ホントかな~?
疑うのも悪いけれど、誰にも相手にされなかった私をイケメンの柊夜さんが好きになっただなんて、未だに信じられないんだよね。
人は降って湧いた幸運をどう扱っていいのかわからず、受け入れられない気持ちになるのだと身をもって知った。
しかも柊夜さんが私を妊娠させたのは確信犯だった。
もしかして柊夜さんは後継者を得るためだけに孕ませたのだと思ったりもしたけれど、妊娠期間中に柊夜さんとともに過ごし、幾多の困難を乗り越えるうち、私たちの間には絆が生まれた。
育児に追われてゆっくり愛情を確認する時間もないけれど、私は柊夜さんを信頼している。
出産してからの柊夜さんはというと、私へ向けていた過保護さに磨きがかかり、赤ちゃんのオムツ替えや寝かしつけ、炊事や掃除、洗濯などの家事に至るまでこなしてくれる。
私がやることといえば赤ちゃんへのおっぱいくらいだった。
数時間おきに夜中に起きて授乳するのは大変だったけれど、柊夜さんが寝不足の私を気遣ってサポートしてくれたのでとても助かった。なんというスペシャルな鬼神パパであろうか。これで会社では仕事に厳しい課長なのだから、すごいギャップである。
ワンオペという、奥さんが家事育児のすべてを負担して心身ともに疲弊してしまうという情報をテレビから得て心構えをしていたのだが、うちは適用されなかったようだ。というか、家庭があればその数だけ悩みは異なるという事実を、私は結婚して実感した。
旦那様が鬼神という懊悩を抱えている妻は世界に私ひとり……かもしれない。
でも赤ちゃんが泣くたびに意識をそちらに持っていかれるので悩んでいる暇などないし、家族がいることはとても幸せだ。
初めは三千グラムほどだった私たちの赤ちゃんは、みるみるうちに大きくなった。
この子は来週から、人生初の試練に立ち向かうことになるのである。
ソファに腰を下ろした柊夜さんは、抱っこしている悠の顔を覗き込む。
その瞳の奥には夜叉の血を引く証である、真紅の焔が見て取れる。
まだなにも知らない悠は、柊夜さんに無邪気な笑顔を見せた。真珠のように輝く乳歯が、上下に二本ずつ生えている。
「来週からは保育園だな。パパやママがいなくなって大泣きするんじゃないか?」
悠に背負わせた風呂敷の結び目をほどいた私は苦笑を浮かべる。
私は育休期間を終えて、職場に復帰することが決まった。そこで悠を保育園に預けることにしたのだ。
十月なので途中入園になるが、役所で手続きをしたところ、近くの保育園に空きがあった。担当者の話によると、秋頃は引っ越しや転勤が増えるので途中入園する人も多いよう。
もちろん一歳の悠は、保育園に入園してママと離れて過ごすなんてことはわかっておらず、無垢な笑みを見せている。
騙すようで心苦しいと思っている母親は私だけだろうか……。
お手洗いに行こうとしただけでも慌てて私のあとを追いかけてくるのに、果たして保育園にいられるのだろうかと、今から心配になってしまう。ちなみにお手洗いには悠と一緒に入っている。扉に隔てられただけで今生の別れかと思うほど号泣するので。
「心配ですけどね。企業内保育所があればよかったんですけど、うちの会社はないですし」
「もしものときは、俺が悠を抱えながら仕事をする。会社にそのことを通しておこう」
さらりと述べる柊夜さんを怪訝に見つめる。
私の脳裏には、冷徹な鬼山課長が抱っこひもで子どもを胸に抱えながら、部下を叱咤しているという光景が広がった。
「それは微笑ましいのかシュールなのか、非常に悩ましいところですね。周囲も対応に困るんじゃないでしょうか」
「なにも問題ない。そうだな、初めからそうすればよいのか。保育園に預けなければ、あやかしに襲われる心配もしなくて済む」
あやかしの話が柊夜さんの口から出たので、私はひやりとした。
鬼神の血を引く赤子を喰らうと、あやかしはこの世界を滅ぼすほどの力を手に入られるという。そのために、妊娠した私は柊夜さんとかりそめ夫婦として同居することになったのだった。無事に出産できたものの、まだ小さい悠を襲ってくる凶悪なあやかしがいないとも限らない。
いろいろと心配事は尽きないのだが、困ったことがひとつある。
柊夜さんが過保護すぎるのだ。
なんでもしてくれる完璧な旦那様は、異常に執着心が強い。
妊娠している頃から私にぴったり張りついてあれこれと世話を焼いてくれたのだけれど、その過保護は子どもに向かうのかと思いきや、子どもと私の分で倍に増えてしまった。
私がお手洗いに行こうとしただけでも私のあとを追いかけてきて一緒に狭い箱に入ろうとするのはなぜなのか。あなたは一歳児かな?
過保護にかまうのは、私たち家族を大切に思っているからという台詞は百万回聞かされた。余計な質問をすると柊夜さんの長い話が終わらなくなるので注意が必要である。
夫婦といえども毎日一緒にいると、うんざりするのが本音だ。
「柊夜さんってば、そのことはヤシャネコに任せると決まったじゃないですか」
日なたで丸くなっていたヤシャネコは、金色の瞳を生き生きと煌めかせる。
艶めいた漆黒の毛で、口元と手足のみが靴下を履いているように白い。
猫のあやかしであるヤシャネコは、妊娠中だった私と赤ちゃんを守ってくれた、心強くもちょっぴりお茶目な夜叉のしもべだ。
「夜叉さま、おいらが保育園で悠を見てるにゃ。心配しないで会社に行ってほしいにゃん。そうしたほうがいろんな意味で平和にゃ~ん」
疑うのも悪いけれど、誰にも相手にされなかった私をイケメンの柊夜さんが好きになっただなんて、未だに信じられないんだよね。
人は降って湧いた幸運をどう扱っていいのかわからず、受け入れられない気持ちになるのだと身をもって知った。
しかも柊夜さんが私を妊娠させたのは確信犯だった。
もしかして柊夜さんは後継者を得るためだけに孕ませたのだと思ったりもしたけれど、妊娠期間中に柊夜さんとともに過ごし、幾多の困難を乗り越えるうち、私たちの間には絆が生まれた。
育児に追われてゆっくり愛情を確認する時間もないけれど、私は柊夜さんを信頼している。
出産してからの柊夜さんはというと、私へ向けていた過保護さに磨きがかかり、赤ちゃんのオムツ替えや寝かしつけ、炊事や掃除、洗濯などの家事に至るまでこなしてくれる。
私がやることといえば赤ちゃんへのおっぱいくらいだった。
数時間おきに夜中に起きて授乳するのは大変だったけれど、柊夜さんが寝不足の私を気遣ってサポートしてくれたのでとても助かった。なんというスペシャルな鬼神パパであろうか。これで会社では仕事に厳しい課長なのだから、すごいギャップである。
ワンオペという、奥さんが家事育児のすべてを負担して心身ともに疲弊してしまうという情報をテレビから得て心構えをしていたのだが、うちは適用されなかったようだ。というか、家庭があればその数だけ悩みは異なるという事実を、私は結婚して実感した。
旦那様が鬼神という懊悩を抱えている妻は世界に私ひとり……かもしれない。
でも赤ちゃんが泣くたびに意識をそちらに持っていかれるので悩んでいる暇などないし、家族がいることはとても幸せだ。
初めは三千グラムほどだった私たちの赤ちゃんは、みるみるうちに大きくなった。
この子は来週から、人生初の試練に立ち向かうことになるのである。
ソファに腰を下ろした柊夜さんは、抱っこしている悠の顔を覗き込む。
その瞳の奥には夜叉の血を引く証である、真紅の焔が見て取れる。
まだなにも知らない悠は、柊夜さんに無邪気な笑顔を見せた。真珠のように輝く乳歯が、上下に二本ずつ生えている。
「来週からは保育園だな。パパやママがいなくなって大泣きするんじゃないか?」
悠に背負わせた風呂敷の結び目をほどいた私は苦笑を浮かべる。
私は育休期間を終えて、職場に復帰することが決まった。そこで悠を保育園に預けることにしたのだ。
十月なので途中入園になるが、役所で手続きをしたところ、近くの保育園に空きがあった。担当者の話によると、秋頃は引っ越しや転勤が増えるので途中入園する人も多いよう。
もちろん一歳の悠は、保育園に入園してママと離れて過ごすなんてことはわかっておらず、無垢な笑みを見せている。
騙すようで心苦しいと思っている母親は私だけだろうか……。
お手洗いに行こうとしただけでも慌てて私のあとを追いかけてくるのに、果たして保育園にいられるのだろうかと、今から心配になってしまう。ちなみにお手洗いには悠と一緒に入っている。扉に隔てられただけで今生の別れかと思うほど号泣するので。
「心配ですけどね。企業内保育所があればよかったんですけど、うちの会社はないですし」
「もしものときは、俺が悠を抱えながら仕事をする。会社にそのことを通しておこう」
さらりと述べる柊夜さんを怪訝に見つめる。
私の脳裏には、冷徹な鬼山課長が抱っこひもで子どもを胸に抱えながら、部下を叱咤しているという光景が広がった。
「それは微笑ましいのかシュールなのか、非常に悩ましいところですね。周囲も対応に困るんじゃないでしょうか」
「なにも問題ない。そうだな、初めからそうすればよいのか。保育園に預けなければ、あやかしに襲われる心配もしなくて済む」
あやかしの話が柊夜さんの口から出たので、私はひやりとした。
鬼神の血を引く赤子を喰らうと、あやかしはこの世界を滅ぼすほどの力を手に入られるという。そのために、妊娠した私は柊夜さんとかりそめ夫婦として同居することになったのだった。無事に出産できたものの、まだ小さい悠を襲ってくる凶悪なあやかしがいないとも限らない。
いろいろと心配事は尽きないのだが、困ったことがひとつある。
柊夜さんが過保護すぎるのだ。
なんでもしてくれる完璧な旦那様は、異常に執着心が強い。
妊娠している頃から私にぴったり張りついてあれこれと世話を焼いてくれたのだけれど、その過保護は子どもに向かうのかと思いきや、子どもと私の分で倍に増えてしまった。
私がお手洗いに行こうとしただけでも私のあとを追いかけてきて一緒に狭い箱に入ろうとするのはなぜなのか。あなたは一歳児かな?
過保護にかまうのは、私たち家族を大切に思っているからという台詞は百万回聞かされた。余計な質問をすると柊夜さんの長い話が終わらなくなるので注意が必要である。
夫婦といえども毎日一緒にいると、うんざりするのが本音だ。
「柊夜さんってば、そのことはヤシャネコに任せると決まったじゃないですか」
日なたで丸くなっていたヤシャネコは、金色の瞳を生き生きと煌めかせる。
艶めいた漆黒の毛で、口元と手足のみが靴下を履いているように白い。
猫のあやかしであるヤシャネコは、妊娠中だった私と赤ちゃんを守ってくれた、心強くもちょっぴりお茶目な夜叉のしもべだ。
「夜叉さま、おいらが保育園で悠を見てるにゃ。心配しないで会社に行ってほしいにゃん。そうしたほうがいろんな意味で平和にゃ~ん」