「そうですか。お休みの日はどんなことを?」
「最近だと、友人たちと釣りに行ったり、今日のように喫茶店を巡ってますかね」
「なるほど。では、尊敬する人や座右の銘などあれば――」
そうして、私は思いつく限りの当たり障りない質問を彼に投げかけていった。
一番知りたかったのは恋愛経験についてだったが、改めて考えれば初対面の方に聞くようなことではないと思い、さすがの私も自重したのだ。
それでもほかの質問にはすべて真摯に答えてもらい、おかげで少しはリアルな男性像が頭の中で描けるような気がした。
「なんだかお腹が空いてきましたね。何か食べましょうか」
「わぁ、ぜひ!」
ひととおりの質問に答えてもらったあと、私たちは軽食を取りながら休憩を挟むことにした。
頭を酷使したおかげで、ちょうど甘いものを欲していたのだ。
私はフレンチトーストを、彼方さんはミックスサンドを頼み、それぞれコーヒーもおかわりする。
黄金色をしたフレンチトーストは、メイプルシロップの風味とカリカリトロトロとした食感が最高で、私はひとくち食べただけで虜になってしまった。
「それにしても、まだ夢をみているみたいです。こうして日下部先生とお話しているなんて」
糖分の摂取が完了し幸せな気分に浸っていると、彼方さんはコーヒーカップを持ったまま嬉しそうに呟いた。
瞳が少年のようにきらきらとして見え、その眩しさに目を細める。
「私も不思議な感じです。彼方さんはお手紙にほとんど自分のことを書かれないから、お名前だけで女性だと思っていましたし」
「それを言うなら日下部先生だって、プロフィール非公開じゃないですか」
「ああ、言われてみれば、たしかにそうですね」
そういえば、私は年齢と出身地くらいしか素性を公開していない。
覆面作家をやっているのは、デビュー当時まだ学生で、私生活に影響が出ないようにするためだったけれど、その後も明かす機会がないままここまでやってきてしまったのだ。
「実は今日も先生の本を持ち歩いていたんですよ。ここで読もうと思って」
すると、彼方さんはカバンの中から文庫本を取り出した。
見覚えのある黄色い装丁は、私が19歳のときに出した短編集のものだ。
それを見て、たしかに彼の生活の中に私の書いた物語が存在していたのだと、今になって実感する。
「この短編集も大好きで、何度も読み返しています。中でも特に『とびうおの呼吸』が気に入っていて」
『とびうおの呼吸』とは、短編集の3作目に収録された、水泳教室に通うかなづちの少年の話だった。
「主人公がプールから上がった自分の指を、“びやびやした指”って表現するじゃないですか。最初はそれを「かわいいけど不思議な表現だな」と思ってたんですが、風呂上がりに自分のふやけた指を見たとき、「ああ、たしかにこれを言い表すなら“びやびや”しかないな」って、ものすごく感心させられました」
そのときの感動を物語るように、彼方さんの声が生き生きと響く。
それはカナタさんの淡々とした文章とは違って、迸るような熱量を感じるものだった。
あんなにも丁寧に書かれていた手紙だ、きっといつもは言葉を選んで慎重に綴ってくれていたのだろう。
もしかしたらほかにももっと、私に伝えたいと思ってくださった言葉があったのかもしれない。
そんなことを考えていると、彼方さんは我に返ったように咳払いをしてから照れ笑いをした。
「すみません、つい語ってしまって。気持ち悪かったですかね」
「そんなことないですよ。もちろん嬉しいです」
「最近だと、友人たちと釣りに行ったり、今日のように喫茶店を巡ってますかね」
「なるほど。では、尊敬する人や座右の銘などあれば――」
そうして、私は思いつく限りの当たり障りない質問を彼に投げかけていった。
一番知りたかったのは恋愛経験についてだったが、改めて考えれば初対面の方に聞くようなことではないと思い、さすがの私も自重したのだ。
それでもほかの質問にはすべて真摯に答えてもらい、おかげで少しはリアルな男性像が頭の中で描けるような気がした。
「なんだかお腹が空いてきましたね。何か食べましょうか」
「わぁ、ぜひ!」
ひととおりの質問に答えてもらったあと、私たちは軽食を取りながら休憩を挟むことにした。
頭を酷使したおかげで、ちょうど甘いものを欲していたのだ。
私はフレンチトーストを、彼方さんはミックスサンドを頼み、それぞれコーヒーもおかわりする。
黄金色をしたフレンチトーストは、メイプルシロップの風味とカリカリトロトロとした食感が最高で、私はひとくち食べただけで虜になってしまった。
「それにしても、まだ夢をみているみたいです。こうして日下部先生とお話しているなんて」
糖分の摂取が完了し幸せな気分に浸っていると、彼方さんはコーヒーカップを持ったまま嬉しそうに呟いた。
瞳が少年のようにきらきらとして見え、その眩しさに目を細める。
「私も不思議な感じです。彼方さんはお手紙にほとんど自分のことを書かれないから、お名前だけで女性だと思っていましたし」
「それを言うなら日下部先生だって、プロフィール非公開じゃないですか」
「ああ、言われてみれば、たしかにそうですね」
そういえば、私は年齢と出身地くらいしか素性を公開していない。
覆面作家をやっているのは、デビュー当時まだ学生で、私生活に影響が出ないようにするためだったけれど、その後も明かす機会がないままここまでやってきてしまったのだ。
「実は今日も先生の本を持ち歩いていたんですよ。ここで読もうと思って」
すると、彼方さんはカバンの中から文庫本を取り出した。
見覚えのある黄色い装丁は、私が19歳のときに出した短編集のものだ。
それを見て、たしかに彼の生活の中に私の書いた物語が存在していたのだと、今になって実感する。
「この短編集も大好きで、何度も読み返しています。中でも特に『とびうおの呼吸』が気に入っていて」
『とびうおの呼吸』とは、短編集の3作目に収録された、水泳教室に通うかなづちの少年の話だった。
「主人公がプールから上がった自分の指を、“びやびやした指”って表現するじゃないですか。最初はそれを「かわいいけど不思議な表現だな」と思ってたんですが、風呂上がりに自分のふやけた指を見たとき、「ああ、たしかにこれを言い表すなら“びやびや”しかないな」って、ものすごく感心させられました」
そのときの感動を物語るように、彼方さんの声が生き生きと響く。
それはカナタさんの淡々とした文章とは違って、迸るような熱量を感じるものだった。
あんなにも丁寧に書かれていた手紙だ、きっといつもは言葉を選んで慎重に綴ってくれていたのだろう。
もしかしたらほかにももっと、私に伝えたいと思ってくださった言葉があったのかもしれない。
そんなことを考えていると、彼方さんは我に返ったように咳払いをしてから照れ笑いをした。
「すみません、つい語ってしまって。気持ち悪かったですかね」
「そんなことないですよ。もちろん嬉しいです」