それよりも、私は千里くんの体調の方が心配だった。
先ほどまで微笑んでいたはずの顔が強張り、うっすらと青ざめてきている。
体の方もわずかに震え出して、鳥肌が立っているようだ。
今にも倒れてしまいそうで、気が気ではない。

「千里くん、無理しないで」

「大丈夫。むしろ本当にごめん。俺からお願いしていることなのに、こんなふうに震えてたら不快な気持ちにさせるよね」

「私は構わないから。でも本当に大丈夫なの……?」

「うん、思ったより平気なんだ。相手が聖ちゃんだからかな」

しかし彼のへらりとした笑い方は、明らかに無理をしているときのものだった。
その無理をごまかすためか、彼は繋ぐ手を左手に変えると、気合いを入れるようにして力を込めた。

「車に戻るまで、こうしていてもいい?」

「大丈夫だよ」

「ごめんね、ありがとう」

私の手を引いて、彼が再び歩き出す。
その背中を見ながら、私はなぜだか心臓を鷲掴みにされたような心地でいた。
彼の手と触れている部分が、どんどんと熱を増していく。
これまで気にしたこともない自分の体温が彼を無遠慮に苦しめるのが分かって、どうしようもなく悲しい。
けれどもこの熱を知っている女性は私以外にはいないのだと思うと、仄暗い優越感のようなものもわいてくる気がした。

同情や庇護欲や独占欲が綯い交ぜになって、そのどれでもないものに変化しながら、自分の奥底で渦巻いていく。
とても衝動的な、あるいは少し暴力的とも思える感情に、私は密かに怯えていた。
こんな気持ちになるのは生まれて初めてのことだった。
まるで荒れ果てていた私の庭先に、小さな花の咲いた苗をぽつんと置かれてしまったような気分だ。
道具もなければ知識もなく、どうすればいいか分からない。
頼りない自分の元にあってもしょうがないなら、いっそ散らしてしまった方がいいかと考えてしまうくらいだ。
それでも、初めて手にしたこの花を守りたいという願いは、私の中にも確かにあった。
ああ、この人の手を離したくないな。
腐っても小説家だというのに、自分の感情に明確な名前も与えられないまま、私は初めての経験に翻弄されていた。

小説を書きたい。
今まさに自分の中で蠢いているものを、文字にして吐き出さなければ。
使命感にも似たそんな欲求に駆られた私は、千里くんとのデートを終えて帰宅するなり、机にかじりつくようにして執筆を始めた。
それは“等身大の恋愛小説”とは毛色が違う話だと分かっていたけれど、どうしても書かずにはいられなかったのだ。
寝食すらも忘れて書きつづったその没頭ぶりは、処女作のときの勢いすらも凌駕するもので、私は約一週間で半分ほどを書き終えると、一応東雲さんにデータを送った。
おそらく求められているものとの方向性の違いで一蹴されてしまうだろう。
しかしそんな私の予想に反し、意外にも東雲さんは会って話がしたいと言ってきた。

「送ってもらった原稿はすべて読みました」

東雲さんと待ち合わせをしたのは、千里くんと初めて会った日に行った喫茶店だった。
席に着くなり口火を切った東雲さんは、いつでも冷静沈着な彼には珍しく、どこか気が逸ったような様子だ。

「端的に言います。このまま続きを書き進めてください」

「えっ! 本当ですか!?」

「ええ。相変わらず文章に色気はないですが、清潔で切ないストーリーには合っていますし、内容も若い女性を中心に受けるでしょう」