「朝日の美しさだけは、どの世界も変わらんな。心が洗われる」

「おまえ、洗う心なんてないだろ。その穢れ皆無っぷりはなんなんだ」

「先日、ちょっとな。思いがけないところで浄化の余波を喰らったら、どうにも溜め込んでいた穢れが消し飛んだ。うちの嫁は凄いぞ」

 なんだ惚気かよ、と途端に興味を失ったのか、冴霧は欠伸を漏らす。

 水無月。

 季節で言えば夏直前にも関わらず、未だ春先のようなひんやりとした空気が頬を撫でた。

 薄い小袖一枚だった真宵は、思わずぶるりと身体を震わせる。

 するとそれに気づいた冴霧が、素早く纏っていた絵羽織の前紐を解いた。
 
 何をするのかと思っていれば、おもむろに抱き直されて内側へと入れ込まれる。

「わ、わっ……」

 冴霧の片腕に座らされるように抱かれた真宵は、戸惑いながら顔をもたげた。

「さ、冴霧様?」

「今日はどっかの神の機嫌が悪いらしいからな。そうしてりゃ少しはマシだろ」

 確かにマシだけども、と真宵は目を白黒させる。

 いったいこの細腕のどこにそんな力があるのだろうと疑問に思いながら、人生で初めて自分の小柄さに感謝した。

(……あ、菊の花の香りだ)

 ふと鼻を掠めた香りに、ほっと息を吐く。

 昔から、この香りが大好きだった。

 心が落ち着く優しい香り。

 どうして菊の花なのかと前に尋ねたら『俺らしいだろ』と珍しく照れたように返ってきたことがあるが、あれはいったいどういう意味だったのだろう。

 今はその香りにえもしれぬ嫌な気配が混じりこんでいるけれど、それを指摘する勇気はない。

 あまり触れてはならない部分だと、真宵の中で何かが警鐘を鳴らすから。

「ではな、冴霧。……くれぐれも無茶と無謀を履き違えるなよ」

「ふん。テメェこそ、あんまり統隠局に目ェ付けられることするんじゃねえぞ」

「……はは、互いに嫁には振り回されるな」

「笑い事か」

 そうして翡翠は、赤羅と共にかくりよへと下っていった。