七夕も過ぎ、俺の高校では夏休みになっていた。
「霜谷、久しぶり」
同じ高校に通う幼馴染、岡本佳はそう言って、ベッドの脇に置いてあるイスに腰掛けた。彼は、学期末になると、必要なプリントだとか顔も知らないクラスメイトが書いてくれた色紙だとかを持ってきてくれる。俺は親とはほとんど話らしい話をしないので、夏生と会う前は唯一といっていいほどの話し相手だった。
「おー、岡本か。久しぶり」
俺と岡本は名前が似ている。そのため、紛らわしいとの理由からお互いのことを名字で呼んでいた。
「そういえば、作詞の方はどうだ?」
俺は岡本から渡された色紙を眺めながら、それとなく聞いてみた。
岡本は作詞家を目指していた。音楽にさほど興味のなかった彼が、中学の時に突然、「俺、作詞家を目指そうと思う」と言った時は頭がいかれたのかと思った。しかし今では音楽について勉強し、合間を縫っては自分が作った歌詞を俺にメールで送って感想を求めてきていた。大学もそれに合わせて目指しているようで、そのひたむきさは純粋にまぶしく思えた。
「んー、まぁぼちぼちといった感じ」
岡本はカバンからルーズリーフの束を取り出し、俺に渡してきた。
「とか言いつつ、結構書いてんじゃん」
ざっと見ても五十枚くらいはある。裏にもびっしりと歌詞が書かれており、まるで彼の静かな熱意が込められているようだった。
「ふーん」
俺はパラパラとそれらをめくる。岡本は少し悲しめの、ビターな雰囲気の曲や歌詞を好んでいた。今回もそんな感じだろうと思って読み始めたのだが、
「あれ?」
違和感があった。ほとんど、というか全く悲しい感じがない。それどころか、いつもよりやたらと明るめの、それも恋愛に関するものが多い。……最後のやつなんて、ちょっとだけ痛い。
「なんか、今回は恋愛系ばっかだな」
俺は何も考えずに率直な感想を述べた。そして、あることに思い至った。
「もしかして、彼女でもできたか?」
冗談半分で俺はそう言った。昔から恋愛の「れ」の字もなかった岡本のことだ。まさかそれはないだろうと思って聞いたのだが、予想外の言葉が彼の口から出てきた。
「いや、その……実は、そう」
岡本が恥ずかしそうに笑った。珍しく、その目が泳いでいる。俺は自分の耳を疑った。
「……は? マジ?」
「マジ」
彼は急に真面目な顔になって言った。その目は真剣そのもので、どうやら本当らしかった。
確かに岡本は顔も悪くないし、身長も俺より高い。スポーツは万能というほどではないがそこそこでき、頭も良かった。モテる要素はあるのだが、なにぶん性格が恋愛向きでなかった。というより、恋愛に興味がないという雰囲気を醸し出していたのだ。なので、今回の報告はそれなりに俺たちにとって重大事と言えた。
「告られたのか?」
「いや、俺から告った」
ますます驚いた。どういう風の吹き回しだよ、と思った。
「同じクラスなんだけど、なんか気になって、告った」
岡本は曖昧かつ簡潔に答えると、カバンからプリント一式を取り出し、横にあるサイドボードに無造作に置いた。
変わってないな、と思った。岡本は、自分が不得手な話題になると行動でごまかそうとする癖があった。今もなにやら、置いたばかりのプリントを一枚一枚確認しては並べ替えたりしている。
俺はそんな彼の様子を眺めながら、とりあえず話題を変えるために先ほど出た検査結果を伝えることにした。
「そういや俺の病状だけど、少し良くなってるみたいだ」
「え?」
岡本は手を止めて、こちらを見た。
俺はそんな岡本の表情の移り変わりを楽しみつつ、言葉を続けた。
「といっても、治ったにはほど遠いんだけどな。発作の回数とか、減ったけどあるにはあるし」
「でも、前よりはいいんだろ?」
岡本は前のめりになって聞いてきた。
俺は少し戸惑いながらも、「ああ」とだけ答えた。
実のところ、病状は好転していなかった。正確には、「注射の使用回数が減った」だけだ。それを先生は、「発作の減少」と判断したらしい。
最もだと思った。誰でも、注射の使用回数が減ったのは発作が減ったからだと思うだろう。実際は、夏生といる時の発作は注射を使わずに抑えてもらっているからだった。
そんな微かな動揺を気取られないように注意しながら、俺は前々から考えていたことを岡本に提案した。
「それでさ、外出許可が出たら、今度キャンプでも行かねーかなって」
それは、夏生と約束していたことだった。
結局、契約とやらを結んでから一ヶ月、ほとんど夏らしいことをしていない。裏庭で話すか、たまに病院を抜け出してひまわり畑を散歩するかのどちらかが、今までの俺たちの夏の過ごし方だった。夏生は何も言わないが、このままでは発作を抑えてもらっているぶん申し訳なかった。
岡本はしばらく考え込んでいたが、やがておもむろに頷いた。
「いいな、それ。でも外泊の許可なんて出るか?」
「なかなか難しいだろうけど、なんとかするよ」
「無理はするなよ」
彼はやけに慎重な口ぶりだった。もしかしたら、去年のことを思い出しているのかもしれなかった。
岡本は、俺に初めて発作が起きた時そばにいた。突然うずくまる俺にパニックになりながらも、救急車や俺の親に連絡をし、連日お見舞いにまで来てくれた。俺はこいつに心から感謝しているし、治してからしっかりお礼がしたかった。だから、余命宣告をされた時はどうしようもなく、悔しかった。
そんなことを考えていると、岡本がまたなにやら視線をキョロキョロさせていた。
「今度は何だ?」
訝しみながら聞くと、彼はためらいがちに口を開いた。