ずっと閉じていた扉を開いた芽依菜は、一人にしてごめんねと謝ってきた。彼女の両親には、何をしたか伝えてある。自分を傷つけ死の淵に立つ娘を見ることはやはり辛かったのだろう。俺を許した。

 俺は芽依菜のトラウマを刺激しないよう、髪を伸ばし、間延びした声で話をするようになった。さらに失敗を繰り返し、庇護欲を刺激して守るべき存在であると彼女の脳に俺を刷り込んだ。

 芽依菜は嘘の記憶を元に、償いとして俺の世話を焼く。俺を優先し、俺の元へ駆けつけ俺を助ける。

 俺が居なくても、俺の姿を探し困っていないか考える。それはもう、完全に無意識のレベルに到達したと言っていい。

 そうして、日々、丁寧に糸を編むが如く芽依菜へ重ね続けた嘘は、思わぬ副産物を生み出した。

 俺の容姿は人目を惹く。周りは俺に近い芽依菜に嫉妬し、嫌がらせをしようとする。でも俺が怪我をしようとしたり、危険な目に遭いそうになると芽依菜の関心をいじめから逸らすことが出来たのだ。

 だから俺は芽依菜が傷つかないよう、車道に出てみたり教室で転んだり、馬鹿な道化を毎日演じている。

 かといって、芽依菜への悪意は現実だけではなく、ネットの世界で向けられることも当然ある。

 俺は芽依菜を監視し、芽依菜がその悪意に気付く前に、俺が見つけて消せるシステムを構築した。

 芽依菜が持っているスマートフォンのブラウザも、アプリも何もかも仮想のものに変えた。サイトで見ることの出来るネットニュースも個人に届くメッセージも、一旦俺が検閲して彼女に届くようになっている。彼女の電脳世界には、無関係の芸能人への誹謗中傷すら存在しない。完璧な優しい世界。理想郷がそこにあった。

「じゃあ……ないしょ」

 間延びした返事をして、芽依菜が選んでくれたシチューの味を充分に噛み締めた後、飲み込む。ああ、美味しい。平穏で幸せだ。復讐に囚われた猟奇殺人鬼も、もう学園にはいない。芽依菜の陰口を言った文化祭委員だって、クビになった親の事情で転校した。芽依菜を傷つけるものも、傷つけそうなものも、もう学園にはいない。

 ――俺からめーちゃん取ったら、死ぬから。

 そう伝えた言葉を、吉沢は、そしてそばで聞いていた沖田はきちんと理解していなかった。あの言葉は、俺が死ぬなんて簡単なことじゃない。それに、俺が死んだら芽依菜を完璧に守れる人間がいなくなる。そんなことあってはいけない。芽依菜は、もう傷ついてはいけない。優しく、幸せで、完璧な世界にいるべきだ。絶対に。

 だから、その為なら俺は何だってする。人に馬鹿にされて蔑まれようが、嫌われようが構わない。誰だって利用するし、いくらでも傷つける。それで、復讐される前に、相手を消そう。証拠だって残さず、完璧に。大家のように失敗しない。親に尻拭いもさせない。誰にも気付かせない。芽依菜にだって。

 それがたとえ、自分が一生男として見られなくてもだ。芽依菜に好意をそのまま伝えるのは、自分の想いがあまってのことではなく、芽依菜の経過を観察するためだ。男からの好意に、どれだけのストレス反応が出るのか。俺は芽依菜を愛しているし、ずっとそばにいたい。だからといって、暴力的に好意を向けて芽依菜を壊したくはないし、芽依菜には柔らかい世界で、何の不安も抱かず生きていてほしい。ただ、笑って、あんなにも忌まわしいことなんて見向きもせず、優しい世界の中で。

 呪いをかけるように心の中でそう囁いた。