羅刹に手を取られた途端、怒れる般若のような形相をした柊夜さんが、私の肩を抱きかかえた。
「俺の花嫁にさわるなと何度言わせる。そんなに嫁がほしいのなら勝手に探せ」
「僕は嫁がほしいわけじゃない。あかりがほしいんだ。跡取りは手に入れたんだから、結婚は解消してもいいだろう?」
「わかってないな。俺は跡取りを手に入れるためにあかりと結婚したわけではない。目に余る言動をするようなら追いだすぞ」
「やってごらんよ。鬼衆協会の人員が無駄に減るだけだ。僕が帝釈天の側に与したなら、夜叉のほうが困るんじゃないか?」
 またしても私を挟んで、壮絶な嫁取り合戦が繰り広げられる。
 鬼の嫉妬は恐ろしい。『これでも俺は鬼衆協会の会長だ』という落ち着き払った宣言はどこへ行ったのかな?
 ふたりの厚い胸板にぎゅうぎゅうに挟まれ、困った私は閃いた。
 そうだ、自分の意見を言おう。
「あのですね、私は柊夜さんを……」
「あかりは黙っていてくれるかな。これは僕と夜叉の争いだから。きみは勝者に抱かれるしかないんだよ」
 即座に羅刹から遮られてしまった。
 私の希望は通らないようだ……。
 やはり私は名もない美味しそうな鳥という位置づけで、それを捕獲したもの勝ちということなのかな。
 眉をひそめた柊夜さんは、さらに身を寄せてくる。
 ちょっと苦しいので、ふたりとも離れてほしいんだけど。
「俺を出し抜こうとするやつがよく言う。――あかり、本気にするな。羅刹にそんな気概はない」
「僕はいつでも正面から勝負していいんだよ?」
「ほう。では今からでもいいわけか」
「もちろん」
 殺気を漲らせるふたりの顔を、はらはらして交互に見やった。
 今から鬼衆協会の会合だったはずなのに、にらみ合うふたりをどうやって諫めればいいのだろう。
 呆れたように眺めていた那伽は嘆息すると、抱っこしていた悠を下ろした。
「悠、ママを連れてきな。――風天、雷地、おまえたちもこっちに来て座れよ」
「わかりました、那伽さま」
「それでは失礼いたします」
 部屋の隅に黙然として佇んでいた風天と雷地が、那伽に手招きされる。彼らは音もなく歩み、にらみ合う夜叉と羅刹をさらりと避けて円卓へ近づいた。
 私の前へやってきた悠は、「あぅあ」と言って着物の裾を引っ張る。
 鬼神よりも子どもの手のほうが強いようで、ふたりの鬼神はするりと手を離した。
 那伽の適切な判断に拍手を送りたい。
 かくして私の左となりには風天と雷地、右には悠を抱っこした那伽という席順になる。
 柊夜さんが座るであろう上座と、私たちの向かいの座席は空いている。完璧な布陣だ。
 取り残された鬼神ふたりは無益な争いをやめ、無言でそれぞれの席に着いた。
 柊夜さんは咳払いをひとつこぼす。
「それでは第千八百二回目の鬼衆会合を始めよう。本日は夜叉の花嫁と後継者が参加しているが、今日集まった者たちとはすでに顔見知りゆえ、紹介は省く。俺の家族を今後ともよろしく頼む」
「みなさん、よろしくお願いします」
 私が挨拶してお辞儀をすると、悠も「あぶぁ」と大きな声をあげた。
「本題に入ろう。多聞天から寄せられた情報だが、近頃現世でヤミガミが跋扈しているそうだ。やつは人間に乗り移り洗脳するため、非常に厄介なあやかしと言える。見かけたら報告してくれ」
 柊夜さんの話に、羅刹は眉をひそめた。
「どの鬼神の眷属でもない野良あやかしだね。あれは人間社会のひずみに入り込んだ害虫みたいなやつだ。僕たちが手を下すまでもなく、放置しておけばいいんじゃないか?」
「そういうわけにはいかない。現世にはびこるあやかしだからこそ、我々が統制する必要があるのだ。ヤミガミの特性を考えると、注意深く扱わなければならない」
 彼らの語るヤミガミとは、いったいどんなあやかしなのだろう。
 人間社会に密接したあやかしのようだけれど。
「あの、ヤミガミはどんな姿をしたあやかしなんですか?」
 害虫みたいということは、ものすごく小さいのだろうか。
 私の質問に、一同は緊張を孕んだ眼差しをこちらに向ける。
 なにか問題のあることを聞いてしまったのだろうかと思い、ごくりと唾を呑み込んだ。
 柊夜さんは丁寧に説明してくれた。
「ヤミガミは不吉を呼ぶあやかしで、黒いぬいぐるみのような姿をしている。だが実は、ぬいぐるみは器であり、その下の本体を見た者は死ぬと言われている」
「ええっ⁉ 見たら死んでしまうんですか?」
「あくまでも言い伝えだ。もとは神だったものが堕落したそうだが、真偽は定かではない。人間に取り憑いて悪事を行わせる特殊能力を持っている」
 もとは神様だったので『ヤミガミ』と名づけられたようだ。
 堕落した神が人間に悪事を行わせるだなんて、恐ろしい話だ。ぬいぐるみを被った姿だそうだけれど、本体を見た者は死に至るので、もし見かけたら注意を払わなければならないのも頷ける。