「岬は気が利かないでしょう」

秀星は微笑みを浮かべて彩乃にそう言った。彩乃は悲しそうに眉を寄せて、そんなことないの、と言った。

「執事として雇った私に、良くしてくれるわ」

「でも、慇懃無礼な対応なだけだ。僕なら彩乃さんをより良く知っていると思いますよ。……僕ならもっと彩乃さんを楽しく、幸せにしてあげられる」

力強く手を握る秀星に、彩乃は弱々しく首を振った。小さく、ごめんなさい、と呟く声が聞こえる。

「好きな方が……、居るんです……」

しんと鎮まった放課後の特別棟の片隅で、彩乃のささやきが響くように聞こえた。彩乃の目の前に居る秀星はそれを分かったかのように、悲壮な顔をして居ない。しかし、その場を覗き見てしまった岬の心臓は、痛いくらいに激しく打っていた。

(彩乃の……、好きな人……?)

誰かに想いを寄せているようには見えなかった。高校に入学してからも、岬の隣で彩乃は変わらず尊大に笑っていたと思っていた。でもその笑顔の下に、片恋の相手を想う顔を潜めていたのだ。小六から宮田の屋敷に呼ばれて以来、見せたことのなかった顔があったというのか。

耳の鼓膜の奥で激しく打ち鳴らされる動悸の音に、震える手のひら。とてもその場に居られなくて、岬はそっとその場を離れた。

(誰……? 一体誰のこと……!?)

動揺する自分をおかしいとは思わなかった。ただひたすら、彩乃の想う相手を知りたいと思った。





「岬は貴女を恨んでますよ。……執事なんて身分にされて……」

秀星の言葉に彩乃は驚きに目を開き、悲壮な顔をした。

「そんな……」

彩乃の眦からぽろりと涙が零れる。秀星がそれを拭おうとして、でも彩乃は秀星に触れさせなかった。

「慰めないでください……。私が悪いことをしたのなら、泣くのはお門違いで、私は謝らなければならないわ……」

ぽろぽろ零れる涙を何度も拭いながら、彩乃は言った。悲しみの色に塗りつぶされてしまった瞳には、秀星は映っていなかった。





その夜、岬は寝付けなかった。この屋敷に連れてこられた時も彩乃に対する憎しみで眠れなかったけど、今回の理由はそうではなかった……。