『おいで……おいで……こちらにおいで……』

 声が聞こえていた。

 とても優しい、心の底から安心出来る声。

 まるで羽毛に包まれているようななんとも言えぬ心地よさは、どこか懐かしいような気もした。

 もしかしたらずっと昔に聞いたことがあるのかもしれない。

 しかしどこで聞いたのか、そもそも本当に知っている声なのか、不思議なほど記憶とは結びつかなかった。

 ただその声はいつも真宵を呼んでいる。

 おいで、おいで、こちらへおいで。

 なぜかその声を聞いていると、まるで身体の奥底に深く浸透していくように、早くそちらへ行かなければならないと思わせられる。



 でも、どこに?



『おいで真宵……こっちだよ……』

 その声は招くばかりで頑なに理由を言おうとしないのだ。

 ただ『おいで』と意味深に繰り返すだけ。

 そちらに行けば理由を教えてもらえるのか、そう問おうとしてももどかしいことに声が出ない。

 当然だ。だってここは、夢の中なのだから。




「──ま? 真宵さまっ!」


 はっ、と意識が急激に覚醒した。

 水底から勢いよく引き上げられたような感覚に平衡感覚が狂い、視界が大きく揺れた。真宵は思わずその場でふらつく。

 ──ふらつく?

「え……私、なんで」

 真宵は何故か玄関──正確には土間に立っていた。

 今しがた扉を開けようとしていたのか、指先は木戸の取手に引っかかっている。

 ひんやりとした土の感触が足裏を伝い、自分が裸足のままだということに気づいた。

「真宵さま、どこに行くんですか。そんな格好で」

 無防備に素足を晒しているだけではなく、あろうことか真宵は寝間着姿だった。

 今の今まで真宵は眠っていたのだから当然なのだが、しかしこの状況は。

 そもそも今は何時なのだろう。

 人の姿に変じて、ぱたぱたと駆け寄ってきた白火。

 昨晩のキライ宣言などすっかり忘れたように、丸い蜂蜜色の瞳には不安と心配が錯綜している。

 いつもそうだ。

 どんなに怒っていても、どんなに泣いていても、一晩寝ると次の日にはケロッとしている子なのだ。新陳代謝が良い。

 けれどそんな白火の姿を見たら、何故か力が抜けた。

 なんの前触れもなくその場に崩れ落ちた真宵を、白火がギョッとしたように支えてくれる。