まだお話しができない小さな子でも、大人の話を耳にし、理解しているのだ。我が子の成長に心が綻ぶ一方、親として子どもに余計な心配をかけさせないよう努めないといけない。
あまり緊張しないで、会合に参加しよう。
柊夜さんは微笑を浮かべると、私に向けて大きなてのひらを差しだした。
「悠が先導してくれるようだ。では、行こうか」
「はい」
柊夜さんに、そっと手を預ける。
つないだ手からは、いつもの冷たい体温が伝わった。
「心配はいらない。これでも俺は鬼衆協会の会長だ。そして、その責務とともに、きみを守る。それを忘れないでくれ」
そっと囁くようにつぶやかれた低い声音が、大地に水が染み込んでいくように心を満たした。
こくりと私が頷くと、きつく手を握り返される。
廊下を歩んでいく悠を風天と雷地が挟んでいる。私たちは三人の小さな背中に導かれた。
ややあって、廊下の果てにある最奥の部屋に辿り着く。
「こちらでございます」
「会合の間でございます」
風天と雷地は朱塗りの壮麗な扉を開け放った。
天井の高い広間を目にして、感嘆の息がこぼれる。
中央に大きな円卓があり、それを取り囲んでずらりと精緻な細工の椅子がそろえられていた。
金の屏風には、百鬼夜行と思われるあやかしたちの行列が描かれている。
広い窓からは青い運河と行き交う舟が見渡せる。その向こうには城下町が広がり、そして遙か遠くの山々まで一望できた。
趣のある部屋には飴色の建材で、一面に緻密な透かし彫りが成されていた。
まるで皇帝が重鎮との会議を行うときに使用するような豪奢な室内は至るところに見所がある。
ところが、その雰囲気にそぐわない服装の男子が、椅子に腰かけていた。
私に目を向けた彼は明るい声をかける。
「よう、あかり。久しぶり!」
「那伽! ……それ、学校の制服なのね」
一年ぶりに再会した那伽は相変わらず茶髪を跳ねさせ、制服のブレザーにネクタイという恰好だった。しかも円卓にペットボトルのお茶と、授業で使用すると思しきノートや筆記用具が置かれている。ここは中学校の教室かな?
「日曜なのに補講だったんだよな。制服でも意外と違和感ないだろ? 自分の城に行くとさ、爺やが龍王らしい服に着替えろってうるさいから学校から直行してるんだ」
「そうなのね……。部活みたいだって、前に言っていたものね」
八部鬼衆のひとりで広目天を主とする那伽も、もちろん自分の居城を持っている。彼は柊夜さんと同じように人間と変わらない生活をして学校に通っているのだ。
現世をそのまま持ち込んでいるのは、那伽がこの会合に慣れているからだろう。
初めてのお兄さんを目にした悠は、ぽかんとして見上げている。
そんな悠の傍に、那伽は身をかがめた。
「この子が夜叉の後継者かぁ。オレは那伽だ。よろしくな」
「ばぶぅ」
「まだお話しできないの。名前は“悠”よ」
「へえ。“夜”って字をつけなかったんだな。オレなんか“橋本那伽”だから、そのまんまなんだぜ。親父のセンスのなさに今でもうんざりしてるよ」
肩を竦める那伽に、笑顔を見せた悠は両手を掲げてバンザイのポーズをする。
抱っこしてほしいという合図だ。どうやら那伽に懐いたようである。
「おっ、抱っこか? オレは妹の面倒を見たから子どもには慣れてるぞ。こうして胴を掴んでから尻を支えるんだよな」
手慣れた様子で軽々と悠を持ち上げた。
さすが那伽の抱き方は安定している。
年の離れたお兄ちゃんみたいで微笑ましい。
抱っこされた悠は、ぎゅっと那伽のブレザーの襟を掴んだ。
その様子を目にした柊夜さんは、那伽の椅子を引く。
「しばらく那伽に任せよう。会議中にぐずったら、こちらで預かる」
「了解。オレの抱っこで眠らせてやるぜ。なあ、悠?」
「あぶぅ」
楽しげな声を出す悠に安堵して、私もとなりの椅子に腰かけようとしたとき。
ふいに背後から現れた人物に、すいと手をすくい上げられた。
「僕のとなりに座りなよ、あかり」
聞き覚えのある声に、私の頰が引きつる。
悠々とした笑みを刻んだ羅刹は、柊夜さんとは対照的な純白の装束を纏っていた。その輝きは亜麻色の髪によく似合い、まるで貴族の若様のごとき気品がにじんでいる。
堂々と私に近づいて甘やかそうとしてくる羅刹は、柊夜さんへの遠慮などいっさいない。むしろ挑発しているみたいだ。私を誘惑して柊夜さんの反応を楽しんでいるのではと勘繰ってしまう。
佇んでいれば優美なイケメンなのに、中身は悪辣な男だとか、まさに凶悪な鬼神の本性を表しているようである……。
会社では、間に玉木さんを挟んでどうにかやり過ごしている。夜叉と羅刹の壮絶な戦いが勃発してしまうのではと思うと、いつもひやりとさせられていた。
あまり緊張しないで、会合に参加しよう。
柊夜さんは微笑を浮かべると、私に向けて大きなてのひらを差しだした。
「悠が先導してくれるようだ。では、行こうか」
「はい」
柊夜さんに、そっと手を預ける。
つないだ手からは、いつもの冷たい体温が伝わった。
「心配はいらない。これでも俺は鬼衆協会の会長だ。そして、その責務とともに、きみを守る。それを忘れないでくれ」
そっと囁くようにつぶやかれた低い声音が、大地に水が染み込んでいくように心を満たした。
こくりと私が頷くと、きつく手を握り返される。
廊下を歩んでいく悠を風天と雷地が挟んでいる。私たちは三人の小さな背中に導かれた。
ややあって、廊下の果てにある最奥の部屋に辿り着く。
「こちらでございます」
「会合の間でございます」
風天と雷地は朱塗りの壮麗な扉を開け放った。
天井の高い広間を目にして、感嘆の息がこぼれる。
中央に大きな円卓があり、それを取り囲んでずらりと精緻な細工の椅子がそろえられていた。
金の屏風には、百鬼夜行と思われるあやかしたちの行列が描かれている。
広い窓からは青い運河と行き交う舟が見渡せる。その向こうには城下町が広がり、そして遙か遠くの山々まで一望できた。
趣のある部屋には飴色の建材で、一面に緻密な透かし彫りが成されていた。
まるで皇帝が重鎮との会議を行うときに使用するような豪奢な室内は至るところに見所がある。
ところが、その雰囲気にそぐわない服装の男子が、椅子に腰かけていた。
私に目を向けた彼は明るい声をかける。
「よう、あかり。久しぶり!」
「那伽! ……それ、学校の制服なのね」
一年ぶりに再会した那伽は相変わらず茶髪を跳ねさせ、制服のブレザーにネクタイという恰好だった。しかも円卓にペットボトルのお茶と、授業で使用すると思しきノートや筆記用具が置かれている。ここは中学校の教室かな?
「日曜なのに補講だったんだよな。制服でも意外と違和感ないだろ? 自分の城に行くとさ、爺やが龍王らしい服に着替えろってうるさいから学校から直行してるんだ」
「そうなのね……。部活みたいだって、前に言っていたものね」
八部鬼衆のひとりで広目天を主とする那伽も、もちろん自分の居城を持っている。彼は柊夜さんと同じように人間と変わらない生活をして学校に通っているのだ。
現世をそのまま持ち込んでいるのは、那伽がこの会合に慣れているからだろう。
初めてのお兄さんを目にした悠は、ぽかんとして見上げている。
そんな悠の傍に、那伽は身をかがめた。
「この子が夜叉の後継者かぁ。オレは那伽だ。よろしくな」
「ばぶぅ」
「まだお話しできないの。名前は“悠”よ」
「へえ。“夜”って字をつけなかったんだな。オレなんか“橋本那伽”だから、そのまんまなんだぜ。親父のセンスのなさに今でもうんざりしてるよ」
肩を竦める那伽に、笑顔を見せた悠は両手を掲げてバンザイのポーズをする。
抱っこしてほしいという合図だ。どうやら那伽に懐いたようである。
「おっ、抱っこか? オレは妹の面倒を見たから子どもには慣れてるぞ。こうして胴を掴んでから尻を支えるんだよな」
手慣れた様子で軽々と悠を持ち上げた。
さすが那伽の抱き方は安定している。
年の離れたお兄ちゃんみたいで微笑ましい。
抱っこされた悠は、ぎゅっと那伽のブレザーの襟を掴んだ。
その様子を目にした柊夜さんは、那伽の椅子を引く。
「しばらく那伽に任せよう。会議中にぐずったら、こちらで預かる」
「了解。オレの抱っこで眠らせてやるぜ。なあ、悠?」
「あぶぅ」
楽しげな声を出す悠に安堵して、私もとなりの椅子に腰かけようとしたとき。
ふいに背後から現れた人物に、すいと手をすくい上げられた。
「僕のとなりに座りなよ、あかり」
聞き覚えのある声に、私の頰が引きつる。
悠々とした笑みを刻んだ羅刹は、柊夜さんとは対照的な純白の装束を纏っていた。その輝きは亜麻色の髪によく似合い、まるで貴族の若様のごとき気品がにじんでいる。
堂々と私に近づいて甘やかそうとしてくる羅刹は、柊夜さんへの遠慮などいっさいない。むしろ挑発しているみたいだ。私を誘惑して柊夜さんの反応を楽しんでいるのではと勘繰ってしまう。
佇んでいれば優美なイケメンなのに、中身は悪辣な男だとか、まさに凶悪な鬼神の本性を表しているようである……。
会社では、間に玉木さんを挟んでどうにかやり過ごしている。夜叉と羅刹の壮絶な戦いが勃発してしまうのではと思うと、いつもひやりとさせられていた。