「っ……わかってる。わりぃな、翡翠」
「なに、乗りかかった船だ。どうにも嫌な予感もするしな」
よろず屋の勘というやつか。
翡翠はやれやれと肩を竦めながら優雅な所作で立ち上がった。
ふわりと鼻腔を掠めた柑橘系の香りに、奇しくも邪は混ざっていない。
健全な奴め、と内心毒づく。
「それに、正式に契りを交わす際は俺が縁を繋ぐ手助けをする必要があるだろう?」
「そうなのか?」
「ただの契りではないからな。ただでさえ不安定な状態ならば万全を期すべきだ」
はあ、と冴霧はまじまじ翡翠を見た。
「おまえって、引くほどお人好しだな」
「やかましい」
「みさかえなく手ェ貸して嫁に逃げられんなよ?」
はっ、と翡翠は馬鹿にするように形の良い口端を上げた。
「俺と真澄はそんな甘っちょろい関係じゃない。相思相愛だからな」
真澄、とは嫁の名か。
「そうかよ。そりゃよかったな」
「全て片付いたら酒を片手に惚気でも聞いてくれ」
恐ろしいほど開き直っている翡翠に、冴霧はまるで自分を見ているような気分になった。
げえっと身震いしながら後ずさる。やはり同族嫌悪か、これは。
「惚気VS惚気ってか? ざけんな、酒が不味くなる」
「そうか? むしろ美味くなるだろう」
「俺ァ自分が惚気てりゃいいんだよ。人んちの甘え話がツマミなんざ御免だ」
それは残念だ、と翡翠が心底残念じゃなさそうに喉を鳴らして笑った。
こういう叩けば鳴るようなやり取りは、出逢った頃から変わらない。
不思議と心地が良くて、荒んだ心が凪いでいく。
あと何回、こうして戯れられるのか。
(は、俺が後ろ向きになるなんざらしくねえな)
今はそれよりも、やらなければならないことがある。
翡翠の言う通り時間がないのだ。
真宵にも、そして冴霧にも。
その時だった。
「……あの……」
小さく掠れるような、しかし確かに聞こえた声にその場の全員が一斉に振り返る。