全員校庭に遊びに出ていて、誰もいない放課後があった。それは真冬の一月にしては珍しいことだった。ふとトイレに行っている隙に教室に誰もいなくなっていたのだ。今から校庭に出れば遊びに混ぜてもらえるだろう。

でも、私はおそるおそる電子オルガンの電源を入れた。
寒々(さむざむ)とした教室に、ポーン…と音が響いた。
欠けた鍵盤(けんばん)()でて、椅子に腰掛け一息つくと、ソナチネを弾き始めた。楽譜は手元になかったけど、もう音符が身体に染みこんでいた。



そのときだった。
私の心の、左右に振れていたメトロノームの振り子が止まった。
教室の時が凍結(とうけつ)したように感じた。
ずうっと焦がれていた、彼の声が聞こえた気がした。



「みお?」




振り返るとそこに彼がいた。
ランドセルを下ろした内浜(うちはま)がいた。自分の席の側につっ立っていた。片手にマフラーを持ち、忘れ物を取りに来たら出くわしてしまった、とでも言いたげな
無防備さに包まれていた。

私はこんな突然の一瞬を、おそらくずうっと待っていた。







「別人と思った。えぇっ!すっげぇ上手いじゃん。」
「ゆ、ゆっくりなら私だってこれぐらい弾けるよ…」


取り繕ったかのような彼の小学生っぽい声が、静寂(せいじゃく)を破った。
一心不乱に弾いていたところを人に目撃されてるのはそういえば初めてで、
どんな顔をしていたのか思い起こそうとすると、私は急に恥ずかしくなった。



考える間もなく、彼は電子オルガンの横にまで歩みを進めていた。
彼は椅子に座る私の横に、並んで立って、
腕だけ私の胸の前に伸ばして、そうして鍵盤(けんばん)を撫でた。




「おれもオルガン触っていい?」