(忘れたな。官僚になるずっと昔だったような気はするが)

 翡翠は地上で縁結びの神として信仰の深い神である。

 正確には縁結びではなく、(えにし)そのものを司る神だが、神界でもそれなりに名を馳せている大神だ。

 官僚業と神業の傍らで、かくりよでは『よろず屋』を冠とした何でも屋を経営しており、神々の間では変わり者として知られていた。

 まぁ変わり者同士、嫌味なもので何かと気が合う。最近は互いに多忙を極め
ているためご無沙汰ではあるが、時間が合えばたまに晩酌をする仲だった。

「──……それにおまえ、この短時間で何があった?」

 冴霧の無様な成りを見ながら、翡翠が怪訝そうに眉間に皺を寄せる。

「なんだその神力の薄さと髪は。短時間で黒蝕が進みすぎだろう。いったい何をどうしたらそうなるんだ。まさか消えるつもりか? 自傷行為は感心しないな」

 捲し立てるように言われ、自然と冴霧の口からは舌打ちが漏れる。

「んなわけあるか、アホ。細けえ話はまた後だ。今は俺なんかより急患がいる」

「急患?」

 来い。

 そう一言発して冴霧は踵を返すと同時、地面を蹴った。

 ふわりと体が浮き、勢いよく上昇する。

 神にしろ怪にしろ、それなりに──大神や大妖と呼ばれる者たちならば、力を持って空を飛ぶことが出来るのだ。

 無駄に敷地面積が広い天照御殿は飛んで渡った方が断然早い。

(ああ、そういや……)

 昔、真宵がどうして自分は飛べないのかとぐずったことがあった。

 そりゃあ人の子だからな、と答えた冴霧に、真宵はならなぜ自分は神様じゃないのか、と聞いてきて返答に窮したものである。

 人の子は本当に好奇心が強い。

(……今も思ってるんだろうな。なぜ自分は神じゃないのかって)

 遅れることなく付いてきた翡翠を一瞥し、冴霧は離れの玄関先に降り立った。

 乱暴に玄関の扉を開けて、足早に寝室へ向かう。

 律儀に「邪魔するぞ」と言いながら部屋に入ってきた翡翠は、室内の様子を見るなり目を見張った。

「……ほう? こりゃまた、思っていたよりも大事だな」

 褥に寝かされているのは真宵だ。

 そんな真宵に縋り付くように子狐姿の白火が声を上げて泣いており、傍に控える赤羅も悲愴な面持ちで顔を俯けている。

 まるで葬式のような雰囲気だが、まだ真宵は死んでいない。ちゃんと呼吸をしているし、心臓だって動いている。

 正直かろうじて、ではあるが。

「先刻、俺の真宵に手を出した奴がいてな。例の泉に引きずり込まれた」

「なんだって? まさか流獄泉か?」

「あぁ」

 翡翠はぎょっとしたように目を剥いた後、冴霧を頭の先から爪先まで食い入るように見つめた。

 そして全てを察したのか、苦虫を噛み潰したような顔で深く息を吐いた。

「……消したのか」

「ったりめぇだろ」

 冴霧は吐き捨てるように答える。