年が明け、年末に溜めていた仕事が動き出した。休んだ分を取り戻さなければ死んでしまう。そのくらいの勢いで、みんながみんなとても必死で社畜だ。

 他人事みたいに忙しなく動き回る社員たちを眺め、自らの仕事に取り掛かるための優先順を決めていく。どんなに急いだところで、ダメな時はダメだし。いける時は、いけるものだ。

 そんなことを言ってしまえば、上司には激怒されるから口にはしないけれど、残業するくらいなら効率を考えて動いた方がいい。

無駄な動きが多すぎるんだよね。特に上のクラスに行けばいくほどその傾向が強いのは、越えてきた時代背景のせいだろう。
 そんな私も気がつけばランチタイムになっているくらいだから、ソコソコの社畜なのだろうと笑ってしまう。

 ランチボックスの収まる保温バッグを持って、休憩室に向かった。空いているテーブル席に保温バッグを置き、設置されている飲料マシンであったかいお茶を淹れた。水とお茶。それから、ホットのコーヒーだけは無料だから助かる。
 席に着き、冬休み中にUFOキャッチャーでゲットしたランチボックスを保温バッグから取り出そうとしたところで洸太がやって来た。

「新しい年になっても、かわらず弁当か。そこだけはマメだな」
「後半余計だよ、わが社きっての社畜君」

 片方の口角を上げて皮肉に皮肉で返すと、笑いながら空いている隣の席に腰掛けた。

「俺にそんなこと言ってくるのは、スミレくらいだ」
「ありがたい存在でしょ」

 当たり前のように返すと、「敵わないな」とまた笑う。

 二人のやり取りを遠巻きに眺めていく社員たちには、この二人、また一緒にいる。そう思われているのだろう。“また”というほど一緒にいるつもりはないけれど、洸太に気がある面々にしてみたら、回数以上に印象が残っているに違いない。少し離れたテーブル席に座る三人組の女子たちも、こちらを何度もチラチラと見ては何やら耳打ちしているようだ。その様子に溜息を吐きそうになったけれど、いちいち気にしていても仕方ない。折角のお弁当がまずくなる。

 手ぶらでやってきた洸太がランチをどうするのか少しばかり考えたけれど、お腹の虫が鳴いているので、構わずバッグの中からあのふてぶてしい猫のイラストが描かれたランチボックスを取り出した。
 隣に座っている洸太は、さっきまで落ち着いた様子で一連の動きを黙って見ていたのに、ふてぶてしい猫が現れた瞬間に、「えっ……」という批判のような声を漏らした。

「何?」

 言いたいことでもあるわけ?

 文句があるのかと僅かばかり睨み付けると、苦笑いをこぼされた。

「趣味、変えたのか?」
「遠回りに批判するの、やめて」

 パカッと軽い音を立てて蓋を開ければ、今朝早起きして作った中身が彩りよく目に入った。箸を手にして、いただきますと手を合わせる。

「容れ物はどうかと思うが、中身は美味そうだな」

 文句を言ったあとは表情をコロリと変え、今度は中身をねだるみたいに口角を持ち上げた。それを無視して、卵焼きを口にいれる。甘くふんわりとした食感は、我ながらいい出来だ。

「洸太は、ご飯行かないの?」
「スミレを誘いにきたんだけどな」
「お弁当なの、知ってるじゃん」

 ご飯を口に入れて咀嚼し、まだあったかいお茶を飲む。この渋みがいいんだよね。美味し。日本人でよかった。

 ほうっと息を吐くと、洸太は隣に座ったまま、食事風景を眺め続けていた。

「年も明けたし、弁当作りにもそろそろ飽きてくる頃かと思ったんだけどな」
「何それ」

 作ってこない計算でいたわけだ。生憎、変なところだけはマメなんだよね。

 黙々と口を動かしていたら、横から手作りしたミニハンバーグをかっさらわれた。

「ちょっと、それがメインなんだけど」

 ムッとしても構うことなく、「うめ」なんて咀嚼して飲み込んでしまった。

「もおっ」

 洸太に、これ以上お弁当の中身をさらわれたくない。

「早く行きなよ。ご飯の時間なくなるよ」

 取られたメインディッシュにムカついて、追い出すように睨みつけた。

「わかってんだけど。ここ座ったら動くのが面倒になってきた」
「老人か」
「いや。吸引力だ」
「なにそれ」

 くだらなさに笑みをこぼすと洸太も笑う。
 そこへ鈴木君がやってきた。私の姿を見つけて笑顔になったすぐ後、隣に座る洸太に気づき口角が下がった。

 好きな人がいて、緊張してるのかな。

 私としては、グッドタイミングだ。この面倒な洸太が、これ以上お弁当に手を出さないうちに、鈴木君へ任せて席を移動したい。

「席、譲ろうか?」

 コンビニの袋を抱えてやって来た鈴木君へ訊ねると、二人が同時に「え?」と声を漏らした。

 面白い。気が合うじゃん。

 どうしてそうなるんだよ、とばかりに見てくる洸太の視線を無視していると、鈴木君は私が座る正面の椅子へ手をやり引いた。

「望月さん、一緒してもいいかな?」

 コンビニ袋をテーブルへと置き、引いた椅子に腰掛ける。
 いいよ、と私が言う前に、洸太が横やりを入れてきた。

「ダメ」

 洸太の言葉に、椅子に座った鈴木君が驚いた顔をした。

 好きな人にそんなこと言われたら、嫌な意味で心臓飛び出るよね。全く、優しくしてあげなさいよ。

 洸太の代わりというように、やさしい声で「いいよ」と告げると、鈴木君はほっとした顔をしてコンビニ袋の中に納まるお弁当に手を伸ばした。
 すると、再び洸太が言う。

「ダメって言ってんじゃん」

 椅子に座った鈴木君を直視したまま、洸太はほぼ睨みつけるような視線で逸らさないものだから、鈴木君は動きを止めてしまった。

 まるで猛獣に怯える小動物だ。かわいそうに。

「いいじゃん別に」
「ダメ。他にも席は空いてるだろ」
「訊かれたの私だし。洸太は、さっさとご飯に行きなさいよ」

 庇うような言葉をかけると、今度はコロリと態度を変えてきた。

「つれないねぇ。聞いたかよ、鈴木。スミレって奴は俺にいつもこんな冷たい態度なんだよ。愛してるのに」

 昼間っから酔っ払いみたいな発言をする洸太に、呆れてため息が出た。隣では鈴木君が驚いたように固まっている。因みに、離れたテーブル席にいた三人組の女子の視線も痛い。

「真に受けないでよ」

 バカらしくて呆れたように鈴木君へ言うと、「あ、えぇ」と真に受けたような返しをされて、また息が漏れた。

「もう。洸太めんどくさい。早くご飯に行って」

 再び追い出すようにして無理やり洸太の座る椅子を力一杯押すと、「怪力」と言って口角を上げた。なんて嫌味な笑みだ。

 腕時計を確認した洸太が、「牛丼だな」と言って漸く立ち上がった。
残り僅かな時間でできる食事は、どんぶりものしかないと言っているようだ。

「またな」

 タンと私の肩に手を置くと、洸太は鈴木君のところへ回り込み耳元で何かを言った。私には聞こえない大きさの囁き声に、目の前の鈴木君の目が見開いた。

 ったく。何を言ったのよ。

  洸太は鈴木君から体を離すと、右手を上げ笑顔を残して休憩室を出て行った。その姿は相も変わらず爽やかだけれど、やっていることは子供じみていて辟易してくる。

 洸太は、時々湧き上がるいたずら心を抑えられないらしい。ここに奏太がいたなら、きっと静かに止められていたことだろう。けれど、奏太がいない今、私がそれを抑えなくちゃいけないのだけれど、言うことなど聞きやしないのだから始末に負えない。そもそも、長居しすぎだし。

 面倒な洸太がいなくなって、目の前に座る鈴木君へ視線を向ければ、コンビニ袋の中身を出すこともなく動きを止めたままだ。洸太に言われた何かに、心を持っていかれているのだろう。どんな酷いことを言われたのか。

「告白でもされた?」

 洸太のせいで悪くなった空気を変えたくて、ほんの少しおどけた感じを装って訊ねると、鈴木君は眉間にしわを寄せる。そうして、躊躇いながらも口を開いた。

「……あの」
「何?」

 顔だけ向けて、プチトマトを口に入れたらとても酸っぱい。結構赤いから甘いと思ったのに、想像していないほどの酸味に顔が歪む。

「前から思ってたんだけど。なんて言うか、その……」

 なんだかとても言いにくそうにしているから、なんだろうと一旦箸を置く。

「望月さんて、芹沢さんとのこと。あり得ない勘違いをしてると思うんだけど」
「勘違いって何?」
「僕が芹沢さんに、その……好意を持ってるって、思ってない?」

 躊躇いながらの言葉に、こっちの目が見開いた。

「え?! そうじゃないの? 違うの?」

 てっきりそうだと思い込んでいたから、めちゃくちゃ驚いた。

「だって、洸太の事、色々気にしてたじゃん」

 違うなんて、何を今更。私にしてみればかなり気を遣っていたから、なんだか少しばかり裏切られたような気持ちになった。けれど、違うとなれば鈴木君にしてみたら迷惑でしかないか。

「気にしてたのは、間違い無いけど。そうじゃなくて」

 参ったなぁ、そう言うように小さく息を吐き、漸くコンビニ袋の中からお弁当を取り出すと、奇しくもそれは牛丼だった。
 その牛丼をじっと見つめていると、目の前では鈴木君が慌て出す。

「えっと、だから、これは、違うんだ。偶然で!」

 慌てる姿がおかしくて、つい声を上げて笑ってしまった。

「やっぱり気が合うじゃん」

 付け加えながら、また笑いが止まらない。

 いつまでも声を上げていたら、さすがに不満顔を続ける雰囲気でもなくなったのか、鈴木君も笑い出す。

「そっかあ。私の勘違いか。意外とお似合いなんじゃないかと思ってたんだけど」

 メインを食べられてしまい、迷い箸をしながらポテトサラダを摘み上げて口へと入れた。マヨネーズの酸味が時間の経過で飛んでいて少し物足りない。
 お茶を口にしてポテトサラダを流し込み、二人が付きあっている図を想像すればやっぱりお似合いで、またふっと笑い声が漏れる。

「想像しないでよ」

 不満顔に笑みを貼り付け指摘したあと、鈴木君は牛丼を食べ始めた。

「お茶要る?」

 自らの空になった紙コップを持ち、二人分のお茶を入れて席に戻ると、鈴木君は食べるのが早くて牛丼はもう半分ほどになっていた。

「急いで食べると、胃に悪いよ」

 何気なくかけた言葉だったのだけれど、さっきまでせわしなく動いていた箸がゆっくりになった。

 結構素直。

 きっといつもよりは時間をかけただろう食事が済むと、鈴木君は一息着くみたいにお茶を味わう。ほうっと吐いた息が一緒で頬が緩んだ。

 鈴木君とは同期だけれど、今まで話す機会もなく来ていた。忘年会や飲み会に出ることは今までもあったけれど、私の近くには決まって洸太がいたから、他の社員とこうやって話す機会はないに等しい。あの忘年会で、本当にたまたま隣に座り彼が話しかけてきて、帰りたい口実の嘘までついてくれなかったら、今も私は洸太に文句を言いつつ一人でお弁当を食べていたことだろう。

 そもそも、洸太のおかげで、私は女子社員からはあまりよく思われていない。媚びを売るように擦り寄っていくこともしないから、実際は何を考えているのかわからない子とでも思われているのかもしれない。いい大人が連れだってトイレに行くのも面倒だし、かと言って、一人でいる環境をイヤとも思っていないから別にいいのだけれど。
 ただこうやって、社内で他の誰かと話す機会があるっていうのも悪くないと知った。

「それ。本当に使ってるんだね」

 中身を完食して蓋をしたランチボックスの、ふてぶてしい猫のイラストに鈴木君が視線を向けた。

「そりゃそうだよ。たったの二回で取った戦利品だよ」

 たったの二回というところに力を籠め得意気になると、鈴木君は愉快そうに顔を歪めた。

「ちょっと、バカにしてない?」
「そんなことないよ。二回で取るなんて、すごいって感心してる」

 わざとらしすぎる言い回しに、こちらもわざとらしく怒ってみせた後に笑った。

「毎日コンビニ弁当なの?」

 テーブルの上にある空になった牛丼の器は、元々入っていたコンビニ袋の中に収まり端へと寄せられていた。

「そうだね。作ってくれる人もいないし。たまに外へ行くこともあるけど。食事は、殆どが近所の弁当屋とかコンビニで買って済ませるかな。俊みたいに、料理が得意なわけでもないから」

 鈴木君も一人暮らしなのだろうと、話す内容から窺えた。

「俊のところに顔をだせば、美味いもの出してくれるから。手作りっていえば、それくらいかな」
「あのお店、いいよね」
「気に入ってくれた?」

 頷くと、クシャリと表情を崩す。素直すぎる反応は、子供みたいだ。きっととても純粋なのだろう。私みたいに心の中であれこれと愚痴を漏らしたり、ディスったりなんてことはない気がする。もしも眼鏡の奥の三日月が偽物で、実は心の中で終始毒づいているのだとしたら、ちょっと想像を絶するかな。
 鈴木君には、深夜アニメに出てくる人のいい男の子のイメージそのままでいて欲しい。

「私ね、実は一度一人であのバーへ行ったんだ」
「え? そうなの?」

 さすが仕事人。いくら友達だからと言って、私が一人で行った事をペラペラと話していないところが俊君だよね。

「でね。ピアノ、聴いちゃった」
「えっ! ピアノって、まさか彼女の? ホントに?」

 鈴木君には珍しく、前のめりになって訊ねると驚きをあらわにしている。

「あの女性が奏でるピアノ、とっても素敵だったぁ。しかも、かっこいいんだよね〜」

 うっとりと語りながら、琥珀のグラスを掲げて笑顔を見せてくれたピアニストの彼女を思い出せば、やっぱり素敵でキュンとくる。

「同性相手に惚れそうになった」

 敢えて真剣な表情で伝えると「わかる、わかる」と鈴木君が頷いた。

「僕もまだ片手で数えるくらいしか聴いたことがないんだ。望月さん、ついているね」
「俊君にも言われた」
「ついているよ、ホント」と頷いてから、僅かに間を空けてから「えっ……!」と動きを止めて顔を直視してきた。

「――――今、俊のこと。名前で呼んだ?」
「ああ、うん。なんか。そう呼んでって言うから」
「あいつ〜」

 いつの間にか仲良くなっていたことに、鈴木君はヤキモチでも焼いているみたいだ。

 まさか、本命は洸太じゃなくて俊君?

 ハッとして鈴木君を見ると、「それ違うから」と、何か言う前に否定されてしまったから、可笑しくてまた笑えた。考えていることがまるわかりで面白い。

「望月さんは、どうにかして僕をそっち系にしたいみたいだね」

 背もたれに寄り掛かかり「勘弁してよ。参ったなぁ」なんて、今度は眉間のあたりをぽりぽりと人差し指でかいている。

「なんでだろうね。そんな感じがするんだけど」

 声をあげて笑うと、鈴木君はピッと姿勢を正して真面目な顔をする。

「僕は、女性が好きだから」

 断固違うと断言する彼の口から、力強く否定の言葉を言い放たれたから、流れ的に訊ねてみた。

「誰が好きなの?」

 緑茶に口をつけながら訊ねると慌て出す。

「そ、それはっ。えっと……」

 同じようにカップを手に持つと、ゴクゴクと音を立てて緑茶を飲みきった。

「それ、お茶の飲み方じゃないよね」

 あんまり慌てているから、どうしたのかという疑問に思う気持ちの反面。慌てる姿が可笑しくて、やっぱり笑ってしまうんだ。

「面白いね、鈴木君は」

 言ったところで、フロアからお呼びがかかった。

「望月ー。電話ー」

 同じ部署の同僚から呼ばれて、ランチボックスを手に立ち上がる。

「じゃね」

 声をかけると、咄嗟に手を握られて立ち去るのを止められ驚いた。見た目、線の細い鈴木君だけれど、意外とがっちりした手をしていて温かい。

 掴まれたことで立ち止まると、鈴木君自身も自分の行動に驚いたのか、慌てて手を放し両手を上げた。まるで、警察に捕まった犯罪者みたいだ。痴漢の現行犯?
 逃げた温もりが自分の体温へと代わる感覚が、心の奥をくすぶった気がした。

「明日また、一緒に食べよう」
「ランチ?」

 訊ねるとおもちゃみたいにコクコクと頷いた。背中かどこかに、ゼンマイがくっ付いていないだろうか。今度探してみよう。
 あ、そうだ。

「じゃあ、明日は私がお弁当を作ってきてあげるよ。たまには手作りもいいでしょ。じゃね」

 片手を上げて、待たせている電話の相手を気にして小走りになる。
 洸太にさえ「作ろうか」などと言ったことはないのに、するりと口から滑り出た言葉に自分が一番驚いていた。