと……雪村さんは、奈々の夢のこと知ってたの?」

 岡本も驚いたようだった。でもそれは、俺とは違うことに驚いているようだった。

「うん、前に奈々ちゃんから聞いたから」

「……そっか。なら、いいかな」

「え、俺聞いてないんだけど」

 急に話が進みそうな展開に、俺は思わず口をはさんでいた。しかしそんな俺にかまう様子もなく、岡本は話し始めた。


「実は、その言い合いの時に、奈々の夢を責めてしまったんだ」

「奈々ちゃんの夢、確か小説家だったよね?」

 夏生が確かめるように言った。

「そう。奈々、おばあちゃん子で、昔話とか好きだったらしくて」

 岡本は小さく笑みを浮かべた。どこか昔を懐かしむような表情だった。だけど、その笑みはすぐに曇っていく。


「でも……、彼女は諦めた」


 悔しがるように岡本は言った。膝に置かれた右手がわなわなと震えている。

「私が聞いた時は、家庭の事情だって――」

「奈々の家、俺と同じ母子家庭なんだ」

 岡本は夏生の言葉にかぶせるようにして言った。

「俺はさ、奈々に夢を諦めてほしくなかったんだ。周りの環境だけでやりたいことを諦めるなんてもったいないって思ってたから」

 彼の口調は少しだけ強くなっていた。

「だから、その言い合いで奈々が夢のことを話した時、俺はつい奈々に、環境を言い訳にして逃げるなって、言ってしまった」

 そこまで言って、岡本は一度言葉を区切った。ふぅー、と息を吐く音が聞こえる。その後を言うべきか迷っているようにも見えたけど、彼は口を開いた。

「奈々は、その時に言ったんだ。私の家は裕福じゃないし、幼い兄弟もいるから安定した職業に就いて家族を養わないといけないの、って」

 視線を空中に漂わせたまま、岡本は続ける。

「俺はその時思った。じゃあ、同じ母子家庭で、同じように幼い弟もいて、作詞家っていう不安定な職業を目指している俺が間違っているのかって、家族のことを全く思っていないとでも言いたいのかって」

 その声は、微かに震えていた。

「気がついたら俺は、奈々の夢を、夢を諦めたことを責めていた。臆病だと、卑怯だと罵っていた。彼女が諦めたくて諦めたわけじゃないのは、わかってたのに」

 言い過ぎだよな、と彼は自嘲気味に笑った。心の底から後悔しているのが、ひしひしと伝わってきた。

「でも、俺はわからなくなってしまった。奈々が、俺の夢をどう思っているのか。家庭の状況を顧みず、夢を追い続けている俺のことを、どう思っているのかを……」

 岡本は泣いていた。あまり見ることのない幼馴染の涙に、俺は何も言えなかった。そして、彼は再び口を開いた。


「そう考えたら俺、奈々のことを知らないうちにずっと傷つけていたんじゃないかって怖くなった。奈々の近くで、奈々が諦めた夢を俺は目指していて、自分勝手に夢のことをいろいろ語って聞かせて……。そしたら今度は、直接言葉で、奈々のことをすごく傷つけてしまった。彼氏失格だよな…………もう、別れた方がいいのかな」