「……神室が言うには『怒りを感じたことがない君だからこそ、憤怒がふさわしい』とのことでした」






生まれてから怒りを感じたことがない人間はいない。
それだというのに、猿渡は一度も抱いたことがない。
怒りを感じたことがないからこそ、怒りというものが何なのかと切望する。
望んでも分からないことが怒りへと、憤怒へと繋がる。
そう神室は考えたのかもしれない。






「怒りを知らない憤怒か。さて、此処で一つ聞きたいことがある。死亡した被害者は他の被害者より暴行の痕が深刻だった。それは意図的か?それとも、偶然か?」





汐里は何かに気付いたのか、猿渡にそう問いかけた。
死亡した被害者は暴行により、骨が粉々になっていたのはもちろん、内臓が破裂していた。
それほどの怪我を負わせるなど、余程の憎しみがなくては出来ない。





「偶然ではありません。彼が瀕死の重傷を負って死んだのは私が意図的にそうなるようにしたからです」





「……犯行に自身の意思があったのか」






「あったと言えばありますし、ないと言えばないです」





「矛盾してるな、お前」







汐里が面倒臭そうに猿渡を睨み付け、ため息を吐く。
一颯も瀬戸も猿渡の話がはっきりせず、モヤモヤとしていた。
すると、応接室のドアがノックされ、一人の子供がドアのところから顔を出す。





「先生、お話まだ終わらないの?」





そこにいたのは一颯たちが訪れた時に猿渡の傍にいた子供の一人だ。
年は小学校低学年くらい、少し癖のある髪が印象的な男の子だった。
ふと、一颯はその男の子が誰かに似ていることに気付く。
猿渡は立ち上がって、その男の子に近付くと目線を合わせるようにしゃがんだ。





「もう少し待っててくれますか?ミサまでは戻りますから」






「はーい」






猿渡が頭を撫でてやれば、男の子は素直に部屋を出ていった。
男の子を見送った猿渡は再び一颯たちの方を振り向いた。





「今の子の父親が誰か分かりましたか?」






「……もしや、死んだ組員なのか?」






「ご名答です、瀬戸司君。あの子の父親は私が殺した暴力団組員です」






異様な繋がりだった。
自分の父親を殺した犯人に懐く息子。
本来ならば、憎しみを抱く対象だろう。
だが、あの男の子からはそんなものは感じず、寧ろ父のように慕っている。
だとすれば、あの男の子は自分の父親を猿渡が殺したことを知らない。





いや、もしかしたら、自分の父親が誰なのかも知らないかもしれない。
此処は孤児院、身寄りのない子供が暮らす場所。
両親が誰かのか分からない子供も少なくは無いだろう。
だが、殺された組員があの男の子の父親ならば――。