朝礼では玉木さんとペアになるはずだった神宮寺さんなのだが、どうにもふたりの息が合わず、玉木さんに泣きつかれた私は神宮寺さんにいろいろと教えるはめになってしまった。
 とはいえ彼は同業他社での経験があり、柊夜さんの紹介で入社したそうなので新人というわけではない。呑み込みが早く、気さくな人柄のようなので話しやすかった。この分なら、午後からは玉木さんとペアに戻れるのではないかと思う。
 神宮寺さんとの会話中に伝わってきた『なんで星野ばかりにイケメンが寄ってくるのよ……!』という女性たちの殺気も和らぐことだろう。
 私は既婚者なので神宮寺さんと深い仲になりたいなどという気はまったくない。それどころか柊夜さんのおかげでイケメンの真の姿を知ることになったので、もはやイケメンに近づきたくない。
 当然のごとく私のとなりに腰かけた神宮寺さんは、自らが手にした缶コーヒーのプルタブを開けて、ぐびりとひとくち飲んだ。
 逞しい喉仏が上下するさまに、雄の色気がにじみでる。彼のてのひらも大きくて、缶コーヒーが小さく見えた。
 怜悧な眦に、柊夜さんとどこか似たものを感じる。
 一抹の憂慮を覚えた私はそれとなく訊ねた。
「あの……神宮寺さんは、鬼山課長の後輩だそうだけど、付き合いは長いんですか?」
 その問いに彼は、にやりと口端を引き上げた。
 まるで悪鬼である。私の胸に嫌な予感がよぎった。
「そうだなぁ。僕たちのルーツを辿ると、ざっと数千年の付き合いってことになる」
「えっ?」
「夜叉の花嫁の前で繕わなくてもいいよね。僕の正体は羅刹(らせつ)。八部鬼衆のひとりだ。よろしく」
「ええっ……?」
 突然のカミングアウトに驚きを隠せない。
 柊夜さんもそうだけれど、さらっと重大なことを打ち明けられても咄嗟に呑み込めないので困ってしまう。
 私は暗記した鬼神の系統図を思い出した。
 帝釈天を頂点として四天王がおり、八部鬼衆はその配下となる。持国天(じこくてん)の眷属、乾闥婆(けんだつば)毘舎闍(びしゃじゃ)増長天(ぞうじょうてん)の眷属、鳩槃荼(くばんだ)と薜茘多。広目天(こうもくてん)の眷属、那伽(なーが)富單那(ふたんな)。そして多聞天(たもんてん)の眷属、夜叉と羅刹だ。
 羅刹は夜叉と同じく、多聞天を主とする。つまり仲間と考えられる。
 私は周囲を気にしつつ、小声で囁いた。
「それじゃあ神宮寺さんは、柊夜さんと同じように現世(うつしよ)で会社勤めをしているけれど実は鬼神で、鬼衆協会の一員だということ?」
「まあね。ただ、夜叉と同じ眷属だからといって、あいつの部下というわけじゃない。どういったスタンスでやっていくかは僕の自由だ。そうだろう?」
「……そうですね」
 にじみでる俺様の気配を察知して、私は頰を引きつらせる。
 仕事中は私に対し、職場の同僚としての敬意を保っていた神宮寺さん、もとい羅刹だが、正体を明かした彼はすでに傲慢な鬼神の顔を覗かせている。
「だから、夜叉の花嫁を奪うのも自由ってことだ。そうだろう?」
「そうで……えっ⁉ 今、なんて言いました?」
 相づちを打ちかけ、慌てて聞き返す。
 柊夜さんから私を奪い取るという意味に捉えられるのだが、まさかそんなわけはない。私は特別な美人というわけではないし、なにより既婚者である。柊夜さんと一夜を過ごして同棲に至る前は、誰とも交際したことがなかったおひとりさまなのだ。
 それなのに、羅刹は微笑を浮かべて明瞭に告げた。
「僕の嫁になれよ」
 私は目を瞬かせた。
 おひとりさまが長かったためか、ストレートに求婚されると、いったいなにを言われているのか理解できなくなる。冗談なら、なるべく早めにそう言ってほしい。
 柊夜さんもそうだけれど、イケメンという部類の男性がなぜ私ごときにそんな台詞を吐くのか、しかもなぜいつも唐突なのか、納得できかねた。
「あのう……私は柊夜さんと結婚してますけど」
「それは知ってる。だからこそ、奪いたいと思うものだろう」
 楽しそうに語る羅刹を驚愕を込めて見やる。
 なんという凶悪な鬼神だろう。私が人の妻だからこそ奪いたいと、彼は宣言しているのだ。
 目を見開く私に、羅刹は顔を寄せてきた。
「冗談だと思ってるかい? ほら、僕の瞳の奥に真紅の焔があるだろう? 本気だと光るんだよ。よく見てごらん」
 言われて覗き込むと、確かにヘーゼルの瞳の奥底には、真紅の焔がたゆたっていた。柊夜さんと同じ眷属の鬼神である証だ。悠の瞳も、このような焔が見える。
「あ……ほんと。この焔、すごく綺麗ですよね」
 ふと羅刹の吐息がかかったそのとき。
 私の体が長い腕に搦め捕られ、ぐいと後方へ倒される。
「ひゃあっ⁉」
 ちっ、と羅刹は舌打ちをこぼした。