「だから、どうしてそんなに細かいの?」
誰かと話しているみたいだ。こっそり覗くと、先生はスマホで電話中だった。なんだかイライラしている様子で、頭をかきながら話している。
「うん、そうだね、合わない、私たち」
……え?
もしかして、婚約中の彼氏さんと話しているのかな?
「いったん別れて冷静になるって選択肢もあるんじゃない?」
「いいよ、もう。白紙にすれば」
そんな言葉まで飛び出してきたものだから、私は驚いて口を押さえた。そして、その相手が彼氏さんだということを確信する。以前も、先生は彼氏さんとうまくいっていないようなことを話していたし、きっと喧嘩しているところなんだ。そして、別れ話まで……。
「あぁ、もう!」
藍川先生は電話を切ったようで、苛立ちながら早足でこちらへ向かってきた。
しまった!
そう思ったときにはすでに遅く、かがみ腰だった私は藍川先生に見つかってしまう。
「あれ、荘原さん? ……もしかして、聞かれてた?」
そう言われて嘘がつけず、私は「ちょっとだけ……」と指で表し、バツの悪い顔をした。
「あー……そっか、教師失格ね。ていうか、気にしないでね。もうホント嫌になるわ、仕事中だって言うのに」
「ハハ……」
藍川先生はパンッと手を打ち、気分を改めたように、
「それより、荘原さん!」
と声を大きくした。
「ちょっといい? そこの階段で話をしない?」
「え?」
「部員たちには指示してくるから、ちょっと待ってて」
そう言って、藍川先生は体育館の中へ向かい、そしてすぐに戻ってきた。あまり人の通らない、体育館の側面の入口の階段へ促され、私たちは隣同士で腰を下ろす。
「さて、試合のことなんだけど」
予感がしていた私は、「はい」とゆっくりと頷く。
「どう思う? どうしたい? 無理はさせたくないけど、荘原さんに委ねるよ」
「あー……」
「正直ね、あの日、出なくてもいいって話をしたとき、荘原さん頷くかと思ったの。でも、考えさせてください、って言ったじゃない? 本当は、自分の中でもやりたい気持ちがあるんじゃないか、って思って」
先生の言葉に、私はわずかにうつむく。そして、一度開けかけた口を閉じ、そして、ためらったあとで、もう一度開いた。
「……怖いんです、私」
「発作が出ることが?」
その言葉に頷きかけて、私は止まった。本当にそうなのだろうか、と自分を疑ったからだ。
小学生のときに、嘘をついて発作を装ったときのことがよみがえる。あれは……あのときの私は、なぜ嘘をついたのだろうかと自問する。
「本気を出すこと……それと、本気を出した上でダメだったときのことを考えると……怖いのかもしれません」
先生の視線を感じる。自分でも自分を探りながら話す私の横顔を、じっと見られている。
「私……ここぞというときに限って、大事なときに限って、いつもダメなんです」
「さっきから言っている“ダメ”っていうのは、失敗のこと?」
「失敗……」
失敗だけだろうか? その問いは、私にとって、とても重要な課題のように思えた。けれど、深く考えるよりも前に、藍川先生が口を開く。
「敦也がさ、言ってた。もったいない、って」
「それは……自分が足を故障したから、ってことですよね?」
「ううん、荘原さん自身のこと。後悔を先取りしてるって」
“後悔を先取り”?
「やってもいないうちからダメだったときのことを考えて、先に落ちこむくせがあるって。だから行動できてないって。ポテンシャルもモチベーションも本当はめちゃくちゃあるのに、本気の出し惜しみをしてるとも言ってた」
「あ……」
そんな話を、藍川先生にしていたんだ……。
「私もさ、同じようなことをつくづく思うんだよね。“一生懸命”はときとしてかっこ悪いとか言われるし、必ずしも結果につながらないかもしれないけどさ、少なくとも自分がここまで頑張れたんだっていう自信になるって。逃げてたら、一生その類の自信を手に入れられずに、どこか独りよがりで肩身の狭い気持ちのままだと思う」
たしかに……そうかもしれない。私は発作という保険にかこつけて、最後まで頑張り抜く前に戦線離脱しているきらいがある。そう……後悔を前提としているからだ。
「文字どおり、後悔は後からすべきものなんだよ。だから、自分が動きたい方へ動いたほうがいい。動いた先にあるのはやっぱり後悔かもしれないけど、結構な確率でそうじゃない未来が待ってるはずだから」
そこまで言った先生は、まるで自分で自分の言葉を咀嚼するように、「……うん」と頷く。
その話は、どこか聞き覚えがあるような話だった。
『あれだな。何をするにしてもしないにしても後悔はするんだから、結局したいようにすればいい、って話』
『どっちにしても後悔するって……ネガティブじゃないですか?』
『一周回って、ポジティブだよ』
そう、九条先輩とした話だ。
私は、その言葉から、過去から現在にかけての自分を振り返ってみた。そうすると、今の自分は結局、諦め続けてきた過去の自分の積み重ねでできているのだと気付く。
「ていうか、こういうのって本当におせっかいなんだけどね。今の自分に本当に満足できているのならいいんだけど、荘原さんはそうじゃないように思えてさ」
「……はい」
「きっと、敦也はもっと前から見抜いてたんだろうけど」
私は、先輩の今までの言葉を思い出しながら頷く。
『スタートラインで無駄な足踏みしてる感じ?』
『やりたいって気持ちがあって、それができるんなら、やったほうがいい』
『何も始めようとしてないからでしょ?』
あのひと言ひと言に心が揺さぶられたのは、きっと図星だったからだ。気付かないふり気にしてないふりをしていた私を、見透かされたからなんだ。
『変わりたくないなら、無理に変わらなくていいよ』
「…………」
……私は、変われるのだろうか。……ううん、自分を変える覚悟があるのだろうか。変わりたいと思いつつも、悩みや理由をわざと作って逃げる口実にしていたのは、まぎれもなく自分自身なのに。
「……先生、あの……」
今の私は、違う選択や新しい選択ができたはずなのに、怖がってそれを選んでこなかった自分の集合体だ。今の自分を変えたいなら、たった今からその選択を変えていけばいいのかもしれない。いつもなら選ばない、勇気のいる選択をしてみたら、もしかしたら違う風景と自分に気付けるのかもしれない。
私は、伏せていた目をしっかりと上げる。そして、藍川先生をまっすぐに見て、伝えた。
「私、試合に出ます」
翌日の金曜日から、私はみんなと一緒に練習をすることになった。女バス部員の4人は大歓迎してくれたものの、北見さんと根津さんは、まだ私の前回の様子が忘れられないようで、
「苦しくなったら、すぐに言ってね!」
「無理は禁物だからね」
と、釘を刺された。
「出ることにしたんだ?」
休憩中、さっきまで男バスの指導をしていた九条先輩が、壁に寄りかかって水分補給をしていた私のもとへ来た。隣で背をもたせかけた先輩にちょっと照れてしまい、
「はい、そうですけど」
と、そっけなく返してしまう。
「ふーん」
ほんの少し口角を上げた九条先輩は、腕組みをして私を見る。
「いろいろ克服できたってこと?」
「その最中です。まだ、完全に無くせてはいませんけど」
「なるほど」
最近バス停でふたりきりで話していないこともあり、こんなふうに会話をするのが久しぶりだ。先週土曜日の練習試合後初めてかもしれない。あのときは……。
『人間を頼れって』
そういえば、そう言われて、思わず私は涙を流してしまったんだった。そして、先輩と目が合って、しばらくそのままで……。
思い出しはじめると、顔がかなり熱くなってきた。先輩の顔を見られない。
「克服するって、無くすことじゃなくて認めることだと思うけど」
すると、九条先輩が壁から背中を剥がしながら言った。
「はい?」
「自分の弱いところ、完全に無くさなくてもいいし、それができる人間なんていないんじゃない?」
私は、コートへ戻ろうとする九条先輩の背中に、
「……先輩も、ですか?」
と聞いてみた。先輩は、
「当たり前」
と横顔で微笑んで、離れていった。
「いーなー、彼氏」
すると、反対隣から声が聞こえる。びっくりして見ると、いつの間にか北見さんがいて、口を尖らせていた。
「何を話してるのかはわからなかったけど、いい雰囲気でさ、羨ましい」
「そんなことないよ」
だって、本物の恋人同士じゃないのだから。
「彼女のことが心配で、声かけに来たってことでしょ? 優しい」
“彼氏”“彼女”という呼び方に、とてつもない違和感とむずがゆさがある。反応に困り、「ハハハ」と乾いた笑い声を出すしかできない。
「それに、九条先輩、いつもは笑わないもん」
「え? ……そうかな?」
「そうだよ。男子に対しては鬼コーチだし、女子にもなかなか笑顔は見せないよ」
たしかに、部活中の九条先輩は、みんなに対してわりと厳しい。それじゃあ……私が普段よく見る九条先輩の笑顔は、バス待ちの15分間と、土曜日に練習に付き合ってくれたときに見た笑顔なのか……。
九条先輩のいくつもの笑顔をひとつひとつ思い出していると、なんとなく胸が苦しくなる。それは、あの絶望的な息苦しさではなく、嬉しさやら切なさやらいろんな感情を持て余すような、心地よくもいたたまれない苦しさだ。
そして、あの顔を見ることができるひとときを、自分だけがひとり占めできていたのだという事実。そのことに頬が緩み、上気していく。
「嬉しそう……」
「え?」
「荘原マネ、本当に好きなんだね、九条先輩のこと」
北見さんの言葉に、私は表情を固める。そして、『好きなんだね』というセリフだけが、再度頭の中でリピートされた。
「めちゃくちゃ顔に出てる。前に政本のことを聞いたときとは大違い。恋してます、って顔」
「……あ……」
「あー、私も彼氏欲しい。恋したい」
私は、頬を手の甲で冷やしながら、ゆっくりと頷くようにうつむく。
それは、驚きこそすれ、自然な自覚だった。ここ最近の自分の気持ちの揺れ動きを顧みると、すんなりと腑に落ちる。むしろ、この気持ちに名前を付けてもらったことで、心がほどけていく。
そうか……。いつからかわからないけれど、私は、いつの間にか九条先輩のことを……。
「うん……」
私は、九条先輩のことを好きになっていたんだ。
「おつかれ」
「おつかれさま……あれ?」
部活後、バス停に着くと、九条先輩と一緒に体育館を出たはずの政本君が、ひとりでベンチに座っていた。
政本君の奥のほうに人影が見えたから、てっきり九条先輩が立っているのかと思っていた。けれど、いつか一緒だった一般の乗客の女の人で、私は拍子抜けする。
さっき自分の気持ちを自覚したばかりだったから、自然に振舞えるかどうかと緊張していたからだ。
「あぁ、九条先輩? 今日もコンビニに行ったよ。立ち読みしたいとかなんとか言って」
「そうなんだ……」
ベンチの端に腰を下ろしながら、思う。先輩は、適当に理由をつけているだけだと。きっと、私と政本君をふたりきりにするために……。
「…………」
前回と同じ状況に、ツキンとまた胸が痛む。好きな人に、他の人との仲を応援されるのって、こんなにキツイのか。自分の気持ちをはっきりと自覚したから、なおさら苦々しい。
「練習、大丈夫だった? 今、どっかキツくない?」
政本君の質問に、心がキツいとはもちろん言えず、
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう」
と答える。
「政本君こそ、私のせいで、今日はマネージャー業務全部任せちゃってごめんね」
「いやいや。ていうか、来週から練習復帰するから、1日だけのマネージャーで申し訳ないんだけどね。でも、荘原の大変さがわかって、よかった」
そう、来週はマネージャーがゼロになる。だから、みんなで助け合って自分たちで動こう、と藍川先生がみんなに言ってくれた。
「荘原は、来週の試合が終わったら、どうするの?」
「え?」
「またマネージャーに戻る予定?」
そうだ。もし地区予選で敗退したとしても、7月に、引退試合というものがある。うちの引退試合はこの付近の高校5校で行う恒例の試合で、毎年白熱するのだ。
もし、それまでに新入部員を勧誘できたら、人数はぎりぎり足りる。そしたら、私がピンチヒッターで出る必要はなくなるんだ。
「あぁ……うん、たぶん」
「そっか。いや、俺、ちょっと荘原のこと心配してたんだよね。みんなに気を使って無理してるんじゃないかって。ほら、荘原って、お人好しじゃん? 優しすぎるっていうか、空気を読みすぎるっていうかさ」
「……ハハ」
「本当は、前回のこともあるから、今度の試合も、それに向けての練習も、大丈夫かなって心配してるんだけど」
政本君が、私をじっと見つめてきた。私のことを本当に案じてくれているような顔だ。
「ありがとう。無理はしないから大丈夫だよ」
そう言いながら、私はまた、今までに幾度となくかけられてきた声、“心配”や“大丈夫?”や“無理しないで”を思い出していた。そして、九条先輩は、あまりそういう類の言葉を言わないな、とぼんやりと思った。
しばらく世間話をしているとバスが来て、私はベンチから腰を上げる。九条先輩は、結局前回同様、コンビニから戻ってはこなかった。
「それじゃ」
政本君に手を振って別れた私は、バスに乗りこみ、席に着く。すると、続いて乗ってきた女性から、
「あの」
と声をかけられた。驚いた私は、「……はい」とおそるおそる返事をする。
「違ったらすみません。これ、もしかして、あなたの落とし物じゃありませんか?」
彼女は、バッグから何かを取り出して聞いてきた。
「え……?」
それは、なくしていたハリネズミのストラップ……ハリッチだった。思わず、
「わ、私のです!」
と声を上げて受け取る。
聞くと、前回バスで一緒になったとき、私が降りる直前に落としたのを見たらしい。呼び止めようとしたけれどすでに降りた後で、次回このバスを使うときに会えたら渡そうと、持っていてくれていたみたいだ。
「よく考えたら、運転手さんに預ければよかったんですけど、遅くなってすみませんね」
「いえっ! 本当にありがとうございます」
深々と頭を下げてお礼を言うと、彼女は奥の席に座り、バスが発進した。
バスで落としてたんだ……これ……。
私は戻ってきたハリッチを見て、そうだったのか、と納得する。そして、これが手元になかった期間を思い出していた。
家に帰りついた私は、いつもならバッグに戻すはずのそれを、そっと自分の部屋の棚に座らせるように置き、「うん」と言って頷いたのだった。
「えーと、九条コーチは夏休み前の試験やレポート提出期間で平日は忙しいらしく、しばらくお休みになります。ちなみに、今度の日曜の地区予選の日は、別件で来れないそうです」
翌週の月曜日、藍川先生からそんな話が聞かされた。大学の夏休みは、私たちよりも早めに始まるらしく、試験も早いのだという。
部員のみんなが「マジかー」と頭を抱えるなか、
「先週までの練習メニューをひたすらこなせ、との伝言です。いないからって、気を抜くなよ」
と先生が発破をかける。
……先輩、いないのか。
試合に向けて頑張ろうと決心した途端、そして九条先輩への気持ちを自覚した途端、先輩とのつながりがぷつりと断たれたようで、少し悲しい。
そして、政本君が部活に復帰したこともあり、バス停ではひとりになった。今までどおりに戻っただけなのだけれど、ひとりで座るベンチが広く感じてしまう。
「…………」
他の部活を終えた生徒たちが通り過ぎていくのを眺めながら、私は思い出していた。
ここで、先輩と初めて話したこと。お互いの身の上話をしたこと。失礼なことを言われたこと、言ってしまったこと。そして、笑い合ったこと。
「……懐かしい」
……ついこの前までのことなのに、なんでこんなふうに思っちゃうんだろう。バス停にひとりだということには慣れないくせに、先輩との思い出はなぜか遠いもののように感じる。手をつないでいたことも、まるで夢だったかのようだ。
……そういえば、藍川先生と車に乗ってたところも、ここで見たんだったな。
その車の中での優しげな先輩の眼差しを思い出し、先輩が藍川先生のために疑似交際を持ちかけてきたのだと、心に釘を刺す。
こちらが気持ちを自覚したところで、そもそも玉砕している恋なんだ。成就させようとは思っていない。
でも……。
「お礼……ちゃんと言えてないな」
先輩が私を見てくれたからこそ、そして、見抜いてくれたからこそ、自覚しきれていなかった自分の弱さに、今、向かい合えている。先輩の言葉の数々が、私の背中を押してくれたんだ。
その感謝を、私はまだしっかり伝えられていなかった。
もう会えないわけじゃないし、試験期間が終われば、先輩もまたコーチとして来てくれるだろう。けれど、私はどうしても、試合前に会いたいし、話したかった。
「……よし」
スマホを取り出した私は、深呼吸をして先輩の連絡先の画面を開いたのだった。
『土曜日、もし空いていたら、以前と同じ時間に総合体育館に来てください』
そんなメッセージを送っていた私は、土曜日、初めて自分で予約をして、体育館へ向かった。先生の話では、先輩は平日は忙しく、日曜は用事が入っているとのことだったので、土曜日なら可能性があると思ったのだ。
『わかった』
それだけの返事だったので心許なかったけれど、中に入り、バスケットボールをつく音が聞こえたことで私はホッとする。
「こんにちは」
「どーも」
先輩のジャージ姿を見つけ、私は小走りで駆け寄る。
「すみません。わざわざどうもありがとうございます」
深々と頭を下げると、
「あいかわらずだな」
と言われる。そのいつもの調子も嬉しくて、私は頭を下げたままにやけてしまった。
「なに? 明日の試合が不安なの?」
「はい……そんなところです」
「俺、月曜提出のレポートがまだ終わってないんだけど」
「えっ!」
しまった、と思って顔を青くすると、先輩が私の頭をポンとはたいて、
「嘘だよ」
と笑った。そう言われても、嘘なのかどうかも定かじゃない。
「とにかく、やるぞ」
「はい!」
私としては、話メインで先輩を呼んだのだけれど、ストレッチのあと、シュート練習やドリブル練習、カット練習と、今まで以上に細かく指導が入る。私のクセや弱点を的確に言い当てられ、改善するまで根気強く付き合ってくれた。
「おい、まだゲームまで行きついてないのに、へばりすぎじゃね?」
1時間休みなしで練習したので、私は息が上がり、汗びっしょりになっていた。先輩はあいかわらずで、前髪すらサラサラしている。
「なんか、いつもにも増して鬼じゃないですか?」
肩で息をしている私は、壁際の風が通る場所に体育座りで寄りかかる。
「だって、あんたが体弱くないって知ってるから」
そして、九条先輩も同じように、隣に腰を下ろした。バス停で座っていたときよりも少し離れた距離は、床についた手と手も触れそうにない距離だ。
「……体、弱くない、か……」
先輩の言葉を繰り返して、ふふ、と笑ってしまった。そして、観念したように、
「そうです。私、健康です」
と言った。
外の風が、一気に体育館に入ってきた。他に誰もいない昼間の体育館は、窓を開けたこの場所だけが眩いほど明るくて、まるでスポットライトを浴びているようだ。
「でも、怖いんです」
それは、藍川先生にも言った言葉だった。そして、
「本気を出した上で、ダメだったときが怖い」
と同じように続ける。
「臆病なんだと思います。“失敗が怖い”っていう極度の緊張で、きっと固まってしまうんです。それが、発作みたいになってて……」
「違うだろ」
説明しようとすると、先輩に会話を一刀両断された。私は、「え?」と言って瞬きをする。
「本領発揮ができないことが怖いっていうより、自分のせいでみんなの空気を壊すことが怖いんだよ、澪佳は」
「…………」
「悪者になりたくない、ってだけだよ」
その言葉を合図に、体育館の一角で小学校のときのバスケの試合が再現されはじめた。私が最後のチャンスのシュートをミスして、うずくまるポーズをした場面。そして、その後いくつかの、ここぞという場面で本当に過呼吸になってしまった場面。
最後、今度はメンバーのみんなの視線が、一斉にこちらの現在の私へと移る。
『あーあ』
その中の茉莉ちゃんが、歩み寄ってくる。
『澪佳ちゃんのせいで』
来ないで。そんな目で、私を見ないで。
『また負けた』
「……っ!」