「ばぶっ」
 まるで、子を帰しに来たと言っているようだ。
 もしかしたら悠は雛を手放したくなくて泣いてしまうかもという考えが頭を掠めていたけれど、雛をおうちに帰そうと思っていてくれたことに、心が温まる。
 だが、そんな私の心を冷淡な台詞が容赦なく踏みにじった。
「なにか、ご用でしょうか? 鬼神さま」
 女性のものと思しき声が迷惑そうに吐かれた。
 周囲には誰もいない。声の主は、枝にとまってこちらを見下ろしているコマドリだった。
 柊夜さんの指摘通り、コマドリたちはあやかしか、その子孫なので言葉を話すのだ。彼女は鬼神の存在も理解しているようである。私にも声が聞こえているのは柊夜さんが傍にいるせいなのかもしれない。
「おまえが、この雛の親か? 昨日は死にかけていたようだが、回復したので帰しに来た」
「まあ……帰さなくてけっこうです。それはひどく小さくて、能力も低いようなのでいりません」
 情のかけらもない返答に、私たちは沈黙した。
 ずしりと石を詰め込まれたように胸が痞えて、呼吸ができなかった。
 コマドリはなにを言っているのだろう。
 この子が、期待通りの子どもではなかったから、いらないというのだろうか。だから昨日も見下ろしているだけで、なにもしなかったのか。
 なにかの間違いであってほしいと願いつつ、私はおずおずと言葉をかけた。
「あの……この子は昨日より、少し大きくなったんですよ。ほら、ここにあなたと同じ橙色の毛が生えているでしょう? きっと成長も早いはずです」
 しかしコマドリは、つんとくちばしを背けた。
 雛は黙って木の上の親鳥を見つめている。その黒い瞳は瞬きすらしなかった。
「わたしの子ではありません。ほかの子たちはみな巣立ちましたから。わたしの子なら、こんなにいつまでも貧弱なままのはずがありませんよ」
「だから巣から落としたのか?」
 柊夜さんの厳しい声音に、はっとした私は彼の顔を見た。
 次に、ひたむきにコマドリを見上げている悠と、彼の手の中にいる雛におそるおそる目を向ける。
 小さなふたりも聞いているのに、陰惨な事実を浮き彫りにしてほしくない。
 コマドリに、どうか否定してほしい。
 けれど、そう願う私の想いは虚しく空を切った。
「なにか証拠でもあるんですか?」
「証拠はないが、今のおまえの証言から、雛がおまえの子であることは明白だろう。親ならばどんな子どもでも愛するべきではないのか」
 突如、コマドリは金切り声のような鳴き声を響かせた。柊夜さんの言い分に腹を立てたようだ。
 ばさりと羽をはばたかせ、飛び立っていってしまう。
 呆然として去っていく姿を見ていた私は、親鳥が雛への責任をすべて放棄して、逃げたことに気がついた。
 川面の向こうに消えていく親鳥を目で追った雛は、「ピー……」と寂しげに鳴いた。
 私の胸にやりきれない憤りが込み上げる。
 許せなかった。自分が産んだ子どもを愛せない親がいるなんて、信じたくなかった。
 私自身が両親と縁遠く、愛情を受けられなかったので、なお責任感のない親を許せない思いが強かった。
「ひどい……」
 拳を震わせる私に、柊夜さんは冷静に説いた。
「野生の者たちは子孫を残すことに対して時に非情なのだ」
「それでも、ひどすぎます! 子どもが聞いているのに、あんなにはっきり言うなんて。子どもの気持ちはどうなるんですか」
「正論をぶつけた俺も悪かった。説得してどうにかなる親ではなかったようだな」
 あの親鳥は、雛を自分の子と認めなかった。それどころか、子どもの死を望んだのだ。育てにくいという理由で。
 私も親として、ふつうの子とは違う子どもの将来に不安を覚える気持ちはわかる。
 けれど、コマドリは無慈悲に子を捨てた。そこに葛藤があってほしかった。事情があったのだと、せめて子どもに納得してもらうために。
「ばぶぅ……」
 雛を抱きしめた悠は、守るように顔を伏せる。
 そんな悠の傍に膝をついた柊夜さんは、彼に言い聞かせた。
「悠、よく聞きなさい」
「あう」
「雛は巣に戻せなくなった。この雛の命をつないだのは、おまえだ。その責任を取らなければならない。わかるか」
 一歳の悠に難しいことを言っても、理解できるわけがない。
 悠は不思議そうな顔をして父親の顔を見つめた。
「雛が死ぬまで、おまえが責任を持って世話をするんだ。できるか?」
「ん」
 表情を引きしめた悠は、ぎゅっと雛を抱きしめる。
 どうやら、雛を巣に戻せないこと、うちで飼うしかないことがわかったらしい。
 この子を放置するなんてできない。私たちが拾ったのだから、命に責任を持つのは当然のことだ。