すると、その様子を見ていたらしい彼方さんが、くすくすと笑い声をもらすのが聞こえた。
「この前のフレンチトーストも美味しそうに召し上がっていましたし」と言われ、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。
そうか、だから彼は今日、甘いものが有名なお店に連れてきてくれたのか。
「えっと、元々甘党ではあるんですが……甘いものはガソリンというか、ルーティーンというか、プラシーボなんですよ」
「プラシーボ?」
「つまり、自分で自分に暗示をかけているんです。甘いものを食べれば、いい小説が書けるっていう」
「なるほど。俺にとってのコーヒーみたいなものですかね? 仕事や読書の前に、集中するためのスイッチとして飲むことがあります」
「そうです! そんな感じです!」
そういえば以前、同じ話を東雲さんにしたとき、「私にとっての煙草ですね」と聞いた覚えがある。
大人は誰しも、そういったものをひとつは持っているのかもしれない。
面白いことを知ったなと思いながら、カバンから手帳を取り出し、メモに残す。
物語の中のエピソードとして利用できるかもしれないと考えていると、目の前に座る彼方さんも、自分のカバンの中から手帳のようなものを取り出すのが見えた。
なんだろうかと不思議に思えば、彼は茶色い革製のそれを開くと、そのまま私に向かって掲げてくれた。
目に飛び込んできたのは、白い紙いっぱい羅列された、あの見慣れた綺麗な文字だ。
「それは……?」
「日下部先生にいろいろとお話しできるように、俺の方でも友人や同僚の生態を調査してきたんです」
「ええっ!?」
なんて律儀な人なのだろう。
驚いて彼の手帳をじっくりと拝見すれば、ご友人や同僚の方に関することが丁寧に書き連ねてあって、私は途方もないような優しさを感じた。
一体この人はどこまで好青年なのか。
「社内にチームがあるので、休日はフットサルをやっている同僚が多かったですね。あと最近は男女ともに料理にハマってるやつも多くて――」
それから彼方さんは、調べたひとつひとつのことを穏やかな声で説明してくれた。
仲のいい友人のプロフィールや、その中で起こった出来事は、生きている人間の熱量のようなものがあって、いい意味で生々しい匂いが立ち込める気がした。
「ああ、そうだ。まるで小説みたいだなと思ったエピソードもあるんですよ」
そう言うと彼は最後に、高校時代からお互いに両片思いをしていたという、先輩社員二人について教えてくれた。
「高校時代、二人は同じ部活の先輩後輩だったんですが、告白できないまま卒業して、一度は離れ離れになってしまったそうです」
「それから偶然、社内で再会したと」
「はい。そしてついにこのあいだ、10年越しに想いを実らせて付き合うことになったんですよ」
「すごい……そんな運命的なこともあるんですね」
なんて素敵なエピソードだろう。
ドラマチックで、これは次回作にも活かせそうだと思っていると、私はとあることに気づいた。
ちょっと待てよ、10年越しに偶然出会ったというなら、私と彼方さんも同じではないか?
頭の中で彼方さんの先輩と自分たちが重なり、運命的だと言った言葉がブーメランのように刺さる。
それなら私と彼だって――。
そこまで思い至って、私は冷静になり、首を横に振った。
……いや、違う違う。
仮に運命的だったとしても、私たちの出会いは恋愛的なものではない。
だって私にとって恋愛とは、分不相応な、自分とはまったく縁のないものなのだ。
それもこんな好青年相手に、ありえない。
「この前のフレンチトーストも美味しそうに召し上がっていましたし」と言われ、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。
そうか、だから彼は今日、甘いものが有名なお店に連れてきてくれたのか。
「えっと、元々甘党ではあるんですが……甘いものはガソリンというか、ルーティーンというか、プラシーボなんですよ」
「プラシーボ?」
「つまり、自分で自分に暗示をかけているんです。甘いものを食べれば、いい小説が書けるっていう」
「なるほど。俺にとってのコーヒーみたいなものですかね? 仕事や読書の前に、集中するためのスイッチとして飲むことがあります」
「そうです! そんな感じです!」
そういえば以前、同じ話を東雲さんにしたとき、「私にとっての煙草ですね」と聞いた覚えがある。
大人は誰しも、そういったものをひとつは持っているのかもしれない。
面白いことを知ったなと思いながら、カバンから手帳を取り出し、メモに残す。
物語の中のエピソードとして利用できるかもしれないと考えていると、目の前に座る彼方さんも、自分のカバンの中から手帳のようなものを取り出すのが見えた。
なんだろうかと不思議に思えば、彼は茶色い革製のそれを開くと、そのまま私に向かって掲げてくれた。
目に飛び込んできたのは、白い紙いっぱい羅列された、あの見慣れた綺麗な文字だ。
「それは……?」
「日下部先生にいろいろとお話しできるように、俺の方でも友人や同僚の生態を調査してきたんです」
「ええっ!?」
なんて律儀な人なのだろう。
驚いて彼の手帳をじっくりと拝見すれば、ご友人や同僚の方に関することが丁寧に書き連ねてあって、私は途方もないような優しさを感じた。
一体この人はどこまで好青年なのか。
「社内にチームがあるので、休日はフットサルをやっている同僚が多かったですね。あと最近は男女ともに料理にハマってるやつも多くて――」
それから彼方さんは、調べたひとつひとつのことを穏やかな声で説明してくれた。
仲のいい友人のプロフィールや、その中で起こった出来事は、生きている人間の熱量のようなものがあって、いい意味で生々しい匂いが立ち込める気がした。
「ああ、そうだ。まるで小説みたいだなと思ったエピソードもあるんですよ」
そう言うと彼は最後に、高校時代からお互いに両片思いをしていたという、先輩社員二人について教えてくれた。
「高校時代、二人は同じ部活の先輩後輩だったんですが、告白できないまま卒業して、一度は離れ離れになってしまったそうです」
「それから偶然、社内で再会したと」
「はい。そしてついにこのあいだ、10年越しに想いを実らせて付き合うことになったんですよ」
「すごい……そんな運命的なこともあるんですね」
なんて素敵なエピソードだろう。
ドラマチックで、これは次回作にも活かせそうだと思っていると、私はとあることに気づいた。
ちょっと待てよ、10年越しに偶然出会ったというなら、私と彼方さんも同じではないか?
頭の中で彼方さんの先輩と自分たちが重なり、運命的だと言った言葉がブーメランのように刺さる。
それなら私と彼だって――。
そこまで思い至って、私は冷静になり、首を横に振った。
……いや、違う違う。
仮に運命的だったとしても、私たちの出会いは恋愛的なものではない。
だって私にとって恋愛とは、分不相応な、自分とはまったく縁のないものなのだ。
それもこんな好青年相手に、ありえない。