なにかが起こりそうな気配を察知した私は、柊夜さんのデスクへ赴く。
「鬼山課長……ちょっと、気になることがあるんですけど」
「神宮寺のことか、玉木のことか、まずはそれを聞こうか。俺はきみの目線がほかの男を追っていることに非常に立腹している」
 眼鏡のブリッジを押し上げて冷徹に告げる柊夜さんは憮然としていた。
 私ばかり見ていないで、仕事してくださいね。
 ともかく見ていたのなら話は早い。柊夜さんもなにか気づいたのではないだろうか。
「玉木さんのことです」
「わずかだが、玉木から瘴気を感じた。なんらかの異変が起こったようだな」
「お昼に玉木さんがフロアから出ていくとき、彼の背中に黒いものが乗ったように見えたんです。もしかして、あやかしでしょうか?」
 私にはもうあやかしが見えないはずだけれど、瘴気のかけらとして認識できたのかもしれない。もしも悪いあやかしが玉木さんに取り憑いたりしたら大変なことになる。
 私たちも退勤の支度をして会社を出た。
「その可能性は大いにある。とにかく玉木を捕まえよう。彼はまだ駅の近くにいるはずだ」
「玉木さんのあとを、神宮寺さんが追っていきましたよね。彼もなにかに気づき……」
 そこまで口にしたら、並び歩く柊夜さんが殺気を漲らせた。
 晩秋の木枯らしも凍える夜叉の殺意である。
 私は、ごくりと唾を呑み込んだ。
「あかり。俺は今、きみの口から羅刹の名前が出るだけで腹の底から殺意が湧く。今、やつの顔を見たら首を絞めかねない」
「そうですか……。ここは現世で柊夜さんは会社の課長なので立場を忘れないでくださいね」
「きみは俺だけの花嫁だ。それは死んでも忘れないでほしい」
「はいはい。死んでも忘れませんから安心してください」
「棒読みだな。本当にわかっているのか?」
「はい。本当にわかっています」
 これが社内一と謳われたイケメンの正体である。柊夜さんの嫉妬深さには脱帽だ。今に始まったことではないけれど、しつこすぎるのでうんざりしてしまう。愛が重すぎる。
「まあいい。のちほどじっくり夫婦で話し合おう」
 偉そうに許されたが、柊夜さんの言う夫婦の話し合いとは、いかに私を愛しているかと数時間にわたり、彼が語る行為を指している。しかも体を重ねながらだ。
 あまりにも長いので、途中で寝てしまったこともある。
 だが、翌日に延々と続きを語られ、その執着心に震えを通り越して呆れたものだ。
 ごくふつうの人間の女性が仕事と育児で疲れているうえに旦那様の相手までしなければならないというのは疲労が蓄積するもので、その大変さを少々わかってほしい。
「玉木さんは電車通勤ですよね。ここの駅にまだいるかもしれません」
 気を取り直して、会社の最寄り駅にいるであろう玉木さんの姿を探す。
 ところが、とある人物の姿を発見して細い悲鳴をあげてしまった。
 帰宅する人並みの中、圧倒的な存在感を誇る美丈夫が改札前で待ち構えていたのだ。
「ふたりとも、遅かったね」
 亜麻色の髪とスーツを夕陽に溶け込ませた羅刹は絵画のように壮麗で、通り過ぎる人々の目を引いている。
 思わず柊夜さんを押さえるため、両手で腕にしがみついた。
 先ほどの台詞を聞いたからには、この場で殺傷を起こされてはたまらない。
 私の行動を目にし、羅刹は眉をひそめる。柊夜さんは意外にも平静に問いかけた。
「羅刹。玉木はどこだ」
「改札を通ってホームに向かったよ。彼から瘴気を感じた。よからぬものを持っているようだね」
「やはり、おまえも気づいたか。追うぞ」
 玉木さんを追いかけるため、私たちもホームへ向かいかける。
 だが、その前に改札を通るため切符を購入しなければならない。慌てて私が券売機へ並ぼうとすると、羅刹と柊夜さんに挟まれる。
「あかりの分は僕が購入してあげるね」
「俺がふたり分を買う。当然だろう。羅刹は自分の分のみを買え」
「ここは社外だから上司面して命令するのはやめてくれないかな」
「俺はあかりの夫だから彼女の分も負担すると言っている。なにか文句があるか?」
「いちいち関係を強調するのは自信がない証拠じゃないかな?」
 あのですね、ここは駅の改札前なんですよね。
 玉木さんを見失ったら困るので、無益な争いはやめてほしい。
 にらみ合う鬼神ふたりに挟まれて冷や汗をかき通しの私は、ふたりから同じ切符を差しだされ、仕方なく両方とも受け取る。
 窓口の駅員に不思議そうな顔をされて改札を通り、三人でホームを目指した。
「あ……玉木さんがいましたよ!」
 人混みに紛れていた玉木さんの姿を発見する。
 彼は項垂れるようにうつむき、ぶつぶつとつぶやいていた。
 時折手を広げて、誰かと話すようなジェスチャーをしている。だが玉木さんの傍には誰もいない。なんだか異様な光景だ。
「あやかしと話しているんでしょうか……? 私には見えませんけど」
「いや、なにもいない。玉木のひとりごとだ」
 柊夜さんにも、なにも見えていないようだ。