病院の中に戻ると、エントランスに小さな笹が設置されようとしていた。そばにあるテーブルには、来院者用の短冊が置かれている。

 そういえば、去年もちょうど今ごろに、看護師さんが病室にカラフルな短冊を持ってきたっけな、とそれほど昔でもない出来事を思い出す。
 以前は、どんな願い事を書こうかわくわくして考えたものだったが、高校生になった今ではさすがにそんな気持ちにはならない。病室に持ってこられた時も、五秒で考えて五秒で書いて提出、した気がする。

「もう七夕の季節かー」

 俺が何の気なしにつぶやくと、暇だから病室まで付いていくと言って隣で歩いていた人間姿の彼女が小首を傾げた。

「七夕ってなんだっけ? どこかのお姫様と王子様が駆け落ちするお話?」

 いったい何の話だ、と俺は思った。
 七夕といえば、雪女の物語と同じくらい有名な物語だ。といっても、詳しいルーツは去年病院の説明文を読むまで知らなかったし、雪女の物語に至っては子どものころに聞きかじったくらいなので、俺もあまり人のことを言えたたちではない。

「違う違う。織姫っていうお姫様と、彦星っていう牛飼いの物語だよ」

 勘違いしたままいられてもあれなので、簡潔に三十文字前後で七夕物語について説明した。さすがに織姫と彦星の名前を聞けば思い出すだろうと思って言ったのだが、予想に反して彼女はさらに首を傾げた。

「織姫? 彦星?」

「そこからかよ」

 どうやら、本当に知らないらしかった。
 彼女は興味津々といった様子で、「ねぇねぇ! どんなお話なの?」と聞いてくる。
 こうなった時の彼女はまず自分から引かない。まだ出会って間もないが、幾度となく彼女が興味を持ったものを、関心が尽きるまで説明させられた。

 俺は軽くため息をつきながら、ほとんどうろ覚えの物語を頭の中から引っ張り出し始めた。