「よかった……ああ、そうだ。『夢想探偵シリーズ』の続編は、また1年後くらいに出ますか? 俺、あのシリーズの気怠いホームズも好きで」

「あれは……そうですね」

うきうきと尋ねる彼方さんに、私はつい言葉を詰まらせてしまった。
先ほど出したばかりのシリーズの新作、その初版の部数が脳裏に過ぎり、冷や汗が浮かぶのを感じる。

「……私も続きを書きたいんですけど、今回の売れ行き次第では、もう続編は出せないかもしれません」

「え……?」

「ご存知かもしれませんが、ここ数年、私の著作は売上が芳しくなくて。打ち切りもあり得るんです」

「そうだったんですね……すみません、考えが及ばず軽率なことを言ってしまって」

彼方さんの気まずそうな顔に、こちらの方こそ申し訳なくなってしまう。
出版不況と言われるこのご時世、業界は売れない作家に優しくなどしてくれない。
むしろよくこれまで四冊も出させてもらえたものだと、感謝しなければならないくらいだ。
いつ打ち切られてもいいように、そのシリーズは単独でも読めるようにしていたけれど、まだ書きたかったエピソードは少なからずあり、私にも心残りがあった。
彼方さんのように新作を楽しみにしてくれているコアなファンもいてくださったのに、もっと試行錯誤をして、売る努力をする余地はあったのではないだろうか。
今さら意味のない自省をして、膝の上で拳を握る。

「本当は私、彼方さんに褒めてもらえるような作家ではないんですよ」

「そ、そんなことは――」

「一番売れたデビュー作も、中学生が書いたにしては出来がいいという程度で、肩書きを外せばただの凡作だと叩かれましたし」

ものすごく沈んだ気分になり、またこのところ不器用な自分に呆れていたこともあって、私はつい自虐的な言葉を吐いてしまった。
そうだ、初めからこの仕事は向いていなかったのかもしれない。
それなのにぐずぐずと中途半端に続けてしまったせいで、後戻りできないようなところまで来てしまった。
きっと今から別の人生を歩もうとしても、世間知らずで社会不適合者な私に務まる仕事なんてほかにはないだろう。
頭に浮かぶ紛れもない現実を苦々しく思っていると、ふと私の発言を聞いた彼方さんの表情が曇っていくのに気づき、私はハッとした。

「あっ、でっ、でも、次回作は作家生活10周年の記念作なので、これまで以上に気合いを入れて書きたいとは思っているんですよ」

慌てて弁解したものの、しょせん後の祭りだ。
初対面の、しかも大切な読者の方に向かって、私は何を言っているのだろう。
ずっと作品を追ってきた作家がこんな後ろ向きな人間で、彼方さんを幻滅させてしまったかもしれない。
彼の目を見ていることができなくなり、たまらず俯く。
すると少しの沈黙の後、「俺もですけど」と彼方さんは呟いた。

「人間って、どうして悪い記憶を強く頭に残してしまうんですかね。せめて同じくらい、幸せな記憶も置いていてくれたらいいのに」

その声音が存外優しく響いたのを聞いて、私はおそるおそる顔を上げた。
彼方さんは穏やかな、けれど少し寂しげな顔をしていて、また良心がちくりと痛む。

「最初に『かなしい共犯者』を読んだときの感動を、俺は今でも鮮明に覚えています」

彼の言う『かなしい共犯者』とは、私のデビュー作のタイトルだった。
久しぶりに耳にしたそのタイトルに、遠い昔に書いた内容までもが思い起こされる。