「さてと、はじめようか」
──天岩戸。それがこの大岩の名だ。
かの昔、最高神と崇め奉られる天照大神が、弟神である須佐之男の暴走に心を痛めて閉じこもった──と、地上では言い伝えられている場所なのだそう。
事実、そういうこともあったなと本人も言っていた。
しかし別段心を痛めたわけではなく、いい加減相手をするのが面倒だなと思っていたところに、運よく『休眠』の時期が重なっただけ。
そう聞いた時は、神話というのは、得てして捏造ありきのものなのだなと思ったものだ。
そりゃそうだ。天利はそんなヤワな精神をしていない。赤ん坊の時から育てられた真宵は、誰よりもそれをよく分かっている。
(どちらかと言うと、よく暴れずに放棄したなぁって感じだし)
そもそもこの天岩戸はかねてより天照大神専用の休息場、いわゆる特別製の寝室のようなもので、日常的に使用する場所ではない──らしい。
ここを使うのは『休眠時』の時だけ。本人もそう言っていたし、そもそも天利が眠る前は、御殿にこんな場所があったことすら真宵は知らなかった。
だいたい、天利は真宵に隠し事が多すぎるのだ。
「叩き起してさしあげるわ、かか様」
ゆえにこそ、娘を置いて千年の眠りについた義母には一切の情けなどない。
盆の上から、刃に梵字が刻まれた銀色の鋏を手に取る。
そして、なんの躊躇もなく自らの髪をひと房、三十センチほど切り落とした。
太腿辺りまである髪が一部だけ腰ほどの長さになるが、大して気にはしない。元より儀式に必要になるから伸ばしているだけだ。
だが頬周りから順に削られていくせいで、真宵の髪は前方だけ短く、後方は長いという極端なスロープを辿っている。
やがては同じ長さになるだろうと踏んで切り揃えずにいるものの、おろしているとなかなか歪に見えてしまうのだった。
そのため、真宵はいつも髪を結うことで誤魔化しているのだけど──。