番外編「屍の国のアリス」
(ホラーと発狂注意)

 こちらは「番外編」で、アルバム的な断片表現、アイデアなどを解説含めて列挙していく感じです。

1
 大きな穴の前に、何十人もの奴隷が引き立てられていく。焦燥として泣き呻くのを、殴り蹴飛ばして追い立てていくのだ。
 大きな穴の前に跪かされ、首を切り落とされる。穴の底はもう見えない。生首がたくさん積もっているからだ。

 これを「断首坑」と言う。

 首には呪術的な効用がある。
 陵墓や建物や道や城壁の建設にも、生贄と死体は手順と必須材料として欠かせないのだ。人間だけでなく犬も殺さなくてはいけない。兵馬俑の焼き物の人形が普及するのはずっと先の話で、殉死する者も少なくなかっただろう。
 胴体は煮込んで食肉にでもしたのだろうか。酒好きな殷王朝人たちには肴とご馳走の肉が必須だったろうし、食人の習慣も犬肉料理も古い伝統なのかもしれない。

 また、これは中国だけでなく、中央アジアの古代スキタイ人などにも類似の「墓地への生贄や殉死」の風習があったそうで、そちらでは死者の肉を合い挽き肉に混ぜて食べたりもしていたようだ。
 そもそも「生死の観念そのものが現代の先進国とは違う」のであるし、見方によっては無自覚な人口調整の手段ですらあったのかもしれない。あるいは今の中国韓国の在り方に似た一面もあるのだろうか、日本や欧米の生死感がそのまま通用するかさえ怪しい。


2
 ユウには神懸かったところがあって、よく不思議な夢を見たりするのである。
 深夜に動物の頭をした人間たちが走り出てくるのだ。それはさらに古いエジプトや中東の仄暗い神話の神々であり、未来にチベットの「死者の書」(タドルの書)として結実する、無意識下の形象。ラマ僧たちによれば己自身の脳から発した光であり、自分自身であるのだとか?
 まだ人の心が、今の現代人のようでなかった頃には、人間の認識は怪異と幻想にあふれていたのだろうか?
 三千年前の羌の王妃は、六つの目で六本の腕を持つ神に愛撫され抱きしめられながら、訪越して涅槃に赴いたのだろうか?
 その胎(はら)から生まれて増えた子孫たちは、どんなふうに生きて死んでいったのか、生き残りがいるならば今どこで何をしているのか、遺伝と世代形象の輪廻の巨大な渦の中で。誰も知らないだろうし本人にすらわからないだろう。得体の知れぬ「生」はどこから来てどこへいくのか、歴史の一部であり世界と歴史そのものが巨大な霊魂であり、現世とは世界の見る夢であるというのか。


3(補足)
 とんっと小気味よい音で、的に矢が突き刺さる。「射礼」と馬車の操縦は、学問や音楽と共に当時の男児のたしなみでもある。
 遊牧民は目が良く、弓の上手が多い。案外にユウも弓が上手いのかも知れない。一緒に戦争したり、親兄弟の恨みで敵の捕虜を射殺したり、肉料理にして味方に振る舞ったのかもしれない。
 何しろ西伯だって殷王から人質の息子(長男)を殺されて、肉団子にして食わされた。威嚇で「逆らったら殺す」。そして罪人や逆賊を見せしめのためにみんなで食ったり、恨み募る仇敵悪党を食うことで怨恨を晴らす文化がある。

 これが古代中国のリアル。
 未曾有の世界が見えるようだ。

 そして絢爛たる陰惨の魔窟、偉大なる爛熟後の中華帝国の後宮。
 日本や西欧もたいがいだろうが、それでも中国韓国などはファンタジーでもなければ、より一層に救いがないのかもしれない。今の共産党幹部の振る舞いを見れば、想像がつきそうなものではないだろうか?


4(補足?)
 赤い囚人服を着せられた罪人たちが、鼻切られ足切られて、「あーあー」と言いながら、地下の冥府のヤマ王のところに下っていくのだ(中国や日本の閻魔王の起源はインド神話のヤマ)。
 どうせ走無常(死神の嘱託アルバイト?)が走り回っていて、無慈悲な獄吏のように、赤の罪人どもや巧みに隠れたつもりのアホ左翼や卑劣在日を、地獄の縁まで引っ張っていって蹴り落として貰えるんだぞ。
 あの性善説の孟子ですら「悪質過ぎる罪人は死刑で良い」と言っているわけだが、(自分たちが危ないので)「死刑廃止」を叫んでいる異常左翼の弁護士とか、嘘吐き平和運動の在日左翼とか、たぶんこれから(略)