もうすぐ夕餉の刻という頃に、下女の娘が秋華を呼びに来た。

「恐れ入ります。冬梅様が秋華様をお呼びです」

「冬梅様が?」

 璃鈴は秋華と顔を見合わせる。先日、そうやって呼び出された折に、妃嬪が後宮入りしたのだ。冬梅が悪いわけではないことはわかっているのだが、その彼女から呼び出しとなるとなにやら身構えてしまう。

「何でしょう」

「さあ。ちょっと行ってまいります」

「ええ」

 軽く会釈をすると、秋華は下女と部屋を出て行った。


 しばらくすると、またほとほとと誰かが戸を叩く音がする。

「はい。あら」

 璃鈴が開けてみると、今度は璃鈴も見知った世話係の女官だった。名を夏花という、明るくてくるくるとよく働く娘だ。

「あの、これを、秋華様が……」

 うつむいて差し出されたのは、お茶の缶だった。


「これは、お茶?」

「はい。これ、輝加の南方でとれる、希少なお茶なんです。一番茶をぜひ陛下に飲んでいただこうと……」

 うつむき気味の夏花に、璃鈴はふと違和感を抱く。

「夏花、何かあった?」

「え?」

 顔をあげた夏花は、やはり顔色が優れない。


「いえ、何も……」

「そう? どこか具合悪かったりしない?」

「少し、疲れているだけです。大丈夫です」

「そうなの? もし仕事が大変なら、冬梅に言って……」

「いえ! 本当に大丈夫ですから!」

 必死に言う夏花に、璃鈴はあまり無理に言っても逆に夏花を追い詰めそうだとそれ以上聞くのをやめた。


「無理しないでね。そんな時に届けてくれてありがとう。それで、秋華は?」

「さ、さあ。私はこれを皇后様に届けてほしいと言われただけなので……」

 それだけ言うと夏花は、ぺこりと頭をさげて急ぎ足で去っていった。その様子に気をつけて、と言う間もなく、廊下の角で夏花は転びそうになってあわてて姿勢を正す。

 働き者でいい子なのだが、少しあわてんぼうなのが玉に瑕だ。本人もそれをよくわかっていて、璃鈴たちをよく笑わせてくれる。その夏花が疲れている様子だと、璃鈴も心配になる。

(あとで秋華に様子を聞いてみよう)


 扉を閉めた璃鈴は、戸棚にしまう前に夏花の持ってきた缶を開けてみた。まだ若い緑の香りがふわりと立ち上る。

「……龍宗様に、気に入っていただけるといいのだけれど」

 璃鈴は、ふたを戻すと茶器の隣にそれを置いて戸棚を閉めた。

 だが、夕餉の時間を過ぎても、秋華はもどってこなかった。


「どうしたのかしら」

 他の女官に聞いてもわからない、とのことで、璃鈴は気をもんでいた。かた、と扉の開く音に璃鈴が振り向く。

「秋華?」


 だが、そこにいたのは龍宗だった。龍宗も、璃鈴の呼びかけに面食らったようだ。

「龍宗様! す、すみません。つい秋華かと……」

「あの女官は不在か?」

「はい。夕方から姿が見えなくて……」

 長椅子に腰掛ける龍宗に、璃鈴はいつものようにお茶を入れる。


「今日はお早いのですね」

「ああ。件の女官から、今日は話があるから夕餉の後にくるように、と伝言をもらったのだ」

「秋華が、ですか?」

「実際に来たのは他の女官だったから本人ではなかったがな。お前がなにか用があるのかと思ったのだが」

 尋ねた龍宗に、璃鈴は首を振る。

「いいえ、私は何も……もしかしたら、これかもしれません」

 璃鈴は、夏花が持ってきたお茶の缶を見せた。


「秋華が、とても珍しいというお茶を用意してくれたのです。何でも南方の希少なものだとか」

 璃鈴は丁寧にお茶をいれて龍宗の前に茶器を置く。だが龍宗はちらりとそれを見ただけで手を出そうとしない。

 いつもと変わらないその様子を見て、璃鈴はもやもやと心に浮かんでいた疑問がしだいに形作られていくのを感じた。

(やっぱり……)


「それより、他の妃たちの様子はどうだ」

「様子、ですか」

 璃鈴はため息をついた。


 後宮内でも、他の妃たちに会うことはめったにない。ほとんどの時間を彼女たちは、自分たちの部屋に閉じこもっているのだ。たまに談話室や庭で見かけることもあるが、たいていは璃鈴の顔を見ると、声もかけずに離れていってしまう。

 巫女の里も同じように女性ばかりだったが、里とは違うぎすぎすした雰囲気に、璃鈴は少しばかりまいっていた。


「まだ、あまりお話もいたしておりません。もう少し、お互いに分かり合えると良いのですけれど……」

 龍宗の手前そうは言うが、それは必ずしも璃鈴の本音ではなかった。

 あきらかに自分を疎んでいる彼女たちにどういう態度を取ったらいいのか、璃鈴自身もわからない。