ホイッスルが鳴って試合が始めるとすぐに、彼の異変(いへん)に気づいた。

ボールをパスで受け取ってから、ゴールに投げ込むまでの流れが、
そうスローイングがあまりにも一瞬すぎたのだ──

それは、教室でふざけてボールを投げていたときと全然違う手つきだった。
あの頃の、電子オルガンにぶつけた頃の彼とは別人の、町内野球クラブの一員の彼がそこに居た。
腕をしなやかに突き上げて、体重移動をして。もう何百回と繰り返したかのようなこなれた動作でパスをしたのだ。その全てがスロー再生したように見えた。そして、力強い視線で(とら)えたその先には、コーンで場所が示されたゴールがあった。彼の手から(はな)たれたボールは間もなくその元へと吸い込まれていった。


誰も追いつけず、ボールはバンッと大きな音を立てて床をバウンドした。
そして誰もいない方向に静かに転がっていった。



やんちゃでよく先生に叱られていた彼の姿はもうそこにはなかった。
一人の、スポーツ少年がそこに居た。
ボールに真摯(しんし)に向き合う姿勢は、彼を浮いた存在へとさせていった。





体育館の壁にもたれていた女子の数人がキャーと甲高い声を上げた。

「げ。内浜(うちはま)……アイツさすがピッチャーだな。」
「アレは卑怯(ひきょう)だ。勝てっこないよ…。」

男子の数人も、愚痴愚痴(ぐちぐち)言いながら、上履きで地団駄(じだんだ)を踏んでいた。




それから数分経ったらしく、私は同じチームの男子が急に投げ込んできたボールを受け取れなくて、びっくりして転んでしまった。
それと同時に試合は終了した。





「ドジだな~。みお。しっかり前見てろよ。負けちまったじゃねぇか。」
「ごめん。」
同じチームの男子は言いがかりをつけつつも、(ひじ)(ひざ)を見て怪我の有無(うむ)を見てくれた。


でもすぐに顔をコートの向こう側に向けて彼に話しかけたのだ。


内浜(うちはま)、お前。野球クラブ入ってからなんかフォーム本格的じゃん!マー君みたい。」
「いやいや。そんなことないって。全然安定してないし足とか。やばいんだって。」

彼は足をぐねぐね動かしながら、その男子の肩に腕を置いた。
だけれども随分謙遜(ずいぶんけんそん)して答えていた。




「内浜って言えばさ、俺職員室で聞いちゃったんだけど」
体育委員の男子がボールを回収しながらその二人の間にふと口を挟む。

「県立附属中の野球部からスカウトされたんだろう?」

ギャーッという一番大きな悲鳴が男女混声で響き渡った。どこからか聞いていたクラスメートがわっと集まった。

「ハイハイ!俺はM市の強豪少年野球チームからも誘われてるって聞いたよ。」
「病欠のピッチャーのピンチヒッターで隣町のチームに混ざって対戦したんだってな、そこで目付けられたとか」
「因縁付けられたの間違いじゃなくて?」
「ええっそれってやばくない?」
「内浜くんすごいカッコいい!!」


内浜はあっという間に囲まれていた。私はそれを遠くからぼうっと眺めていた。




───彼と私はいつの間にかこんなにも遠くなったのだろうか。その間に感じていたものは私だけの勘違いだったのだろうか。
なんてその背中が語っているように思えた。

汗を吸ってシャツが透けた彼の背中。それが大人の男の人っぽく見えて少しゾッとした。