一本裏路地へ入ったところには、パチンコ店が盛大に電飾の看板を掲げていた。なんの音楽なのか、自動ドアが開くたびにジャンジャン出てくる玉の音と共に賑やかに漏れ聞こえてくる。
建物の中に紛れるようにして、ゲームセンターがあった。目的もなくここを通っていたら、パチンコ店だろうと見紛うほど、同じように音の濁流が外まで漏れ聞こえている。
建物はかなり大きな造りで、地下から四階まであった。入り口に掲げられたフロアガイドの看板を見て、鈴木君がそのまま一階の奥へと進んで行く。
鈴木君について行った奥には、ところ狭しとUFOキャッチャーが何台も設置されていた。物にあまり頓着しないタイプだけれど、これだけ数があると目を奪われてしまう。一台一台吟味するように中の商品を見ていけば子供心をくすぐられ、つい食い入るような目になった。
一通り見て元の場所辺りに戻ったところで鈴木君が何かを言ったのだけれど、機械音やかかっている音楽がうるさ過ぎてよく聞こえない。
「え?」
声高く聞き返し、耳元の髪をかきあげて鈴木君の口元へと近づけた。すると、勢いがよすぎて一瞬鈴木君の唇が私の耳に触れた。柔らかな感触が温もりを伝える。耳とはいえ、純粋無垢な彼のキスを奪った気がしてすかさず離れ鈴木君の言葉を待っていたら、少しの間を置いて声が届いた。
「何か欲しいものある?」
訊ねる鈴木君の耳が赤い。店内の熱気にやられているみたいだ。
何が欲しいか訊ねられてもピンとはこないけれど、訊いてくるってことはこういうゲームは得意なのかもしれない。見た目に違うことがないのが面白い。
笑みを零しながら、欲しいものと訊かれて現実主義な思考が巡る。ぐるりと見て回った中にあったある物が頭に浮かんだ。丁度、新しいものが欲しかったんだ。
さっきのように声が届かないだろうと思い、あっちという具合に指をさして先を歩くと鈴木君が付いてきた。
普段会社に持っていく物が古くなっていて、そろそろ買い換えたいと思っていた。休日に外へ買いに出るのが億劫で、何かのついでに買わないとと思い続けたまま一ヶ月を過ぎていたから丁度いい。プリントされているキャラクターはよく知らないけれど、ふてぶてしさが私みたいでいいじゃない。
進んで行った先で、ガラス越しにある目当てのものを指差した。
これ?
問うようにしながら、少し面食らったように驚いた鈴木君へコクコクと頷いた。けれど、これはちょっと。と言うように躊躇いを見せている。
得意じゃないの?
取れるものだとばかり思っていたから、なんだかガッカリだ。しかたないから「自分でやる」と意気込み小銭を取り出すと、鈴木君が無理だよというように苦笑いを浮かべているけれど構わない。
クリーム色の方がいいかな。
ガラスの向こうにある商品をじっくりと観察して、目測で距離を測り、小銭を入れて狙いを定める。
今時のUFOキャッチャーなんてやったことないけれど、基本は一緒よね。そう思っても、こんな重そうなものが取れるのだろうか。テキ屋の射的じゃないけれど、ちゃんと落ちるようにできているのかと疑ってしまう。
アームの強さ加減がわからないし、持ち上げるのはやめておこう。箱の端にアームを押し付けたら、どうにか傾いて落ちるだろうか。
ボタンを操作し、景品の箱めがけてアームを下げた。
焦れったい動きの行方を目で追っていると、アームがぶつかり箱がぐらついた。
「あっ。落ちる?」
年甲斐もなくガラス越しの景品を食いつくように見ていたら、散々グラグラ揺れておきながら場所を少し移動しただけで止まってしまった。ガッカリだ。
隣では、鈴木君が笑っている。
何よ、見てなさいよ。今度こそ。
意気込んで百円を投入する横では、鈴木君がやたらと楽しげだ。
こんなに大きくて重そうなもの、取れないと思ってるんでしょ。
勝手に自虐思考になり、さっきよりも真剣にアームの距離を測りボタンを押した――――。
「カンパーイ」
「ご機嫌だね」
「それはそうでしょ。だって、取れちゃったもん、私」
得意気に胸を張ると、鈴木君は声を上げて笑った。
目の前のテーブルにはきれいに泡の立ったビールのグラスと、ライムがグラスの端に飾られている透明なカクテルに料理の数々。流れている今日のジャズは、私の気持ちに同調でもするみたいに、とても軽快で明るいものだった。
カッコイイピアニストの彼女の姿は今のところなくて、生のピアノは聴けないかもしれないのが残念だけれど。目の前に並んだ美味しそうな料理を見れば、勝利を祝うに申し分ない。
バーの中は先日来た時よりも少し混んでいて、テーブル席がほとんど埋まっていた。
カウンターの中でシェイカーを振る俊君は、忙しそうにしながらも笑顔を絶やさず、楽しげに目の前に座るお客さんと話をしながらお酒を提供している。
「それにしても、ほんとに取っちゃうんだから凄いね」
本気で感心した顔を向けてくる鈴木君の褒め言葉に満更でもない。
「いつも使ってたのを買い換えたかったら、丁度よかったよ」
気合を入れてたった二百円で手に入れたのは、ふてぶてしいのになぜだか可愛いく思えてしまう、猫のイラストが描かれたランチボックスのセットだった。器だけじゃなく、ボックスを止めるバンドや、箸やフォークにスプーンまでついていて、景品にしては至れり尽くせりだし、造りもそれなりにしっかりとしていた。何より二百円で取れたというのが大事なんだ。これがUFOキャッチャーの醍醐味よね。
ますます得意気になって、揚げたてでホクホクジューシーの唐揚げをつまんで咀嚼した。
今日も、俊君の味付けは抜群だ。唐揚げのレシピを訊いたら、教えてくれるだろうか。これなら冷めても絶対に美味しいはず。お弁当に入れて持っていきたいな。
「毎日、作ってきてるよね」
俊君の作った美味しい唐揚げに夢中になっていたら、ビールのグラスを持ち上げ訊ねられた。
「知ってたの?」
「休憩室で食べてるところ、よく見かけてたから」
そうなんだ。意外と見られているものなのね。休日に早起きなんて、する気はないけれど。平日の昼間にわざわざ外へ食べに行くのは気が進まない。賑やかすぎるランチタイムは、聞きたくもない会話がどんどん耳に飛び込んできて落ち着かない。しかも毎回外食なんて、薄給の身としては贅沢だ。一番の問題は、洸太がくっついてきそうで面倒だった。それならいっそ、弁当持参で誰のことも気にせず食事する方がずっといい。
「でも、そのキャラ。望月さんぽくないけど、本当にそれを使うの?」
少し可笑しそうに、それでいて本気? と僅かに心配そうな顔を向けて鈴木君がビールを口に含む。
そんなにキャラ物が似合わないかな? 確かに今使っているのは、とてもシンプルなワンポイントさえない和柄テイストのものだけれど、たまにはこんなのもいいじゃない。
ぷっくりと太った背中に縞模様のある白猫の、いやらしく垂れ下がった目がおかしい。しかも、タイ焼きを口に咥えてる。猫って、タイ焼き食べるの?
「鈴木君には、似合いそうだよね。このキャラ」
想像したらぴったり過ぎて、笑みが止まらない。
「あげようか?」と訊けば、慌てて手を振り断られた。
そこまで拒絶しなくても。
あの後、鈴木君もいくつかチャレンジして景品を手に入れていた。けれどそれは、お菓子の類ばかりだった。スナックにガムにキャラメルにチョコレートに他にも色々。流石にアイスは諦めていたけど、一人ならゲットしてからその場で食べていたかもしれない。美味いと言いながら、アイスクリームのスプーンを口に運んでいる鈴木君の姿があまりにも鮮明に想像できて楽しくなった。
「食べ物ばっかりだね」
ゲームのロゴがついた袋の中を覗き込むと、なんとなく苦笑いを浮かべている。
「これと言って欲しい物もなかったし。俊が欲しがるかと思って」
出たね、そっちの“け”。いや、これは友情的なものかな。なんにしても、誰かのことを思って行動できる時点で彼は優しいのだろう。
「鈴木君は? 甘いもの、好き?」
これだけ大量のお菓子をゲットしたこともそうだけれど、空いている隣の椅子に置かれた白い箱には、ここへ来る前に寄り道して買った美味しそうなケーキがいくつか収まっていた。
「これは、お土産」
そう話したところで、バーテンダーの俊君がやって来た。
「追加のオーダーある?」
今日も変わることなく人懐っこい表情で訊ねる俊君に向けて、鈴木君が二杯目のビールを頼んだ。私は初めて来た時に作ってもらった、あの朝焼け空みたいなグラデーションの飲み物を注文した。
「あのカクテル。気に入ってもらえて、嬉しいな」
「うん。すごく美味しいし。私、名前が菫って言うんです。花の菫。だから、あの紫がなんだか自分みたいで」
俊君は相好をくずし頷いたあとに、椅子に置かれたケーキの箱に視線をやった。
「もしかして?」
友達同士だからか俊君が強請るような言い方をすると、鈴木君は満面の笑みで箱を持ち上げて差し出した。
「やったね〜。あとで一緒に食べようか。キリのいいところで、カウンターに来てよ。お客さんにもらった、美味しい紅茶があるんだ」
まるで少女のようにケーキの箱を抱えて、俊君が喜びをあらわにした。ついでというように、UFOキャッチャーのお菓子を差し出すと更に瞳を輝かせる。
鈴木君は、俊君のそんな姿を可笑しそうに見ていた。
「俊のやつ。甘いものに目がないんだよね」
「あの可愛らしいマスクで、スイーツ好きなんて似合いすぎるね」
俊君の姿を目で追いつつ笑みを浮かべると、同意するみたいに鈴木君も笑顔を浮かべた。カウンターのお客さんにお酒を注文されて作り始めた俊君から、目の前にいる鈴木君へ視線を戻すと、お穏やかな瞳を向けられていることに気がついた。
「今日は望月さんの笑うとこ、たくさん見られてよかった」
不意に、鈴木君が家族みたいに見守るような表情をした。こういう時の彼は、突然大人びた雰囲気を醸し出す。さっきまでアニメチックだったのに、ガラリと変わる表情に戸惑うほどだ。
言われてみれば、よく笑っているような気がする。
洸太といる時にも笑うことはもちろんあるけど、なんて言うか楽しくて自然に出るような笑いじゃない。奏太のことを話しながら、昔のことに思いを馳せて、懐かしさに笑みが漏れる。そんな感じだ。
爆笑するような何かに二人で遭遇することなどなくて、いつも互いに一緒にいるだけ。それは多分、そこにいたはずの奏太が今はいないと言うことが私達の心から馬鹿みたいに楽しむということを攫って閉じ込めてしまったからかもしれない。奏太のいない場所で笑いあうことに、どこかしら罪の意識のようなものを感じていた。それがどうしてなのか、よく解らないのだけれど……。
「不思議だね」
「え?」
人との繋がりって、ホント不思議。奏太以外の人といるのは、煩わしいと思っていた。訊いてもいない話に興味を示さなくちゃいけなかったり、訊かれたくないことまで訊かれたり。人間関係なんて面倒でしかない。そう考えていたのに。
「そっか。私、そんなに笑ってるんだ」
何故だか頬が緩んだ。
俊君が作ってくれた紫のグラデーションはとても綺麗で、口をつけるとアルコールが体にしみていく感覚が心地いい。目の前では、どうしてかいつも目を細めた笑顔のままの鈴木君が頷いていた。
二人からは、ギスギスとしたものが何一つ感じられないから居心地がいいのだろう。美味しいお酒と料理が出てくるこの場所は、今生きている現実の世界から私を自由にしてくれている。何も思い悩むことなく、美味しいと声に出して笑顔を見せているだけでいい。
奏太のことを気にしないようにしていても、洸太と話せば考えないなんて難しい。一人の部屋にいたところで結局は同じだ。けれど、ここには奏太を知る人は一人もいない。奏太に会えない苦しさをここは忘れさせてくれる。
テーブルに並んでいた料理をお腹に収めて、グラスもお皿も空にした頃。バーの中も少し落ち着き、テーブル席にチラホラとお客が残る程度になっていた。
カウンターに人がいなくなったのを見計らい、俊君から手招きされて荷物片手に移動した。カウンター席に着くと、手際よくお茶とケーキが準備された。
「これ、新作だろ?」
俊君のお皿の上に乗るケーキを見て、鈴木君が言う。
「だと思う。俺も初めて見るし」
ウキウキとした表情で、俊君がフォークを手にした。どうやら、さっき寄ったケーキショップはご贔屓のお店のようだ。
スノードームのような真っ白いケーキの上には、ホワイトチョコでできた雪の結晶がのっていた。ドームを割ってみると、中の生地はチョコと定番スポンジが交互に重ね合わされていて、間に塗られたクリームにクラッシュされたナッツが練りこまれている。
「美味しそう」
思わず俊君のケーキを見て呟くと「こっち食べる?」 と笑顔で問われて慌てて首を振った。俊君へのお土産なのに、私が好きなものを食べてどうする。目の前にある自分のケーキだって、とても美味しそうだ。
ピンク色したラズベリーチーズケーキの上には、ヨーグルトの入った生クリームが飾られている。小ぶりのイチゴがのっていて、小さな星のクッキーが散りばめられていた。
鈴木君のケーキは、抹茶だろうか。長方形の形の緑色したスポンジに、粉雪みたいな砂糖が斜めに半分振りかけられていて、上にはピスタチオがのっていた。
「抹茶?」
一口食べた鈴木君へ訊けば「んー」と味わい考えている。
「ピスタチオだと思う」
そっか、上にのってるもんね。
「望月さんの、美味し?」
鈴木君に訊かれて、コクコクと頷いた。
「星、食べる?」
いくつか散りばめられたクッキーの星をフォークの上に乗せて差し出すと、慌てたように首を振られた。クッキーは、あまり得意ではないようだ。
「美味しいのに」
断られたので自らの口へ入れると、目の前では俊君がなぜだか笑いをこらえていた。
流れるジャズは軽快なギターで、ケーキを口にしながらなんとなくリズムをとるように時々首が動く。目の前では俊君が、横では鈴木君が微笑みながらいて既視感を覚えた。
なんだろう。ああ、そうか。昔のバカ話して笑っていた頃の三人みたいなんだ。真っ当なことばかり言う割に余計な突っ込みを入れる洸太と、いつも見守るように笑顔を向けていた奏太。三人でいたあの頃に似た時間がここにはあるんだ。
だから、余計に居心地がいいのかもしれない。
笑うことしかなかったあの頃が、ここに来ればいつだってあるから。
建物の中に紛れるようにして、ゲームセンターがあった。目的もなくここを通っていたら、パチンコ店だろうと見紛うほど、同じように音の濁流が外まで漏れ聞こえている。
建物はかなり大きな造りで、地下から四階まであった。入り口に掲げられたフロアガイドの看板を見て、鈴木君がそのまま一階の奥へと進んで行く。
鈴木君について行った奥には、ところ狭しとUFOキャッチャーが何台も設置されていた。物にあまり頓着しないタイプだけれど、これだけ数があると目を奪われてしまう。一台一台吟味するように中の商品を見ていけば子供心をくすぐられ、つい食い入るような目になった。
一通り見て元の場所辺りに戻ったところで鈴木君が何かを言ったのだけれど、機械音やかかっている音楽がうるさ過ぎてよく聞こえない。
「え?」
声高く聞き返し、耳元の髪をかきあげて鈴木君の口元へと近づけた。すると、勢いがよすぎて一瞬鈴木君の唇が私の耳に触れた。柔らかな感触が温もりを伝える。耳とはいえ、純粋無垢な彼のキスを奪った気がしてすかさず離れ鈴木君の言葉を待っていたら、少しの間を置いて声が届いた。
「何か欲しいものある?」
訊ねる鈴木君の耳が赤い。店内の熱気にやられているみたいだ。
何が欲しいか訊ねられてもピンとはこないけれど、訊いてくるってことはこういうゲームは得意なのかもしれない。見た目に違うことがないのが面白い。
笑みを零しながら、欲しいものと訊かれて現実主義な思考が巡る。ぐるりと見て回った中にあったある物が頭に浮かんだ。丁度、新しいものが欲しかったんだ。
さっきのように声が届かないだろうと思い、あっちという具合に指をさして先を歩くと鈴木君が付いてきた。
普段会社に持っていく物が古くなっていて、そろそろ買い換えたいと思っていた。休日に外へ買いに出るのが億劫で、何かのついでに買わないとと思い続けたまま一ヶ月を過ぎていたから丁度いい。プリントされているキャラクターはよく知らないけれど、ふてぶてしさが私みたいでいいじゃない。
進んで行った先で、ガラス越しにある目当てのものを指差した。
これ?
問うようにしながら、少し面食らったように驚いた鈴木君へコクコクと頷いた。けれど、これはちょっと。と言うように躊躇いを見せている。
得意じゃないの?
取れるものだとばかり思っていたから、なんだかガッカリだ。しかたないから「自分でやる」と意気込み小銭を取り出すと、鈴木君が無理だよというように苦笑いを浮かべているけれど構わない。
クリーム色の方がいいかな。
ガラスの向こうにある商品をじっくりと観察して、目測で距離を測り、小銭を入れて狙いを定める。
今時のUFOキャッチャーなんてやったことないけれど、基本は一緒よね。そう思っても、こんな重そうなものが取れるのだろうか。テキ屋の射的じゃないけれど、ちゃんと落ちるようにできているのかと疑ってしまう。
アームの強さ加減がわからないし、持ち上げるのはやめておこう。箱の端にアームを押し付けたら、どうにか傾いて落ちるだろうか。
ボタンを操作し、景品の箱めがけてアームを下げた。
焦れったい動きの行方を目で追っていると、アームがぶつかり箱がぐらついた。
「あっ。落ちる?」
年甲斐もなくガラス越しの景品を食いつくように見ていたら、散々グラグラ揺れておきながら場所を少し移動しただけで止まってしまった。ガッカリだ。
隣では、鈴木君が笑っている。
何よ、見てなさいよ。今度こそ。
意気込んで百円を投入する横では、鈴木君がやたらと楽しげだ。
こんなに大きくて重そうなもの、取れないと思ってるんでしょ。
勝手に自虐思考になり、さっきよりも真剣にアームの距離を測りボタンを押した――――。
「カンパーイ」
「ご機嫌だね」
「それはそうでしょ。だって、取れちゃったもん、私」
得意気に胸を張ると、鈴木君は声を上げて笑った。
目の前のテーブルにはきれいに泡の立ったビールのグラスと、ライムがグラスの端に飾られている透明なカクテルに料理の数々。流れている今日のジャズは、私の気持ちに同調でもするみたいに、とても軽快で明るいものだった。
カッコイイピアニストの彼女の姿は今のところなくて、生のピアノは聴けないかもしれないのが残念だけれど。目の前に並んだ美味しそうな料理を見れば、勝利を祝うに申し分ない。
バーの中は先日来た時よりも少し混んでいて、テーブル席がほとんど埋まっていた。
カウンターの中でシェイカーを振る俊君は、忙しそうにしながらも笑顔を絶やさず、楽しげに目の前に座るお客さんと話をしながらお酒を提供している。
「それにしても、ほんとに取っちゃうんだから凄いね」
本気で感心した顔を向けてくる鈴木君の褒め言葉に満更でもない。
「いつも使ってたのを買い換えたかったら、丁度よかったよ」
気合を入れてたった二百円で手に入れたのは、ふてぶてしいのになぜだか可愛いく思えてしまう、猫のイラストが描かれたランチボックスのセットだった。器だけじゃなく、ボックスを止めるバンドや、箸やフォークにスプーンまでついていて、景品にしては至れり尽くせりだし、造りもそれなりにしっかりとしていた。何より二百円で取れたというのが大事なんだ。これがUFOキャッチャーの醍醐味よね。
ますます得意気になって、揚げたてでホクホクジューシーの唐揚げをつまんで咀嚼した。
今日も、俊君の味付けは抜群だ。唐揚げのレシピを訊いたら、教えてくれるだろうか。これなら冷めても絶対に美味しいはず。お弁当に入れて持っていきたいな。
「毎日、作ってきてるよね」
俊君の作った美味しい唐揚げに夢中になっていたら、ビールのグラスを持ち上げ訊ねられた。
「知ってたの?」
「休憩室で食べてるところ、よく見かけてたから」
そうなんだ。意外と見られているものなのね。休日に早起きなんて、する気はないけれど。平日の昼間にわざわざ外へ食べに行くのは気が進まない。賑やかすぎるランチタイムは、聞きたくもない会話がどんどん耳に飛び込んできて落ち着かない。しかも毎回外食なんて、薄給の身としては贅沢だ。一番の問題は、洸太がくっついてきそうで面倒だった。それならいっそ、弁当持参で誰のことも気にせず食事する方がずっといい。
「でも、そのキャラ。望月さんぽくないけど、本当にそれを使うの?」
少し可笑しそうに、それでいて本気? と僅かに心配そうな顔を向けて鈴木君がビールを口に含む。
そんなにキャラ物が似合わないかな? 確かに今使っているのは、とてもシンプルなワンポイントさえない和柄テイストのものだけれど、たまにはこんなのもいいじゃない。
ぷっくりと太った背中に縞模様のある白猫の、いやらしく垂れ下がった目がおかしい。しかも、タイ焼きを口に咥えてる。猫って、タイ焼き食べるの?
「鈴木君には、似合いそうだよね。このキャラ」
想像したらぴったり過ぎて、笑みが止まらない。
「あげようか?」と訊けば、慌てて手を振り断られた。
そこまで拒絶しなくても。
あの後、鈴木君もいくつかチャレンジして景品を手に入れていた。けれどそれは、お菓子の類ばかりだった。スナックにガムにキャラメルにチョコレートに他にも色々。流石にアイスは諦めていたけど、一人ならゲットしてからその場で食べていたかもしれない。美味いと言いながら、アイスクリームのスプーンを口に運んでいる鈴木君の姿があまりにも鮮明に想像できて楽しくなった。
「食べ物ばっかりだね」
ゲームのロゴがついた袋の中を覗き込むと、なんとなく苦笑いを浮かべている。
「これと言って欲しい物もなかったし。俊が欲しがるかと思って」
出たね、そっちの“け”。いや、これは友情的なものかな。なんにしても、誰かのことを思って行動できる時点で彼は優しいのだろう。
「鈴木君は? 甘いもの、好き?」
これだけ大量のお菓子をゲットしたこともそうだけれど、空いている隣の椅子に置かれた白い箱には、ここへ来る前に寄り道して買った美味しそうなケーキがいくつか収まっていた。
「これは、お土産」
そう話したところで、バーテンダーの俊君がやって来た。
「追加のオーダーある?」
今日も変わることなく人懐っこい表情で訊ねる俊君に向けて、鈴木君が二杯目のビールを頼んだ。私は初めて来た時に作ってもらった、あの朝焼け空みたいなグラデーションの飲み物を注文した。
「あのカクテル。気に入ってもらえて、嬉しいな」
「うん。すごく美味しいし。私、名前が菫って言うんです。花の菫。だから、あの紫がなんだか自分みたいで」
俊君は相好をくずし頷いたあとに、椅子に置かれたケーキの箱に視線をやった。
「もしかして?」
友達同士だからか俊君が強請るような言い方をすると、鈴木君は満面の笑みで箱を持ち上げて差し出した。
「やったね〜。あとで一緒に食べようか。キリのいいところで、カウンターに来てよ。お客さんにもらった、美味しい紅茶があるんだ」
まるで少女のようにケーキの箱を抱えて、俊君が喜びをあらわにした。ついでというように、UFOキャッチャーのお菓子を差し出すと更に瞳を輝かせる。
鈴木君は、俊君のそんな姿を可笑しそうに見ていた。
「俊のやつ。甘いものに目がないんだよね」
「あの可愛らしいマスクで、スイーツ好きなんて似合いすぎるね」
俊君の姿を目で追いつつ笑みを浮かべると、同意するみたいに鈴木君も笑顔を浮かべた。カウンターのお客さんにお酒を注文されて作り始めた俊君から、目の前にいる鈴木君へ視線を戻すと、お穏やかな瞳を向けられていることに気がついた。
「今日は望月さんの笑うとこ、たくさん見られてよかった」
不意に、鈴木君が家族みたいに見守るような表情をした。こういう時の彼は、突然大人びた雰囲気を醸し出す。さっきまでアニメチックだったのに、ガラリと変わる表情に戸惑うほどだ。
言われてみれば、よく笑っているような気がする。
洸太といる時にも笑うことはもちろんあるけど、なんて言うか楽しくて自然に出るような笑いじゃない。奏太のことを話しながら、昔のことに思いを馳せて、懐かしさに笑みが漏れる。そんな感じだ。
爆笑するような何かに二人で遭遇することなどなくて、いつも互いに一緒にいるだけ。それは多分、そこにいたはずの奏太が今はいないと言うことが私達の心から馬鹿みたいに楽しむということを攫って閉じ込めてしまったからかもしれない。奏太のいない場所で笑いあうことに、どこかしら罪の意識のようなものを感じていた。それがどうしてなのか、よく解らないのだけれど……。
「不思議だね」
「え?」
人との繋がりって、ホント不思議。奏太以外の人といるのは、煩わしいと思っていた。訊いてもいない話に興味を示さなくちゃいけなかったり、訊かれたくないことまで訊かれたり。人間関係なんて面倒でしかない。そう考えていたのに。
「そっか。私、そんなに笑ってるんだ」
何故だか頬が緩んだ。
俊君が作ってくれた紫のグラデーションはとても綺麗で、口をつけるとアルコールが体にしみていく感覚が心地いい。目の前では、どうしてかいつも目を細めた笑顔のままの鈴木君が頷いていた。
二人からは、ギスギスとしたものが何一つ感じられないから居心地がいいのだろう。美味しいお酒と料理が出てくるこの場所は、今生きている現実の世界から私を自由にしてくれている。何も思い悩むことなく、美味しいと声に出して笑顔を見せているだけでいい。
奏太のことを気にしないようにしていても、洸太と話せば考えないなんて難しい。一人の部屋にいたところで結局は同じだ。けれど、ここには奏太を知る人は一人もいない。奏太に会えない苦しさをここは忘れさせてくれる。
テーブルに並んでいた料理をお腹に収めて、グラスもお皿も空にした頃。バーの中も少し落ち着き、テーブル席にチラホラとお客が残る程度になっていた。
カウンターに人がいなくなったのを見計らい、俊君から手招きされて荷物片手に移動した。カウンター席に着くと、手際よくお茶とケーキが準備された。
「これ、新作だろ?」
俊君のお皿の上に乗るケーキを見て、鈴木君が言う。
「だと思う。俺も初めて見るし」
ウキウキとした表情で、俊君がフォークを手にした。どうやら、さっき寄ったケーキショップはご贔屓のお店のようだ。
スノードームのような真っ白いケーキの上には、ホワイトチョコでできた雪の結晶がのっていた。ドームを割ってみると、中の生地はチョコと定番スポンジが交互に重ね合わされていて、間に塗られたクリームにクラッシュされたナッツが練りこまれている。
「美味しそう」
思わず俊君のケーキを見て呟くと「こっち食べる?」 と笑顔で問われて慌てて首を振った。俊君へのお土産なのに、私が好きなものを食べてどうする。目の前にある自分のケーキだって、とても美味しそうだ。
ピンク色したラズベリーチーズケーキの上には、ヨーグルトの入った生クリームが飾られている。小ぶりのイチゴがのっていて、小さな星のクッキーが散りばめられていた。
鈴木君のケーキは、抹茶だろうか。長方形の形の緑色したスポンジに、粉雪みたいな砂糖が斜めに半分振りかけられていて、上にはピスタチオがのっていた。
「抹茶?」
一口食べた鈴木君へ訊けば「んー」と味わい考えている。
「ピスタチオだと思う」
そっか、上にのってるもんね。
「望月さんの、美味し?」
鈴木君に訊かれて、コクコクと頷いた。
「星、食べる?」
いくつか散りばめられたクッキーの星をフォークの上に乗せて差し出すと、慌てたように首を振られた。クッキーは、あまり得意ではないようだ。
「美味しいのに」
断られたので自らの口へ入れると、目の前では俊君がなぜだか笑いをこらえていた。
流れるジャズは軽快なギターで、ケーキを口にしながらなんとなくリズムをとるように時々首が動く。目の前では俊君が、横では鈴木君が微笑みながらいて既視感を覚えた。
なんだろう。ああ、そうか。昔のバカ話して笑っていた頃の三人みたいなんだ。真っ当なことばかり言う割に余計な突っ込みを入れる洸太と、いつも見守るように笑顔を向けていた奏太。三人でいたあの頃に似た時間がここにはあるんだ。
だから、余計に居心地がいいのかもしれない。
笑うことしかなかったあの頃が、ここに来ればいつだってあるから。