「璃鈴! 何やってるのよ!」


 悲鳴のような声が聞こえて、璃鈴はぎくりと肩をすくめた。

(あらー、見つかっちゃった。でも長老に見つかるよりはましかなー)

 璃鈴は、一回深く呼吸をすると、笑顔で振り返ってぶんぶんと下に向かって手を振った。


「秋華!」

 そそり立つ岸壁の真ん中で手を振る璃鈴に、秋華は悲鳴をあげた。

「あぶない! 手を離さないで!」

「大丈夫よ。すぐ行くわ」

 真っ青になった秋華が駆け寄ってくるのを見ながら、璃鈴は裳を大胆にひらめかせて再び岩肌を降り始める。
 璃鈴がはりついていた岸壁は、里の裏にそびえたつ高い山からつながっていた。

 はらはらしながら見ていた秋華の前で、最後の一尺ほどを璃鈴はひょいと飛び降りた。秋華が小さく悲鳴をあげる。

「気をつけて! けがはない?」

「平気よ、ほらね」

 璃鈴は、あちこちに土のついた手を見せてにっこり笑う。秋華は、ようやく、ほ、と息をついたようだ。


「驚かせないでよ。一体なんであんなところに登っていたの?」

「うん。これ」

 聞かれて、璃鈴は自分の背中に背負っていた布袋をはずす。そこからは、白い花がついた枝が顔をのぞかせていた。璃鈴が壁をおりてくる様子が気が気ではなかったらしく、秋華はその背にあるものには気づいていなかった。

「この花は……梅?」

「ええ。里の梅はまだ蕾が硬いのに、どこからか梅の香りがしていたの。だから探してみたんだけど」

 璃鈴は、今自分が降りてきた断崖を見上げる。改めて見てみれば、秋華が悲鳴をあげた気持ちもわかる気がした。


「どうやらこの上から匂いがこぼれてるみたいだったから、ちょっと登ってみたのよ。壁が切れ込んでいるところがあってね、少しだけひらけた空き地に一本だけ、梅の木があったわ」

「登ってみたってあなた……危ないことはやめてちょうだい。必要なら、下男の誰かにお願いすればいいんだから」

 秋華は眉をひそめたが、璃鈴の持っている梅の花に目を落とすとほんのりと笑みを浮かべた。


「ちゃんと春は近づいているのね」

「ね? 最近は少し機嫌が悪いみたいだけど、天は今でも大地に恵みを届け続けてくれているのよ」

 それ以上秋華に小言を言われたくなかったので、璃鈴は少し言い訳のようにそう言った。


 無茶をしたかな、とは、璃鈴自身も思っている。けれど、何よりも天の恵みを待ちわびているこの里のみんなに、季節が今年もめぐってきた証拠を見せて安心させたかったのだ。

 そんな璃鈴の気持ちを悟った秋華は、一つため息をついて、もうそれ以上文句を言うのをやめた。


「それより、あなたも今日で十六歳でしょ? 大人の仲間入りなんだから、もうちょっと乙女らしくしてちょうだい。ああもう、仕事用の裳とはいえ、泥だらけじゃない。しかもこんなにひっかき傷を作って」

「十六になったからって、私は変わらないわ。昨日も今日も明日になっても、いつだって私は私よ」

 減らず口を叩きながらも、璃鈴は持っていた梅の枝を秋華に渡した。袋に詰められていた割には、その枝はまだかなりの数の花をつけていた。秋華はそれ以上花びらを落とさないように、そ、と預かる。