家族が集まるリビングでは、ちょっとした祝いごとを行っていた。
 小さな胴を支えていた私――鬼山(おにやま)あかりは、ゆっくりとその手を離す。
 すると風呂敷を背負った我が子は、足を前へと繰りだした。
 まだ一歳なので頭が大きく、がに股の体型だ。ようやく先日、立ち上がって歩けるようになったばかり。
 リビングの前方でカメラをかまえていた柊夜(しゅうや)さんは、軽快にシャッターを切った。
「いいぞ、(ゆう)! そのままパパのところに来るんだ」
「ばぶぅ」
 産まれた私たちの子は男の子で、悠と名づけた。
 悠は父親である柊夜さんのもとへ、覚束ない足取りながらも満面の笑顔で向かった。
 けれど背負った餅が重いためバランスを崩し、こてんとお尻をついてしまう。
「あっ……悠」
 咄嗟に抱っこしようと手を伸ばしかけた私を、柊夜さんは制した。
「あかり、手を出すな。悠は自分で立ち上がろうとしている」
 はっとして悠の顔を覗くと、泣いていない。小さな両手を床につき、ふたたび歩こうとしてお尻を上げていた。
 一歳の誕生日を祝うため、一升分のお米を使用した餅を子どもに背負わせる風習を、『一升餅』と呼ぶ。それは“一生、食べるものに困らないように”という願いを込めているのだそう。
 一升は重量にすると二キロほどもあり、よちよち歩きの幼児が背負って歩くのはかなり難しい。なかには背負わせただけで泣きだしてしまう子もいるとか。
 けれど親としては、この子が幸せな人生を送れますようにと願わずにはいられないから一升餅を背負わせるのだ。
 かつておひとりさまだった私は、子どもの親になってその気持ちが痛いほどよくわかった。
 やがて体勢を立て直した悠は、のしのしと力強く歩み、柊夜さんの膝にタッチした。感激した柊夜さんはカメラを放りださんばかりの勢いで、悠の体をきつく抱きしめる。
「悠、すごいぞ! よくがんばったな」
 おそらく最後に撮影した写真はブレているのだろう。小さな幸せを感じた私は頰を緩ませた。
 意外にも子どもが大好きな柊夜さんは、悠に頬ずりしている。ふかふかのほっぺたに頰を押しつけられた悠は、「あうぅ」と喃語をしゃべった。
 かつての冷徹無慈悲な鬼上司がこんなにも子煩悩になるなんて、どうして予想できただろうか。
 柊夜さんは勤めている会社の上司で、私は冷徹な彼のことを密かに鬼上司と称し、苦手意識を持っていた。けれど、ふとしたきっかけで一夜を過ごし、子を授かったのだ。
 その後、紆余曲折あったが柊夜さんと入籍して、無事に出産を迎えることができた。
 孤独だった私は家族を持つことができ、幸せな日々を送っている。
 そうして瞬く間に一年が経ったのだ。
 ところが、私の波瀾万丈な人生はそれだけで終われないのである。
 その理由は、彼の正体にある。
 慣れた仕草で悠を高い高いした柊夜さんは、朗らかな声をあげる。
「おまえは将来有望だぞ。さすがは夜叉の血を受け継ぐ者だ」
 まったく意味がわかっていないであろう悠は楽しそうに、キャッキャと笑った。
 夫婦と子どもがいる幸せな家庭。
 世界の至るところに存在する一般的な家庭のひとつに見える我が家には、人には言えない秘密がある。
 私の旦那様は、夜叉の鬼神なのだ。
 妊娠が発覚したとき、私は柊夜さんからその秘密を打ち明けられた。
 それを知ったときから、平凡な人生を送っていた私は信じがたい体験をした。
 お腹の子の神気の影響であやかしが見えたり、あやかしに襲われたり、さらには鬼神たちの住む神世まで行って、伝説でしか知らなかった帝釈天と言い争ったのである。しかも臨月だった。思い返しても自分の剛胆さに震える。
 旦那様の柊夜さんは漆黒の髪と切れ上がった涼しげな眦が印象的な、端麗に整った美貌の持ち主だ。加えて背が高く、すらりとした体躯の美丈夫。紡ぎだす声音は甘くて深みがある。
 そんなすこぶるイケメンの柊夜さんが、なぜ凡庸な私を選んで孕ませたかというと、鬼神という正体が関係していた。
 亡くなった柊夜さんの母親は人間だそうなので、正確には彼は鬼神のハーフだけれど、夜叉として神世の鬼神やあやかしたちと深くかかわっている。さらに現世のあやかしを統率して人間を守る鬼衆協会の会長でもあるので、人間を忌み嫌っている帝釈天と敵対しているのだ。
 そういった事情を受け入れてくれそうだとか、鬼の子を無事に産める体力と気力がありそうだとして私が見込まれたのだ。それを柊夜さんの言葉に言い換えると、『好きだったから』になる。