お話を聞くことができれば、リアルな男性像を創造しやすいかもしれない。
我ながらいいアイデアだと男性に詰め寄ると、彼は驚いた顔を隠す余裕もないほどにたじろいだ。

「えっと……面白い話はできそうにないんですけど」

「普段のお話を聞くことができれば十分です」

「そんなことで、いいのでしたら」

少々強引に承諾をもぎ取って、心の中でガッツポーズをする。
弱みにつけ込むようで良心が痛むが、これも周年記念小説のためだ。
もはやなりふりなど構っていられない。
とりあえず場所を変えようと、男性は近くの喫茶店に移動することを提案してくれた。
今日は仕事がお休みで、元々その喫茶店に向かう途中だったらしい。
彼の案内を受けながらしばらく二人で歩いていると、昭和の香りを色濃く残すような純喫茶風の外観が見えた。

「こんにちは」

「いらっしゃい。おや、お一人でないなんて珍しい」

気さくに挨拶をする男性に続いて店内に入れば、そこでは愛想のいいマスターが迎えてくれた。
どうやらこの男性は、マスターと顔見知りになるくらいにはここの常連らしい。
店内はカウンター席が六つと、奥の窓際にテーブル席が二つある。
カウンター席には先客がお一人いて、私たちはテーブル席の方へと腰をかけた。
外観と同じく内装もレトロで凝っていて、まるでお伽話に出てきそうなお店だなと、思わず目を奪われる。

「ここはコーヒーが美味しくておすすめなんです。あっ、コーヒーは飲めますか?」

「はい、好きです」

それから私たちは、男性のおすすめするブレンドコーヒーを揃って注文した。
いつもならばあの詐欺師のような編集者が引くほどに砂糖やミルクを入れるのだが、初対面の人の手前、角砂糖2個で止める。
出てきたコーヒーはたしかにいい香りがして、素直に「美味しい」と褒めると、彼は安心したように「よかった」と微笑んだ。

そう言えば東雲さん以外の男性と会話をするのは久しぶりだ。
今さらながらに緊張を感じながら、どう話を切り出そうかと迷っていると、先に男性の方から「そういえばまだ名乗ってもいなかったですよね」と言った。

「オチカタと申します。化学メーカーに勤めておりまして……と言っても、この春に大学院を卒業したばかりなんですが」

オチカタさんというのは、初めて聞く名字だった。
院卒ということは、やはり同い年くらいなのだろうかと考えていると、彼は律儀にも名刺を取り出して私にくれた。
白い紙の上に印刷されているのは、世間に疎い私でも聞いたことのある有名な企業の社名だ。
整った容姿と誠実な人柄に加えて、この人はどうやらエリートでもあるらしい。
天は二物どころか、彼に何物を与えるつもりなのかと凡庸な感想を抱いていると、社名の下に“彼方千里”という文字を認めて、私は自分の目を疑った。

千里(ちさと)って、女性のような名前ですよね」

「成人式の前なんか、振袖のカタログが届いたりしたんですよ」と、彼方さんが苦笑する。
しかしその冗談に、私は言葉を返す余裕すら持ち得ず黙り込んでいた。
目の前の男性が、あの“カナタさん”……?
想像していた“彼女”の人物像と、あまりにもかけ離れたその姿に動揺を隠せずいると、事情を知らない彼方さんは不思議そうに首を傾げた。

「どうされました?」

「いえ、あの……よくファンレターをくださる方と同じお名前だったので、つい驚いてしまって」

珍しい名前だけれど、ほかに同姓同名の方がいるのだろうか。