第二話 上古のバレンタイン

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 先だって、お見合いのようなご挨拶に赴くことになり、馬の背中に揺られる。
 領主の姫氏の当主である「西伯」昌(ショウ)は人望があり、羌などがこの辺りでどうにか羊の放牧稼業が出来るのも、その暗黙の庇護によるところがある。羌という氏族は人数はそれなりに多いのだが、小グループに分かれて住んでいるため、各地方の有力者とも協定で結びついている。

 居城である大きな都市は城壁で囲まれていた。殷王の主要都市ほどではないにせよ、それなりの規模ではあるのだろう。もっとも当時の人口からすれば、現代と比べるのは間違っているだろうが。
 祖父の尚と十人ほどのお供たちは献上の羊を引き、羊毛の束を持って正門から入る。通商と交易で定期の市場には出入りしている間柄なので、門番の男も多少は恭しくもある笑顔で応対してくれる。

「お嬢ちゃん、町は初めてかい」
「はい。普段は父と兄が」

 そう言いかけてユウが口を噤むのは、つい故人を思い出して悲しくなったからだ。
 見て取った門番の男は悲しげで、少し悔しげでもある。聞いたところでは数年前、殷王の人質になっていた昌の長男の跡取り息子が殺されてしまった事件があったようで、それで従者や兵士たちは思い出すたびにどこか悲痛な面持ちになるのか。
 それにしても、どことなく町中が騒々しい。戦争の物々しさとは違う、どこか独特の華やかな雰囲気がある。そこで話題を変えて質問してみる。

「今日はお祭りか何かなんですか?」
「桃の節句だよ。若い女が、好きな男に果物を贈って告白する日だから」

 そういえば、そんな話をどこかで聞いた覚えがある。農村などの知人のお姉さんたちが、色めき立って血眼になっていたっけ? ユウはまだ子供から大人になりかけで年齢が早かったし、羊の放牧で少人数でいる生活のために、忘れがちだったのだ。

「そうなんですか!」

 祖父の大公ショウはそんな孫娘と門衛のやり取りを面白そうに聞いていた。
 そういえば「プレゼントにお前が作ったチーズを持って行きなさい」などとアドバイスしたのはそのためか。放牧民としては果物がポピュラーでないから、かわりにチーズということか。
 思い至ったとき、ユウは頬をパッと赤らめた。

「チーズって、そういうこと」
「うむ」

 ちょっと目をそらすのは、老人としても孫娘を誘導した自覚はあるのだろう。何せ、婿の候補である西伯の息子たちとはまだ面識もなかったのだから。


2
 瀟洒な邸宅(宮殿というより公邸に近い?)は素焼きの瓦で三段の階段の上にあった。けれども召使いの男女ですら、都会風の
 西伯の昌は品の良い紳士で、大公のショウと親しげに挨拶を交わす。釣りをしながら色々と雑談する友人関係であるらしい。
 名前を紹介すると、西伯は寂しげで、少し目に涙を溜めたようだった。ユウの字(邑)は亡くなった息子さんと同じなのだという。それについ先日に同じ加害者から親兄弟を殺された少女への同情もあったことだろう。
 三人で敷物の上に座り、祖父と孫娘に食事が供される。一緒に来た若い衆も別室で飲み食いしている頃だろう。

「お嬢ちゃん、そんなに畏まることはないよ」

 どこかしゃちこばったユウに、将来の岳父であるかもしれない西伯は鷹揚に笑ってお膳の料理を勧める。一方で祖父のショウはくつろいだ調子で肉の煮物をつついていた。普段は羊が多いので、町で牛肉や豚肉を食べるのを楽しんでいる。

「普段はもっと食い意地が張ってますがね。コイツもそろそろ弁えるようになったようで、二三年で喪が明ける頃には、どうにか嫁に出せるでしょう」

 祖父の飄々とした物言いは少し堪に触ったが、事実なのだから仕方がない。実際にまだ「子供扱い」だからこうして気軽に着崩しで謁見できているのだろう。ユウはまだ数え年で十三歳でしかなく、成人や婚期の早い古代でも大人とは言い切れない。
 少しだけ恨めしげな目で睨む孫娘に、大公ショウは濁り酒を飲みつつニヤリとした。


3
 やがて食事が一通り終わる頃。
 二人三人の少年が、入り口からチラチラとこちらを見ている。彼ら的にも、「将来の嫁や義理の姉妹」のことが気になるのだろう(これも未成年だからこそ許される?)。

「ハツ(発)、タン(旦)、こちらに来てご挨拶しなさい」

 部屋に入ってきたのは腕白そうなのと、内気で真面目そうな二人の少年だった。

「この坊主どもが次男と四男ですが、まだ歳も小さいし、どっちも一長一短なものです」

 まだ後継者や結婚する相手すら正式には決まっていない。まだほんの顔合わせだ。
 大公がユウに目で促した。それで思い出して、プレゼントに持ってきたチーズを取り出す。幸いに複数に分けて包んであった。
 手渡すと旦と呼ばれたおとなしそうな(神経質そうな?)方は礼儀正しく会釈して受け取り、発と呼ばれたやんちゃそうなのは変な顔をして臭いを嗅ぎ、「腐ってないか?」と不躾なことを言う。

「いんや、それチーズだから」
「そうなの」

 やり取りからすると、どうやら大公と面識があるらしい。アウトドア派であるためか、良い遊び仲間であるとか(兄の発)。
 兄の無礼を取り繕うように、旦は懸命にチーズの塊を平らげたが、食べつけないものを必死で完食する姿は意地らしい。傍目にも「兄貴の後始末で一生苦労しそうだな」というオーラが出ている。

「ご免なさい、食べ慣れないなら無理することはないです」
「いえ、美味しいです。大丈夫ですから」

 とうとう旦が喉に詰まらせているのを見かねたユウが酒杯を差し出す(勝手に祖父のものに注いだのだが)。それで窒息を助けられて涙目だったが、その僅かな親切が後の幸運につながったようだ(後に兄だけでなくユウとの息子まで親切丁寧忠実に助け支えたブレーンである)。


4
「それで、どっちの坊やが気に入ったかい?」

 別に必ずしもどっちでなければというものでもない。他にも同じ家系から嫁の候補もいるのだし、下手に跡取りでない方が出世する可能性すらないわけでない。

「どっちかって言えば、お兄ちゃんかな? アイツ凄く照れて、手が震えてた。態度はあんなだけど、悪い奴じゃない感じがする」

 もちろん弟の方も嫌いではないし、誠実そうなのは十分わかったけれども、どこか他人に気を許していない感じなのだ。
 どこか普通の人間が見ていないものを見ているようで、尊敬や信頼は出来ても、伴侶の異性として愛せるかはまた違う問題なのが難しいところではあった。

「悪い意味じゃなくって、真面目すぎて堅苦しいっていうか、そんなオーラっていうか。それに笛を吹いて聴かせてくれたときにも、神様みたいな普通の人間じゃない感じがしたから。でも私は普通の人間だし、気後れしちゃって」

 すると大公はカラカラと笑って、我が意を得たりと言いたげに「そうだな」と満足げに応えた。


(備考)
白川静の「古代中国の文化」か「古代中国の民俗」(たしか後者)に載っていた話が元ネタです。たしか桃の節句が古代のバレンタインだったとか何とか。